一時の安息。
それでも時は刻まれていく。
アッシュとルークの二人を乗せた機体が空へと飛び去って行く。
その場に居合わせたジェイドを含む三人はしばらくそれを見送っていたが、機体が完全に見えなくなったところで彼は言葉を発した。
「――さて、いつまでもこうしているわけにはいきません。我々も動くとしましょう」
その言葉にティアとナタリアが頷く。二人の表情からは、もうルークを見ていたときのような苦しそうなそれは消え去っていた。
ジェイド達は再び雪がちらつき始めたのを視界に捕らえながら、まずは洞窟内から一向に出て来ないガイとアニスの様子を見に行く。
入り口に近付くと、洞窟内からは次々とジェイドの部下達によって組織員達が連行されていた。ティアが歌った譜歌の効果は抜群だったようで、外気の冷気に晒されても目を覚ますことはない。きっとその心地良い眠りから覚める頃には、グランコクマにある牢の中だろう。
三人はそれを横目で見ながら、ガイとアニスの二人と合流するために洞窟へと入ろうとする――とそこへ、後ろから近付いて来る気配と共に雪を踏みしめる音が聞こえた。
思い当たる気配にジェイドが振り向いてみると、どこへ行っていたのかリドが「ジェイド!」と声を上げながらこちらに走って来る姿が映った。
「アルビオールが飛んで行くのが見えたけど、ルーク無事だったの?」
「えぇ。治療のために先にベルケンドへ行ってもらいましたよ」
続けて「アッシュも一緒に」と彼が答えると、リドが「えぇ!」と目を見開いた。
「じゃあ僕は、あんた達と一緒に行動しないと帰られないってこと!?」
ジェイドが「そういうことになりますね」と笑って答えてやると、少年は黄緑色の髪と肩をがくんと落とし、「アルビオールがぁ……」と心底残念そうに呟いた。どうやらまだ、ノエルに質問し足りない部分があったらしい。
そんな少年の様子に、ジェイドの隣ではティアとナタリアがくすくすと笑っていた。本当にこの少年には場の空気を和ませる何かがあると彼は表情を崩す。
「まぁそう落ち込まずに。代わりといっては何ですが、我が国の陸艦でも見学していって下さい」
「マルクトの陸艦かぁ……アルビオールには劣るけど、まぁ良いか。どの道そうするしかなさそうだし」
リドはそう言って肩をすくめたあとでおもむろにポケットから通信機を取り出すと、スイッチを入れて海の向こうにいるであろう人物に向かって話し始めた。
「あ、アンバー? そっちはどう? そっかそっか。いや実はさぁ――」
少年は何気なく話しているが、ジェイド達はその性能の高さに目を見開いた。リドが手に持っている通信機はレムの塔内に設置されている物と同じようだが、何より驚いたのはその通信範囲の広さだ。ここからレムの塔まではかなり離れているというのに、一体どうやったら連絡が取れるようになるのだろう。
「――ってことでちょっと帰るの遅くなるよ。うん、ルークは無事みたい。アッシュと一緒にベルケンドへ行ったってさ。ラズリにも言ってあげて? 安心するだろうし。僕はジェイド達と行動してるから、また何かあったら連絡するよ」
そう言ってリドは通信機の電源を切り、それをポケットに押し込む。すると、その仕草をじっと見詰めていたジェイド達に気付き、「どうしたの?」と首を傾げた。
「いえ――ただ、その通信機の通信可能範囲が気になっただけです」
ジェイドはくい、とブリッジを押し上げながら、思っていたことを口に出した。それに対して少年がにこやかに笑って答える。
「説明してあげても良いけど、日が暮れちゃうよ?」
それだけは御免被るとばかりに、ジェイドの近くにいた女性二人がすぐさま首を左右に振った。
あの小難しい専門用語を並べ立てられてしまっては、ジェイドはともかく、そういった知識のない彼女達には少しきついものがあるだろう。それにモルダの収容も済ませなければならないし、このアジトの調査も迅速に行わなければならない。
少年には、説明を聞く時間がないことを理由に「またの機会にお願いしますよ」とジェイドはやんわりと断りを入れた。
薄暗かった洞窟内には今や灯りが追加され、突入前と比べると随分明るくなっていた。
先程のメンバーにリドを加えた三人をぞろぞろと引き連れたまま、先頭に立ったジェイドは先に入ったガイ達を探しながら奥へと向かう。
洞窟内にいた組織員達のほとんどは収容し終えたようだ。ジェイドに向かって敬礼をする兵士がちらほら見受けられた。
四人はそのまま〝一般分岐点〟と呼ばれるところまで足を進めると、そこにガイとアニスが居るのを見付ける。その足元には件の人物だと思われる人物が治療を受けていた。
ジェイドは靴音を響かせながら二人の近くへ立つと、足元に寝かされているその人物の顔を確認する。
深緑の髪、瞳の色――については現在閉じられているためそれを見ることは叶わないが、報告を受けた通りの風貌だった。
「――モルダ・エスパシオで間違いはないようですね」
「あぁ。拷問室に転がされてたよ。骨が何本かイかれてる状態でさ。まぁ十中八九、アッシュがやったんだろうけどな」
ガイが苦笑しながら続ける。
「陸艦に収容する前に、簡単に治療をしてからの方が良いと思ったんだ。それが元で死なれちゃ困るだろ?」
皮肉を秘めて言う彼に、ジェイドは「懸命な判断ですね」と言って笑う。目の前で治療を受けている男は一向に目を覚ます気配はない。
ジェイドの後ろに控えていたティアとナタリアがモルダの治療をしていた兵士に手伝う旨を示し、ルークの治療を行ったときよりも抑えた力で譜術をかけ始めた。その間リドはといえば、洞窟内にある音機関を真剣な表情で見定めているようだ。
ジェイドは手持ち無沙汰となっていたガイとアニスに声を掛けた。
「彼と一緒に行動していたレプリカは見付かりましたか?」
その質問に二人が顔を見合わせる。
「カルサって名前のレプリカか? そういえば見ていないな。この暗闇なら、あの白い髪は目立ちそうなもんだが」
「助けたレプリカの皆さんの中にもいなかったみたいですよぉー?」
「そうですか……」
首を傾げている二人から視線を外し、ジェイドは周囲に視線を走らせる。
すると、モルダの他に捕らえられている研究員らしき者を何人か見付け、ジェイドが早々にその研究員達から丁寧に尋問したところ、彼らも「研究室から出たあとは知らない」と叫ぶように言った。
レプリカからレプリカを創ったとするなら、恐らくカルサは音素乖離を起こし始めているはずだとジェイドは予想する。現に彼らの話ではすでに右目が見えなくなっていたらしい。モルダ・エスパシオという人物に最も詳しいのは共に行動していた彼女。彼の素性を知るためにも、ここは絶対にカルサを確保しておきたいところだ。
だが、ここまで探して見付からないとなると――
(盲信していた彼から逃げることは有り得ない。ということはやはり――)
――自分達が到着する前に乖離を起こし、消滅した可能性が高い。
知らずジェイドの表情が険しくなる。
そのとき、モルダを治療をしていた兵士とそれを手伝っていた彼女達の手が止まった。どうやら治療が終わったらしい。
ガイが意識を失っているモルダを運ぼうとすると、手が空いていた兵士達が慌てて駆け寄り、「自分達がやります」と言った。身分の差を考えればそれは当然のことであったが、ガイは一言礼を言って彼らにまかせることにしたようだ。
兵士二人に抱えられ、モルダが陸艦へと運ばれて行く。それを見送っていたアニスが、くるりとジェイドを振り向いて今後のことを聞いて来た。
「大佐ぁー。これからどうするんですかぁー?」
「そうですね。粗方収容し終えたようですし、グランコクマへと戻って今後どうするかを決めましょう。ここには兵士を何名か残しておきます。まだ調べたいこともあるのでね」
(それに、彼の行動にも気になる点がある)
――モルダの行動は何かがおかしい。
言動と行動があちこちと食い違っているのだ。
代表例を挙げるとすれば、「レプリカを消す」と明言し、またそれに伴う行動も行っているというのに、アジトにはレプリカ研究室があることだ。洗脳したレプリカを創りたいのであれば別にそんなものを作らなくとも、各地にいるレプリカ達を攫った上で邪視と呼ばれる能力を持つカルサが洗脳を行えば済むこと。実際それも行っていたようだと報告もあった。わざわざ一から創る必要などない。
それにシリカを創った理由も気になるところだ。
しかしその原因を知っているであろう本人以外の人物の内、一人は消息不明。残りの二人は、現在ベルケンドへと向かっている。
さてどうしたものかとジェイドが溜息をつこうとしたとき、そういえばアッシュが小型通信機を身に付けたままであることに彼は気付いた。
「リド。先程の通信機ですが、ベルケンドにいるアッシュと連絡を取ることは可能ですか?」
「うーん……。アッシュが持ってるのは小型タイプだから、飛行中は無理かもね。音素が不安定だろうし。
あ、でも街に着いたらとれるかも?」
それでも連絡はとれるのかと、ジェイドは再び感心する。この少年の小さな頭の中に一体どれほどの知識が蓄えられているのか一度覗いてみたいものだなと彼が考えていると、不穏な空気を感じ取ったのか、リドが盛大に顔を顰めた。
「成る程、ならば向こうがあちらに着いた頃に連絡をとるとしましょう。その間に我々はグランコクマへと向かいます」
ジェイドの言葉を聞いた周囲が一斉に頷き、陸艦が停泊している場所まで移動を始めた。
さくさくと雪を踏みしめる音が辺りに響く。
一段落ついたおかげか、女性三人組は歩きながら何事かを話していた。声質から察するに、さほど真剣な話ではないようだった。
その後ろを男三人組がついて歩く。
「そういえばリド。洞窟に入る前から姿を消していたようですが、一体どちらへ?」
「あぁ。ちょーっとケテルブルクへ、ね♪」
「お前、まさか――」
「譜業マニアとしては一回りしておかないとね~」
んっふっふーと怪し気な笑みが、少年の顔に浮かぶ。
「いやー色々と参考になったよ! レムの塔にも娯楽施設作ろうかなー」
そうやって話す彼の顔はきらきらと輝いていた。その隣ではガイが「お前、未成年だろう……」と頭を抱えている。
二人のやりとりを目にしながらジェイドは思いを馳せる。
――早く世界が、こうなれば良い。
被験者とレプリカが笑い合って、同じ土地に、空気に、共存出来れば良い。夢物語だと言われるかもしれないが、それになるべく近付けたいと彼は思う。
(夢、などと……私も変わりましたね……)
二人に気付かれないようにジェイドが息を吐くと、空気中に白い綿が生まれた。
(だが、それを悪いとは思わない)
悪くない、なんて以前の自分なら考えられなかったことだった。しかしレプリカである彼らと接していく内に、自分の中の何かが変わって行くことをジェイドは自覚していた。
恐らくそれは彼だけではない。ジェイドの隣で話しているガイや、前方を歩いているティア、ナタリア、アニスを含め、レムの塔にいるあのレプリカ達も。そして、今はここに居ないあの赤い髪を持つ二人にもきっと同じことが起こっているはずだ。
――レプリカの街。
ジェイドの頭の中で急速にその単語が浮上する。
そうだ。ルークを助け出せたことで、ようやく工事を再開することが出来るのだ。
しかしこのままでは駄目だ。〝リア〟を生贄《スケープゴート》としても、その牽制は一時的なものに過ぎない。そのままではいずれまた〝リア〟と同等、もしくはそれ以上の反レプリカ組織が出来上がるかもしれない。
――それを阻止するために必要なことは何か。
彼の脳内でありとあらゆる知識と情報が駆け巡る。
(やらない、やれない――ではもう済まない。やらなければ、何も変わらない)
レプリカ達との共存を実現する第一歩として、行わなければならないことが彼の頭の中に浮かぶ。
ただ、それを彼らだけで行うことは出来ない。しかし同時にそれは彼らにしか出来ないことだった。
「これからが本番、ですかね」
この先にある忙しさを考えると溜息が出そうになるが、それとは裏腹にジェイドの口元には柔らかな弧が描かれていた。
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