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第六章 Stagnate 09
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第六章 Stagnate 09




名を呼ぶことすら許されないのか。

どれだけの謝罪をすれば、許されるのだろう。




――『俺もここに残る』――

さらりとアッシュがそう宣言した後、まずはラズリが目を見開いた。
だが彼の表情から何かを察したのだろう、彼女はあえて何も言わずにルークの反応を待っていた。

アッシュが「ここに残る」と言ったのは、ただルークの傍に居たいという想いだけではない。
その右手に触れるのは、ローレライの鍵の柄。
治療が進み、〝ルーク〟へと戻るきっかけのようなものがあれば、
彼はすぐさま空で優雅に漂っているであろう第七音素集合体様に連絡するつもりでいる。

それをいち早く察知し、行動する為にもここに滞在していた方が何かと都合が良いのだ。
そしてこのことはギリギリになるまで誰にも言わない方が良いだろうと、アッシュは考えた。

「うん。じゃあラズとアッシュがここに残……ってえぇ!? 
ラズが残るのは分かるけど、何でアッシュまで残るんだよ!?」

しかし案の定ルークはまだ事態が掴めていないのか、一体何を言っているのかと慌てていた。
それを聞いたアッシュはルークの言葉の中にひっかかりを感じ、その眉間に皺が寄る。

(そう言うだろうとは思っていたが……)


――『まで』、はないだろう『まで』は。


「……お前の治療の為に残るんだよ」

「へ? 何で?」

まるで分からない、といった風なそれを聞いた瞬間、アッシュとラズリは同時に溜息をついた。
そのタイミングの良さに、互いにこいつとは気が合いそうだと感じる。

「……っち、……まぁ、良い」

聡いラズリには、とっくの昔に彼の考えが読めていることだろう。
問題はまったくそれを察することが出来ないルークの方だ。
頭の上にクエスチョンマークを飛び交わせている彼女に、
アッシュはなるべく分かりやすいようにと親切丁寧な説明を始めた。

「お前はこれから、外に出ても平気で居られるようにする為に、ここで治療を始めるんだろう?」

「う、うん」

「外に出たら、人と触れ合う機会があることは分かるな?」

「うん」

ルークは頷きながら、大人しく彼の説明を聞いている。

「……ということはだ。男と接触する機会もあるってことだろうが」

「あ」

その時点でようやく、今気付いたとばかりにルークが大きく口を開ける。

「……そこでお前がガタガタ震えながら話しでもしてみろ。お前と話している男はすぐさま捕らえられるぞ。
第三者からは、どう見ても〝怯えている女性に話しかける不審者〟にしか見えんからな」

「だよなぁ……」

ルークは「あちゃあ」といった風な表情をして頬をかく。
彼女は本当にアッシュに言われるまで気付いていなかったようだ。
(ただ単に何も考えていなかっただけかもしれないが)

「だからここで少しずつ男に慣れるように練習していくんだよ。
だが、研究室の連中は付きっきりでお前の治療に付き合うほど暇じゃないだろうし、
お前もまったく知らない男と治療を進めるのは嫌だろう?」

「嫌って訳じゃないけど……迷惑をかけるのはちょっとなぁ……」

「……どうせ迷惑をかけるなら、まったく知らない奴よりも、気の知れた奴の方が良いんじゃないのか?」

「それは……まぁ」

「……で、それが俺になる訳だ」

「だから何でアッシュなんだよ?」

今いち分かっていないルークに、アッシュは再び溜息をつく。

正直、ここから先はこじ付けだ。
だからこそ、ここは有無を言わさぬ勢いで乗り切ってしまわなければならないと、彼は気合を入れる。

(それにしても、こうスラスラとここに残る為の理由が出て来るとはな……)

アッシュは己のどこにこんな才能があったのだろうかと驚いたが、
ひょっとしたらこういったことに秀でている人物が近くにいる影響かもしれない、と苦笑を浮かべた。

「ならば聞こうか。例えばその練習相手が、ガイやジェイドだったらどうする?」

「ガイ……はそっか、確か女性恐怖症だったな! さすがに元が男でも無理だろうなぁ……。
ジェイド……は、うわぁ何か別の意味で怖いんだけど、何でだろう……」

ルークはそう言うと、引きつった笑みを貼り付けて震え出す。
しかしアッシュ自身もあの軍人にはまったくといって良い程良い記憶がなかった為、深く追求はしなかった。
どうせあの嫌味ったらしい笑顔と口調で、過去に何かを言われたことがあるのだろうと推測する。

「まぁ、それもあるだろうが……。あの二人にはやることがあるだろう。
もちろん、ガイと眼鏡だけじゃなく、ナタリア達にも。……レプリカの街は、まだ建設途中だからな」

こじ付け、とは言ったものの、彼の言うことは間違っていない。
レプリカの街が完成するまであそこは油断を許さない状況であるし、
また〝リア〟のような反(アンチ)レプリカ組織がいつ動き出すとも限らない。

そういった理由では、一刻も早く街を完成させる必要があるのだ。
そして街を完成させる為には、レプリカと人間との〝仲介役〟が必要不可欠。
アッシュを含む仲間達はその大きな役割を背負っている。

それに、街を完成させた後もやらなければならないことは残っている。
レプリカの街の存在を世界中に知らしめ、
彼らに敵意を抱いている人物達からレプリカを保護することを確立させなければならない。
むしろそちらの方が、アッシュ達の役割として重要なのかもしれない。

「そっか……。皆頑張ってくれてるもんな!……ん? じゃあアッシュもやることあるんじゃねえか!」

ルークに「確かお前、キムラスカ王国の王族だったろ?」と続けられ、アッシュの胸が痛む。
続けてその痛みを通り越して苛立ちが湧き上がったようだが、彼はそれをぐっと抑える。
そして、「どうしてそんなことだけ覚えているのだ」という言葉を飲み込み、ルークを諌めた。

「阿呆。じゃあ誰がお前の治療を手伝うんだ」

「んなっ!?」

ルークは彼からの予想もしなかった暴言に、「阿呆はねえだろ!」とむっとした表情になる。

(……先の『まで』扱いの仕返しだ)

ここまで来ると、アッシュはもう後へは引けないと思った。
仲間達(特にあの軍人)から何を言われるかを考えれば気は重いが、
かといってこのままルークを放っておくことなど出来ないと覚悟する。


――逸る心。

――焦る心。

――どうして?


「それに俺の公務は、今の所特に差し迫ったものはないし(半分以上嘘だ)、
大体のことは王女であるナタリアが居れば事足りる。
となればあの中で比較的忙しくなく、かつ、お前が知っている男で、何の障害もないと思われるのが……俺だ」

「でも……」

(まだ渋るのかこいつは……)

戸惑うような、迷うような小さな声に苛立った彼の眉間に、段々皺が増えて来た。

それ程己は嫌われているのだろうかという思いが彼自身を苛[さいな]む。
次いで胸に小さな痛みが走るが、ここまで来て今さら引くという訳にもいかない。

「何だ? 俺じゃ不満だとでも言うのか? そうか、それは残念だ。じゃあ眼鏡にでも頼むとする……」

「わー! わー!! アッシュが良いっ! アッシュが良いですっ!」

彼の代わりにジェイドが、という言葉はさすがに効いたらしい。
ルークは慌ててアッシュがここに残ることを了承する。

それを聞いた彼は、にやりと心の奥で笑う。
同時に、「アッシュが良い」と言ったルークの言葉に喜びを感じていた。


――何故?


「最初っからそう言や良いんだよ。間抜けめ」

溜息混じりにアッシュがそう言うと、ルークはぷくりと頬を膨らませる。

「アッシュのいじわる……」

そして少し涙目になりながら上目遣いで彼を見上げた。

――その時の表情といったら!

本当に視力を失っているのかと疑いたくなる程、的確にアッシュを捉えるその瞳。
今は焔色となっているが、僅かな涙がそれを潤している。
長い睫毛は儚さを増長すると同時にその可愛らしさも際立てており、
ぷっくりと膨れた頬は、小さく引き結ばれた桃色の唇を引き立てていた。

後ろで黙って二人のやりとりを見物していたラズリは、手で額を抑えて溜息をつく。
この場に無類の可愛い物好きであるティアが居たならば、確実に気絶寸前まで追い込むようなその威力。

(これを無意識でやるものだから……不埒な連中が寄って来ていたのよね……)

ラズリは二人で旅をしていた時のことを思い出す。
あの頃はよく、ルークと何とかお近付きになろうと近寄って来る男共を、
蔑[さげす]みを秘めた冷酷な瞳と、手に握り込んだ剣で牽制をしていたものだ。

彼女はちらりと視線だけを動かしてアッシュの様子を窺う。
さすがの――彼が得意とする鉄壁の眉間の皺も、ルークの無防備な拗ね顔には適わなかったようだ。

それを直視した彼の口は何事かを呟きながら、その頬には僅かに赤みが差していた。
数秒後、何とか立ち直った彼はそれをごまかすようにコホン、と咳払いを一つした後に気を取り直して話を続ける。

「……っそれに早いとこ完治しねぇと、完成したレプリカの街を見ることが出来ないだろうが」

――完成したレプリカの街。

その言葉を聞いた途端、ルークは先程の膨れっ面から一転、花も綻ぶ様な笑顔になった。

「あ……そう、そうだよな!……うん、俺頑張るよ! レプリカの街が完成した所、やっぱ見てみたいし!」

にこにこと本当に嬉しそうに笑いながら言うルーク。

それを見ていたラズリが、『あ、これは危ないな』と今までの経験から遠くで思う。
何しろルークの上目遣いから、流れるような全開の笑顔という攻撃(コンボ)を被[こうむ]ったのだ。
恐らく彼にとっては一溜りもないはず。

実際、過去何人もの男が彼女の笑顔にやられている。
その度にラズリは不埒な男達を何人も叩きのめして来たのだ。

そしてそれはアッシュも例外ではない。

彼は手を口に当て、顔を隠すように俯いて何かに耐えているようだった。
心なしか耳も赤くなっている。

(……完璧に落ちたわね……)

必死で堪えようとしているアッシュを見ながら、ラズリは冷静に状況判断をした。

「――っ、……とりあえず、俺もここに残ることを連中に伝えて来る」

恐らく味わったことのないそれに耐えながら、
それでも動揺したことを悟られることなく言葉を発したことについては、褒めてやるべきだろうか。
……いや、褒めてやるべきことは他にある、とラズリは思う。

それは彼がここに残るという行動と、その理由だ。

確かに、男性恐怖症というルークの症状はこれからのことを考えると早期に治療を行った方が良い。
記憶と視力が戻っても、男と話せないというのは今のルークの地位からみても致命的だろう。
〝世界を救った英雄〟、〝レプリカ達を救済して回る蒼炎の守り神〟、
そして……〝ルーク・フォン・ファブレのレプリカ〟。

その他にも色々な意味で有名となってしまった彼女が、男と話せないという弱点を持つことを知られてしまえば、
それを悪用する者達も出て来る恐れがある。

では、治療の手助けをするのはアッシュでなくても良いのではないか?と思われるが、それは違う。
それはラズリとアッシュがここへ残ろうとしているのと同じ理由だ。
まったく面識のない人物に治療をさせるより、ある程度認識のある人物に治療をさせた方が、
ルークにとっても仲間にとっても安心だと言える。

何も研究所にいる人間が危険だという訳ではない。
しかし今回の〝リア〟騒動の件も踏まえれば、もし何事かの異変が起こった時、
ルークの身の安全を確保し、迅速に対処出来る人物である方が好ましい。
簡単に言えば、ボディーガード兼治療役といった所だ。

それに当てはまるのは、アッシュを含む男勢。
しかしガイは女性恐怖症、ジェイドはレプリカの街の完成と今後の情勢に向けてなくてはならない人物。
その二人を省けば、必然的に残るのはアッシュだ。
そう。彼が適当につらつらと述べた事項は、実はとても理に適っていたのだ。

それと、もう一つ。
ルークの治療を行うにあたって、彼が適している決定的な理由がある。

それは前記にも挙げたが、彼の腰に挿されているあの剣だ。
レプリカの身体の全てを構成する第七音素の起源。

先程ラズリは仲間達と談笑している際に、奇妙な波動を感じていた。
あれは恐らく、第七音素の源がアッシュと接触したことによるものだろう。
アッシュがここに残ろうとしているのも、
何らかのきっかけがあればすぐにその力を借りるつもりでいるのかもしれないと、ラズリは考える。

全ては憶測に過ぎないが、彼女の中でそれは確信に変わっていた。
そうして彼女が熟考している間に、ルークの方からラズリの方へと向きを変えたアッシュは、
いつの間にかいつもの表情に戻っていた。

「ラズリ、……話しの途中で邪魔をしてすまなかったな」

彼はそう言ってルークに背を向け、部屋から立ち去ろうと扉へと歩いて行く。
その背に「また後でなアッシュー」とルークが声をかけていたが、果たして彼の耳に届いただろうか。

何も反応がないことに不安を感じたのか、足音を頼りに見送るルークの表情が翳る。
そして静かにドアが閉まると、二人だけの部屋に再び静寂が訪れた。

ルークは扉のある方に視線を固定したまま、どこか寂しそうな表情をしている。
それに気付いたラズリがルークに対して問いかけた。

「ルキア……どうかした?」

「……なぁ、ラズ。アッシュは何で……俺を〝名前〟で呼んでくれないのかな……?」

そう小さく問われたことに、彼女はすぐに答えを返せない。
ラズリには、アッシュの心情が手に取るように分かるからだ。

答えに詰まった彼女は「どうしてかしらね……」と小さく返し、
続いて「私も皆と話して来るわね」とルークに告げて部屋を後にする。
仲間が揃う部屋へと足を向けながら、ラズリは名を呼ぼうとしない彼の心情に思いを馳せた。

アッシュが〝ルキア〟と呼ばないのは、彼なりのささやかな抵抗。
今の彼が〝ルキア〟と素直に呼べるはずもない。


彼が望み欲しているのは、〝ルーク〟なのだから。



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ちおり
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自己紹介:
赤毛2人に愛を注ぐ日々。