※一部軽いグロ的な表現があるので、苦手な方はお気を付け下さい。
何もない世界に生まれた。
少しずつそれらに色が付いた。
急速に落ちていく感覚に意識が生まれる。視界を塞いでいるものをこじ開けた。
目に入ったのは鉄格子。
ゆっくりと辺りを見回す。同時に何かが動く。私の中に映る世界を動かす。
「目覚めたか、『C-SI02』」
〝C-SI02〟。それが私の名前だった。
最初は訳が分からずにその場にいる状態だったが、研究員の言葉を聞いていく内に私の中に思考というものが生まれる。
そうして聞きかじった言葉を繋ぎ合わせていくのが、私の日課だった。研究員達は私がそうしていることを知らない。
ここはレプリカ研究室と呼ばれる場所らしい。そして私は研究対象であるレプリカ。被験者名は、〝クリス・サングレ〟。
私と同じように、右目に邪視の力を宿した少女だったらしい――というのは、もうその被験者はこの世にいないからだ。レプリカ情報を採取した影響で死んだと、研究員達が話していたから。
――死ぬとはどういうことだろう。
毎日のように行われる実験。最初はそれが普通のことなのだと思っていたが、あることがきっかけで私の考えは変わることとなる。
その日はいつもより研究者達が忙しそう動いているように思えた。私はそれを檻の中から訝しむように見ていたが、突然その檻が開け放たれたのだ。
「C-SI02。出ろ」
また実験室へ行くのだろうか。あれをやったあとは身体が重いので、何度も行われると少々困る。
しかしその予想は外れていた。
まず身体を隠すようにと、ローブを着せられた。同時に邪視と呼ばれる力を持つ右目も、布で隠される。そうして上から下まで布で包まれたあと、なんと研究室から外へと移動し始めたのだ。
建物から生き物が繋がれている車のようなものへと移動する際に見えた、あの青い世界。そこに浮かぶ真っ白に光る大きな、丸い――その巨大な物体を確認しようとしたが、眩しくて目を開けていられなかったので見ること自体を諦めた。
あれは何だったのだろう。それにどうしてここはこんなに青いのだろう。でもたった一つだけ分かることがある。ここはとても〝綺麗〟だ。
そこにある何もかもが、私にとっては不思議なことばかりだった。自分の中で浮き足立つものがある。
疑問ばかりが浮かんでは消えていく。しかし隣に座っている奴らに聞くことはない。そもそも聞こうとも思わなかった。
馬車――と呼ばれていた――が止まる。どうやら到着したらしい。研究員達に降りるように言われる。
どうして、ここはこんなにも暗い?どうして、目の前にこんなにいっぱいの人がいる?
目の前で繰り広げられている内の一人から、赤い液体が流れ出している。あれは知っている。私の中にも流れているもの。
――血液。
これがなくなったら〝死ぬ〟らしい。
じゃああの人は死んでいるのか?動かなくなったら〝死ぬ〟のか?
それに血が出るときは、大抵〝イタイ〟ことをされたときだ。研究員から針を刺されたときも痛い。変な薬を飲まされて、その副作用が起きたときもあちこちが痛かった。
そう思っていると、研究員が私の右目を隠していた布をはずした。そして目の前で繰り広げられている行為の真っ只中に行き、赤い色をした兵士を暗示にかけて来いという。どういう風にと聞けば、「互いに殺し合うように、だ」と言われた。
――殺し合う?
その行為がどういった影響を及ぼすかは知らないが、その場から早く去りたかった私は言われるままにそこへ向かう。
彼らは夢中で武器を振り回していた。それが当たると血が出るようだ。気を付けなければ。
この辺りで良いだろうか?
視線を上げれば、赤い兵士が沢山こちらを向いていた。
――何故そんな目で見るんだろう。
私はそれを不思議に思いながらも右目を開け、研究員に言われたように暗示をかけた。
瞬間、始まるその行為。
青い兵士に向けられていた武器が、赤い兵士へと向けられる。
――何だ、どういう、ことだ。
赤い兵士達は武器を、同じ色の兵士の身体に刺していく。どんどん流れていく血が見える。そしてどんどん動かなくなっていく。
――死んで、いる?
私はよろめいた。広範囲に力を使ったのが初めてだったせいもあるが、それよりも。
足元に動かなくなった赤い兵士が転がって来る。へたりと座り込み、それに手を伸ばす。
――冷たい。
ぞわ、と背中が冷えていく。
私は、何をした。何を命令された。
――『互いに殺し合うように』――
殺すとは、こういうことか。相手に武器を向け、刺して、血をいっぱい流させて。相手が動かなくなるまで、……〝死ぬ〟まで傷付けることが。
血が流れると、〝イタイ〟。私が暗示をかけたせいで、目の前でその〝イタイ〟ことが行われている。
――あぁ、私は……
私が、殺した。目の前に転がっている赤い兵士は、私が殺した!
呆然とその場に座り込んでいると、赤い兵士が私を抱き込んだ。何が起こったのか分からなかったけれど、私を抱きこんでいる兵士の向こう側に、同じ赤い兵士が、こっちに向かって武器を振りかざしているのが見えた。そしてそのままそれは兵士へと振り下ろされる。
私の手に、赤いものが付く。私の右目と同じ、色だ。
自分の手が震えているのが見える。こんなことは今までになかったというのに。そのとき、私を抱き込んでいた兵士が口を開いた。
「……大丈夫?」
――〝大丈夫〟?
確かそれは気遣う言葉、だ。だとしたらこの兵士は、この人は。
「ここは……危険だから、早く、逃げ……」
そう言ったのを最後に、その人は動かなくなった。視線を上げると、暗示が行き届いてなかったのだろうか、殺し合っている兵士を止めている兵士がいる。
しかし、それに対して暗示をかけなおす気力など、私には残っていなかった。目の前が真っ暗になり、私の意識はそこで途絶えた。
次に目が覚めると見慣れた景色だった。いつもの研究室だ。
いつの間に戻って来たのかは知らないが、今はそれでよかったと思う。私があの場で振舞った力が、どれほど恐ろしいものかを知ったから。
そんな私を知ってか知らずか、研究員達は私に言った。
「良くやった! C-SI02。お前の働きは予想以上だ!」
『良くやった』などと、初めて聞いた言葉だった。
――良くやった?
たくさんの人を〝殺して〟おきながら、どうしてそれが良いと言える?
あぁそうか。こいつらは〝殺して〟いない。〝殺した〟のは私。
指示をしたのは研究員達。その意味を知らずに、実行したのは私。知らなかったこと自体が私の罪だ。
目の前で動かなくなっていった兵士達の顔が頭から離れない。私をかばって死んでいった兵士の顔が忘れられない。自分のせいで死んでしまったとはいえ、かばわれて、気遣われたのはあれが初めてだった。それにあの兵士はとても温かかった。
急に寒さを感じて身を縮ませる。私は恐ろしくなっていた。自分の力が。
この右目は忌むべきものだ。出来るなら使いたくはない。
しかし私の思考とは裏腹に、前よりも増して実験の量が増えていく。あれ以来戦地には送られていない。
その変わりに特別な部屋へと入れられ、特定の人物と対面することはあった。その人に暗示をかけるように伝えられ、その通りに実行する。幸い、〝殺す〟という単語は出なかった。
もうあんな思いはしたくない。実験が多くても良い。人を殺すことだけはしたくない。
そうしてしばらくが経ち、世界の青が黒に塗り替えられた時期があった。
研究室にいる私には一体何が起こったのかはわからない。しかしその黒の正体が、〝障気〟というものだということだけは分かった。
ある日、急に胸が苦しくなって、何かに祈りたいような気分になる。どうしたというのだろう。それに僅かに聞こえたあの鈴のような音は……
不思議に思っていると、研究室の中で障気が消えたと聞いた。僅かな隙間から見える景色は元の青を取り戻していた。
良かった。私はあの色が好きだから。
そのとき、研究室の扉が開かれた。同時に研究員達の叫び声が聞こえる。
――何かあったのだろうか。
ずかずかとこの部屋に入って来る男の姿が見える。真っ先に目に入ったのは深緑の髪。その瞳には、私の好きな青の世界が広がっている。
綺麗だと思った。
男は私を見るなり驚いていたようだが、恐る恐るといった様子で、檻に入っている私に手を伸ばした。
「……クリ……ス……?」
――クリス?
それは私の被験者の名前だ。この男は私の被験者のことを知っているのだろうか。だが私は〝クリス〟ではない。
「違う。私の名はC-SI02」
研究員達からはそう呼ばれていると答えると、男はその場に座り込んでしまった。よく見ると服のあちこちに赤い液体。
怪我をしているのだろうか?この男も、動かなくなってしまうのだろうか?それは駄目だ。
「……〝大丈夫〟か? 怪我をしているのか?」
研究員達には決して使わない言葉を初めて使った。私が誰かに対して気遣うという状態にはまず陥らない。
――でもこの男は。
目の前にいるこの人はとても、とても悲しそうだったから。
胸が痛い。どうしてそんな悲しそうな顔をするのだろう。私が何かしたのだろうか。私の言葉が気持ち悪かったのだろうか。大丈夫かと、声をかけない方が良かったのかもしれない。
男が漸く私を見る。相変わらず悲しそうな瞳ではあったが、どうやら身体に異常はなさそうだ。
――良かった。
思わず安堵の溜息が出る。続けて私はその男に、すぐにここから出るように伝えた。
ここは危ない。
私がいるから。私の力があるから。
そうすると男は僅かに微笑んだ。
「〝優しい〟んだね。君は」
――優しい?
それは何だ?初めて言われた言葉だ。
首を傾げて答えを探そうとするが、見付からない。ぐるぐるとその言葉の意味だけを考えていると、男が信じられない言葉を発する。
「ここから出してあげる」
男が手に持っていた鍵で、捕らえられていた檻が開けられた。
「だから僕と、一緒に行こう?」
私はその言葉に黙って従い、今まで自分を閉じ込めていた檻から出て、男を見上げた。
なるべく目を見ないように、首あたりに視線を向ける。口元は笑みの形をとっていた。研究員達のようなそれではなく、穏やかに弧を描いている。
部屋から出ると、研究員達は床に突っ伏していた。赤い液体があちこちに付いていた。そして動かない。
現状に驚き、つい足を止めてしまう。それに気付いたのか、男は私を抱え上げた。
私は思わず男にしがみ付く。男の手が私の背を撫でて来る。
「大丈夫、もう怖がらなくて良いよ。君は自由なんだから」
――自由。
周辺を見て分かる。もうここには私を縛るものがない。それはここから出られることを意味する。この力を悪用されずに済む。
研究所から外へ。そこで見た青の世界は、いつもよりとても澄んでいた。
男の名は〝モルダ〟といった。
あの研究施設から出たあと、彼と二人でどこへ行くともなくあちこちを旅した。そして彼は私に言葉と知識と、〝カルサ〟という名前を与えてくれた。
気になっていたあの色は、〝空〟だということも教えてくれた。
「モルダの目も空か?」と聞けば、彼は何故か少し寂しく笑って、「違う」と言った。どこが違うのだろう。同じ色だというのに。
日々を過ごす内に、私は彼を盲信するようになる。絶対的な安心感と信頼感を肌で感じられる喜びを噛み締める。
しかし、私はどうしても彼を名前で呼ぶことが出来なかったので、以前教えてもらった単語の中から、「主《あるじ》」と呼ぶようになった。最初は嫌がっていたようだが、「カルサがそれで良いなら良いよ」と頭を撫でてくれる。こうされることは〝好き〟だ。
主は、右目の制御の仕方も教えてくれた。
どうやれば範囲を抑えられるか、どうやれば暗示の強弱を付けられるかといったことを詳しく教えてくれ、また制御が出来るよう訓練にも付き合ってくれた。
どうして主がそんなことを知っているのか。
主が私の被験者を知っているのは明らかだ。そうでなければこんなに詳しく邪視についての知識などないはず。一度それを聞いてみようかとも思ったが、やめておいた。〝クリス〟と言ったときの主の表情が、あまりに悲しかったから。
それよりも私には気になることが出来た。旅をしながら各地を回っているときに見られるレプリカの姿。
それを見付ける度に主の表情が険しくなっていく。そのときの主は暗く、どこか怒りに満ちているような目をしていた。
レプリカの扱いに対する怒りでないことは、うすうす分かる。では、レプリカが憎いのだろうか。だとしたら私のことも憎いのだろうか。
……それでも良い。私は主の傍に居たい。この人から離れることなど、もう私には出来そうにもない。
ふと視線が私に降ろされると、いつものように笑って頭を撫でてくれる。それに安堵を覚えると同時に不安が募る。
――どうか、どうか。
――主が主のままでありますように。
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