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第五章 Gloom 01
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第五章 Gloom 01




つかの間の邂逅。

求める碧の傷口は深く。




「――あぁ。分かった」
 アッシュは胸に付けてあった通信機から、仲間達へルークを保護したことを伝える。続いてジェイドから仲間達へ作戦を切り替えるよう指示があり、アッシュにはルークを入り口まで連れて来るようにと連絡があった。それに了解の意を示し、彼は通信機を切る。
 アッシュの足元には気絶している深緑の髪を持った男が転がっていた。
 蹴ったときに骨の何本かは折れたかもしれないが、恐らく死にはしないだろう。むしろあの眼鏡の命令さえなければ、目の前の男の息の根を止めている。しかしそうすることが出来ないことにアッシュは苛立つ。
 彼はまずルークの足に止められている拘束具をはずすべく、手に持っていた鍵をその鍵穴に差し込んだ。慎重にそれを取り除いた箇所には擦り切れたような傷があった。赤く擦り切れたそれは、誰が見ても痛々しい。
 アッシュはその場からゆっくりと立ち上がり、下から上へと怪我の具合を診ていく。そうして行くにつれ、彼の眉根が寄せられるのが分かった。
 あちこちに痣や傷、赤黒い血、腫れ上がった頬。足は恐らく歩けないようにされているのだろう。素人目から見ても分かるほど、それぐらい酷かった。
――しかし、生きている。呼吸を、している。
 焦がれた碧は閉じられ、朱い髪は不自然に切り取られていたとしても。今、目の前で息づいている。
 アッシュは恐る恐るその左腕を、壁とルークの背中の隙間に入れた。以前よりも柔らかくなった身体に彼は驚いたが、それよりもルークの身体の軽さに戦慄く。なるべく傷が痛まないように優しく抱えて、アッシュが右手で剣を握り直したとき、その視界に入ったものは。
 閉じられたルークの瞳から、静かに落ちていく一筋の涙。
「――っ!」
 湧き上がる感情に身を任せ、アッシュは逆手に持ったローレライの鍵を鎖へと向けて断ち切った。ガシャンという音と共に、身体の重みが全て彼の左腕にかかる。
 アッシュはゆっくりと鍵から右手を離し、そのまま重力に逆らうことなく静かにルークの身体を抱えたまま床に座り込んだ。
――このまま叫び出してしまいたい。何に対してかは分からないけれど。
 ルークの身体を支えているアッシュの左腕が震える。そして空いている右手で、彼女の頬を流れているそれを優しく拭き取った。
 以前から言うとか細く、華奢となった身体。自分よりも低くなった身長。今ではもう自分のレプリカとは思えないほどの様相。だがそれでも、この朱は朱のままだった。
 会いたかった。
 焦がれ、求めていたのはこの朱だった。会って文句の一つでも言ってやりたかった。――なのに。
「……すまん」
 聞こえていないと分かっていても、アッシュは一言ぽつりと謝罪の言葉を口にした。
 拭っても拭っても、流れ落ちて来る涙。
 一体どれほどの痛みと屈辱を与えられたのだろう。どれほどの恐怖と怒りを感じたのだろう。

――……リィン……――

 ローレライの鍵は小さく鳴り続けていた。
 悲しそうに。苦しそうに。きっとこれはルークの心の音なのだろう。
――守れ、なかった。
「くそっ!!」
 アッシュは悔しさのあまり、右手で髪を掻き毟る。その動作でまとめ上げていた前髪がぱらぱらと落ちて来た。
 手を取ったあのとき、その手を離さなければ。静止の声に留まることなく、アルビオールで追いかけていれば。手放したりせず、もっと早く見付けていれば。重要人物だからと止められても、それを振り切っていれば。
(もっと早く、ここに来ていれば!!)
 悔いる気持ちは際限なくアッシュの中から沸いて来る。
 最後に会ったときから比べると、少し痩せてしまったその身体。こんな身体でたった独り。ルークはたった独りで、戦っていた。
 何があったのか、なんて聞かなくても分かる。
 しかし予測ばかりが先走ってしまい、今の時点ではアッシュには冷静な判断は出来そうもなかった。
――悔しい。
 守れなかった自分が。
――憎い。
 ここまでにした奴らが。
――悲しい。
 気を失いながらも、泣き続ける腕の中の存在が。
(……いつまでも、へこたれている場合じゃねえな)
 もやもやとわだかまりは消えずに奥底に淀んだままではあったが、今はルークの治療を優先するべきだとアッシュは思い直す。
 彼は抱えていたルークを一旦床へと下ろし、拾った鍵で両手にあった拘束具もはずした。そこから現れた傷が足首よりも酷かったことから、ルークが相当な抵抗をしたことが窺える。
 その痛々しさに、アッシュの中にわけの分からない感情が沸き起こった。
 彼は衝動のままに力を失っている彼女の手を取り、赤く擦り切れているそこへと口付けを落とす。独特の鉄臭さを感じたが、アッシュはそれを気にもしなかった。
 何故そうしたくなったのかは分からない。いや、アッシュ自身分かっていたのかもしれないが、分からないということにしておいた。その先を開いてしまえば、もうそれを止めることが出来ない気がして。それがとても、怖くて。
 アッシュは無理矢理これは同情なのだと、保護欲なのだと自分自身に言い聞かせ、そして小さく祈り、願った。
 この朱の存在が、これ以上傷付くことのないように、と。
 アッシュは握っていた手を静かに下ろし、自身のマントを止めている金具をはずしたあと、床に横たえたルークの身体をそれで優しく覆った。そして彼は傷に響かないよう細心の注意を払いながら、彼女をマントごと抱え上げる。
 その拍子に床に転がっている人物の姿がアッシュの視界に入り、彼の内で再び湧き上がるものがあったが、今はそのときではないと頭を振る。
 それにこの男は自分が裁かなくとも、眼鏡達が何とかするだろうとアッシュは思い直す。
 洞窟の入り口では譜歌を歌い終わり、二人の帰りを待っている第七音素譜術士がいる。治療術をかけてもらえば、ルークが負った傷は粗方癒えるだろう。心の傷はそう簡単には癒えてくれないだろうが。
 出来ることなら、何事もなく目覚めてくれれば良いと彼は思う。
 自分が求めるあの碧をまた見せて欲しい。
 そして、以前のように笑って欲しい。
 自分と同じこの存在は笑っていなければならない。自分はあんな風に笑うことは出来ないから。
 その笑顔を見るだけで、この胸の中に温かく灯るものがあるから。
 アッシュは苦しそうに眉根を寄せたあと、渦巻く感情を整えるように息を静かに吐き出した。



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赤毛2人に愛を注ぐ日々。