ルークとラズリの二人が、タタル渓谷へ向かうほんの少し前のこと。
ローレライは、聖なる焔の光の片割れであるルークとの通信を切ったあと、目の前に横たわるもう一人の片割れである青年を興味深げに見詰めていた。
身体の構築は無事終わり、精神《記憶》の固定も難なく終わって、あとは目覚めるのを待つばかり。
『ふむ……』
しかし、何故こうもこの青年は難しそうな顔をして眠っているのだろうか?人間というものは――例えば、あの愛し子の片割れを一から構築したときのように、もう少し安らかな寝顔で眠るものではなかったかとローレライは思う。
目の前で眠っている青年は、顔を紅潮させながら眉間に皺を寄せるという、器用な芸当で眠り込んでいる。もう少しで両の眉がくっつくのではないだろうか――とローレライが思ったところで青年の身体が僅かに動いた。
「……の、……屑がああああああああああああ!!」
――目覚めは最悪だった。
アッシュは湧き上がる感情のまま叫びながら、勢いよく身体を起こす。
――夢を見ていた。しかもとんでもない夢を。
ぜぇぜぇと口から荒い息が出る。その額にはうっすらと汗が滲んでいた。
彼はそれを自覚しながら、何だってあんな奇天烈な――己のレプリカが女性化した上にあまつさえ自分に色仕掛けを仕掛けて来る――夢を、とアッシュが考えたところで首を捻る。
(……夢?)
死んでからも夢は見るのだろうかと彼は思ったが、そうではないことに気付く。
――動く。動いて、いる。
「ここは――!?」
『……目覚めたか』
驚愕を隠せないアッシュの頭上から見下ろしたように降り注ぐ声。彼にはその声に嫌というほど聞き覚えがあった。
その声の主には、何しろ死ぬ直前まで関わっていたのだから!
「ローレライ……。ここはどこだ。俺はあのとき死んだはずだろう!」
そう、確か自分はあのとき、エルドラントで何人かの兵士の剣に刺されて絶命したはず。「後のことは頼む」と、あの朱い存在に言い残して――だというのに、これは一体どういうことだとアッシュは混乱する。
死んだはずの自分には身体があり、呼吸をし、止まっていた心臓は再び鼓動を刻んでいる。自分はどの道、〝大爆発〟によって消えるはずだった。しかも自分――被験者――がレプリカに吸収されるという形で。
『お前はどうやら、大爆発の原理を勘違いしていたようだな』
「……何だと?」
『確かに大爆発を起こすと、被験者に緩やかな音素乖離が発生するが、それは被験者が死を迎えるという意味ではない』
動揺しているアッシュに、ローレライが大爆発についての説明を始めた。
大爆発は第一段階として被験者に緩やかな音素乖離が発生する。その状態で被験者が死亡した場合、第二段階に入るという。第二段階に入ると、被験者とレプリカの間に特殊なコンタミネーション現象が発生して被験者がレプリカと融合を始める。被験者と融合したレプリカは、被験者とレプリカの両方の記憶を持ち、人格は被験者のものとなる。――つまり、結果的には〝被験者がレプリカを吸収する形〟になると言うのだ。
第七音素集合体によって聞かされたその事実に、アッシュは愕然とする。
――ざわざわと背筋を這うこの感情は何だ。湧き上がるこの熱情は何だ。
『……〝ルーク〟……』
「……うるせぇ! その名で呼ぶな!! それはもう俺の名前じゃない、俺は〝アッシュ〟だ!」
――何なんだこれは、この状態は。
(死んだと思ったら生きていて、この身体を構成しているのは、ほとんどあいつの音素だと!?)
しかも最終的には被験者がレプリカを吸収する、などと。
(俺は、俺があいつに食われると思っていた。だが食ったのは、俺の方だったのか……!)
両の拳が震える。頭の中が沸騰しそうだ。
その原理が事実ならば、結果的に行き着く答え。それは信じたくなくても、受け入れなければならないこと。
――あの朱が、もう居ない、なんて。
「ふざけるな……! こんな……俺はこんな結末を望んでいたわけじゃねぇ……っ!!」
あれだけ居場所を奪ったと散々詰っておきながら、今度は自分がその場所を奪い、さらにその人格を食って生き残り、彼が在った事実として残るのは彼の記憶だけだという。その事実がアッシュにはすぐに信じられない。
――記憶。
そこで彼は、はたと思い当たり、それを確かめるように己の記憶を隅々まで辿る。しかしどれだけ探しても、そこにあるはずのものが――ない。
そう、ないのだ。
どれだけ頭の中の記憶を探っても、アッシュのレプリカである〝ルーク〟の記憶がない。
「おい……大爆発の原理が正しいなら、俺の中にはあいつの記憶があるはずだ。だが、俺の中にそれらしきものはない」
『気付いたか……。察しの良いことよ』
記憶がない事実に、アッシュは僅かな希望を見付ける。もしかしたら、ひょっとして、という祈りにも似た思いが彼の脳裏を掠めた。
「……どういうことか、説明してもらおうか?」
アッシュはぎらりとした視線をローレライに向ける。 同時に、普通の人間ならば怯えて逃げていくほどの殺気も乗せて。
――言いわけは通用しない。いや、させない。
しかしその獰猛な気迫を向けるには、どうにも相手が悪かった。
視線で射抜こうにも向こうは意識集合体という実体がない存在。さらに加えるならば、その相手は物凄く〝マイペース〟であったのだ。
『そろそろ時間だ。お前を下界へと降ろす』
「待て! 質問に答えやがれ!!」
ローレライはその怒りのこもった視線をものともせず――というか聞いてもいない――、問答無用で彼を下界へ送ろうとする。
いつの間にかアッシュの身体の下にあった円陣が薄くなり始めていた。それが薄れていくと共に、彼の意識もうっすらと掠れていく。
「逃げる気か……この……!!」
アッシュは気力を振り絞って何とか抗ってはみるものの、彼よりも遥かに強いその力には適わない。心の中で精一杯の悪態をつき始めたアッシュに、それを聞きあぐねたローレライがこれで最後だとばかりに言葉を発した。
『お前が求める聖なる焔の光は、〝新たなる光〟を伴い、〝新たなる場所〟で息づいている』
「な……に!?」
『我が少々手を加えておいた。……探すなら探してみるが良い。ただし、あれはお前と、あれの仲間達と会うことを良しとしてはいない 』
「どういう……意味だ……、それに……何故……」
『お前に話すか……か?……我は〝あれ〟にも、幸せになって欲しいと願っているからな』
その言葉を最後に、薄い緑色をした円陣がふわりと消える。同時にその場に横たわっていたアッシュの姿も消えた。
あとを追って意識を飛ばしてみれば、どうやら無事下界に降ろせたらしいとローレライは判断する。
『これで一先ず……〝ルーク〟との約束は終えた』
騒がしかった空間が一気に静かになる。
降ろした先ではあれの仲間達が出迎えてくれるだろうと、ローレライは実体がない代わりにその炎をゆらりと揺らす。
そうして、これからの二人の愛し子達の行く末を思って柄にもなく願った。
――世界に殺された愛し子達よ。どうか……幸せに、と。