悔やんでも悔やみきれない想いは、
いつまでも昇華されることはなく。
「ラズリが戻るまで、別室で私達の今後について話し合いましょう」とのジェイドの申し出に、
自分達はルークのいる部屋を離れて移動していた。
金色の前髪が視界の隅にチラつくのを捉え、そろそろ髪を切るべきかと悩む。
そうしている間に、すでに先頭を行くジェイドの姿は見えなくなっている。
それに追い付こうと足を少し速めた時、後ろから聞こえて来ていた足音がぴたりと止んだ。
こちらが歩みを進めても、それは一向に付いて来る気配はない。
首を傾げて訝しみながら後ろを振り返った。
すると、その先にあった光景に思わず吹き出しそうになるのを堪える。
(本当に分かりやすい奴だな……。背中が泣いてるぞ)
紅色の髪が、ルークとラズリのいる部屋を向いたまま緩やかに靡いている。
その姿があまりにも寂しそうで。
まるで主人を待っている犬のようだなと思い、くすりと笑う。
もちろんそんなことは口に出さない。
そんなことをしようものなら、彼が顔を真っ赤にして怒鳴って来ることは目に見えているからだ。
「……気になるのか?」
自分の問いかけに少しだけ彼の背中が揺れる。
続いて聞こえて来たのは、それに対する彼らしい答え。
「別に……」
嘘つけ、と喉の奥で密かに笑う。
(気になって気になって仕方がない癖にこいつは……)
――何と不器用なことだろう。
旅をしていた時はもっと上手く立ち回っていたように見えたが、あれは自分の気の所為だったのだろうか。
ルークのことにしても、目が合えば絶えず衝突を繰り返していたのに、
それにしては頻繁にルークの前に姿を現していたように思える。
きっとあれは、互いの存在を主張する為の一種の表現だったのだろう。
言い換えれば……そう、兄弟喧嘩のようなもの。
もっと深い所で言うのならば、捻くれた愛情表現といった所か。
見た目にはそっくりでも、中身はまったく似ていない二人。
互いに譲り合わないその姿勢とは裏腹に、惹かれ合っていたのもまた事実で。
そして再びこうして出会えた今でも、知らずお互いを呼び続けている。
周囲はとっくにそれに気が付いているというのに、当事者である二人は未だにそれに気付いていない。
その様子は傍から見て微笑ましくもあるが、同時に歯がゆくもある。
「……皆には上手いこと言っといてやるよ」
「……ガイ?」
アッシュが眉を潜めながら自分の名前を呼んだ。
(あの時はこんな風に二人で話す、なんて考えたことなかったのにな)
自分はルークの幸せを願うと同時に、ここにいる紅色の彼の幸せも知らず願っている。
自分がこうしてここに居られるのはルークのお陰ではあるが、
アッシュが居なければルークと出会うことはなかったのだ。
これは二人が姿を消していた時間に、充分に思い知った。
当時、彼らを取り巻いていた世界はあまりに厳しく、過酷なもので。
自分達はそれを分かっていながら、どうすることも出来なかった。
世界中の独り善がりな想い達が、二人を窮地に追い詰めてしまったのだ。
だからその分……いや、それ以上に彼らには幸せになって欲しい。
『償いではないのか』と言われてしまえば、それを否定することは出来ない。
所詮、この想いも独り善がりなものでしかないのかもしれない。
だけど、それでも。
この不器用な幼馴染達の幸せを、願わずにはいられないのだ。
――では、彼らにとっての幸せとは?
もう片方の不器用な幼馴染は以前、「アッシュが幸せなら良いんだ」と嬉しそうに笑っていた。
恐らく目の前にいるこの幼馴染も同じようなことを考えているのだろう。
(……でも、それじゃ駄目だろ?)
一人では駄目なのだ。
〝二人が〟幸せにならなければ。
――〝二人で〟幸せにならなければ。
どちらか一方だけ……などという幸せなど、二人にとっては幸せではない。
そんな幸せは、許してやらない。
「……行って来いよ。気になるんだろ?」
「別に……俺は……」
彼がこういった部類において、誰かに背中を押されなければ動かないということは最近知った。
放っておいても、どこかの誰かと同じようにいつまで経ってもその場から動こうとしない。
(まったく……こんな所ばっかり似ててもなぁ……)
やれやれ、と内心で溜息をつく。
「じゃあ、〝俺からのお願い〟だ。皆も首を長くして待っていることだろうしな。
だから、二人の様子を見て来てくれないか?」
「それなら構わないだろう?」と念を押すと、仕方が無いとでも言うように承諾の頷きがされる。
そして「先に行っていてくれ」と言い残し、アッシュは二人がいる部屋へと踵を返した。
「手間のかかるお坊っちゃんだよ、まったく」
残された自分はそう言って苦笑を漏らすと、さあどういう風にあの軍人に説明するかを考えながら、
仲間達が向かった別室へと足を向けた。
廊下に響く靴音が、いつもよりうるさく聞こえる。
ここから二人のいる部屋まではそう遠くはないというのに長く感じてしまうのは、無意識に緊張しているからだろうか。
ガイに「様子を見て来い」と言われて、安堵すると同時に情けなくも思う。
そうやって理由を付けてもらわなければ、自分はここへと来られなかった。
先程から『行け』という声と、『留まれ』という声が交差してがんじがらめになっている。
自分の中にあるほんの小さなプライドが、隠された願望を押さえ込んでしまっていた。
かつりと靴音を響かせて部屋の前で止まる。
静かに深呼吸をした後、ぎゅっと握った右手をゆっくりと上げる。
そしてそのまま目の前にある部屋の扉をノックしようとして、その手が止まった。
室内で話している二人の声が聞こえた所為だった。
いきなり入って話を中断させてしまうのも悪い。
そう考えた自分は部屋へ入るタイミングを図るべく、息を殺しながら二人の会話に耳を向けることにした。
「ラズ、ラズ、どうしよう……」
「ルキア、落ち着いて。……どうしたの?」
あやすように髪を撫で、優しく問い掛ける声。
「俺、男だったのに女になって、それでも良い加減中途半端なのに。ううん、それは良いんだけどさ。
その……男だった時は平気だったことが、今は……怖いんだ……」
「……何が怖いの?」
不安そうな声が聞こえる。
「え……と……。アッシュのことが……怖い……」
――ビシッ
それを聞いた瞬間、自分の中の何かに亀裂が入る音がした。
――怖い? 自分が?
確かに……会う度に不機嫌そうな顔はしていたかもしれない。
いや、ほとんど怒鳴っていたようにも思える。
それにあいつの前で笑ったことなどないし、話し掛けても必要事項だけだった。
そして最後にはいつも口論で終わっていたような気がする。
そうして今までの己の行動を振り返り、自己嫌悪に陥りかけた。
記憶を失っている今のルークにとって、自分が怖いと思われても仕方がない。
実際、そう思われても文句が言えない程の行動しかとってこなかったのだから。
「ううん、アッシュ……だけじゃない……」
しかし続いて言われたルークの言葉に、先程の発言が杞憂であることが分かり、とりあえず胸を撫で下ろした。
(だが……俺だけじゃないとはどういうことだ?)
気配を悟られないように聞き耳を立てる。
傍から見れば立派な不審者になるのだろうが、幸いここには自分以外誰も居ない。
「ひょっとして……大佐やガイも含めた男性全般?」
「うん……。ガイもジェイドも、頭の中では安全だって分かってんだけどさ……。
どうしてだか近くにいるだけで、身体が震えて来るんだ」
詳しいことは分からないが、それは恐らく精神的なものから来る一種の男性恐怖症に陥ったのかもしれない。
(当然といえば、当然のことなんだろうが……)
あれ程の暴行を受けたのだ。
何らかの後遺症が残るだろうと、ある程度の予測はしていた。
だが実際にそれを目の当たりにすると、やはり辛いものがある。
「私や、ティア、ナタリア、アニスを含む女性が近付くのは平気?」
溜息をつきかけた自分と同じ答えに行き着いたラズリが、続いて聞いていた。
「ラズは平気だから、女の人は大丈夫なんだろうなって思ってたんだけど……。
ティアとナタリアとアニスは……男よりはマシだけど、それでも何か……ちょっと怖いみたいだ。
研究所にいる女の人は平気なのに……何でだろう……」
その言葉を聞いて、ふっと頭の中に浮かび上がるある記憶。
(……ひょっとしなくても、アクゼリュスの件だな……)
それは自分にとっても忌まわしい記憶の一つ。
もしあの時に戻れるのならば、当時の自分を殴ってやりたいとさえ思う。
――本当に、あんな方法しかとれなかったのか。
皮肉なもので、ここへ来て当時の行動に色々と後悔をしている。
しかし殴りたいと思ったのは自分だけではない。
騙されていたとはいえ、数万人の命を奪ったルークを仲間達は一度見捨てたのだ。
様々な事情はあれど、生まれて七年しか経っていない子供をよくもまぁあれ程責められたものだと思う。
……自分を含めて。
あの女性三人が怖いというのは、ルークの身体がそれを無意識に思い出している所為だろう。
ひょっとしたらガイとジェイドが怖いと言ったのにも、根元にはそれが深く根付いている所為かもしれない。
「でもな? 皆のことは嫌いじゃないんだ。身体は震えてるのに、心ん中じゃ皆ともっと話したいって思ってる」
明るく、しかし戸惑うような声。
「だから何か、ちぐはぐなんだ……。俺……どうなっちゃったんだろ」
「ルキア……」
「こんなんじゃきっと……、――に嫌われてるよな……」
ルークの声が段々とか細くなり、最後の方はよく聞き取れずに終わる。
二人の会話はそれで途切れてしまったようだ。
しん、とした空気が辺りを包む。
いつまでもこうしてる訳にはいかないと、覚悟を決めて自分は顔を上げた。
これではまるで盗み聞きをしているようなものだ。(実際そうなのだが)
躊躇っていた手を再び扉に向け、静かにノックをした。
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