胸の奥底から聞こえる声。
それを認めてしまうのが怖くて、いつも目を逸らしていた。
ここへ残る理由を半ば強引に作った上で滞在することを決めたアッシュは、
ジェイド達が集まる部屋でそのことを話すつもりでいた。
――が。
(これは一体どういうことだ……)
アッシュが部屋へと足を踏み入れた途端、物凄い笑顔のアニスがその腕を掴み、
部屋の中心に座っているジェイドの目の前へと誘導すると、そのまま強制的に着席させた。
その後に遅れてラズリが入って来たが、さすがの彼女もその部屋の異様な雰囲気に戸惑ったようだ。
ラズリはその場で少し悩んだ末に、
部屋の中央に腰掛けている二人を取り囲むようにして立っている仲間達より若干後ろに立った。
周りからひしひしと刺さるような視線を感じながら顔を上げたアッシュの前には、
彼特有の笑みを貼り付けた赤目の軍人が鎮座している。
(……嫌な予感がする)
息苦しい沈黙が広がる中で、アッシュの本能がそう訴えていた。
「さて……アッシュ? 私達に何か伝えておくべきことがあるんじゃないですか?」
ジェイドはにこにこといつもの笑みを顔に浮かべ、意味深に問いかけて来る。
表面は至って普通に見えるが、ここ最近彼と共に行動したことで経験を積んだアッシュにはその腹の内が見えていた。
(恐らくそれは向こうも同じだろうけれど)
「あぁ、実は……」
ジェイドから湧き上がる威圧感に気圧されまいと、アッシュも持てる気力の全てを眉間のそれへと注いで力強く答える。
「俺も、ここに残ることにした」
アッシュがそう発言した後、部屋の中の体感温度がガクンと下がった――ような気がする。
それはラズリが部屋の扉か窓が開いたのだろうかと、思わず辺りを見回してしまった程だ。
しかしそれはただの思い違いだと、彼女はただならぬ気配を部屋の中央から感じ取ったことで知る。
アッシュの目の前に陣取る軍人は変わらず笑みを浮かべてはいるが、彼の特徴の一つである赤い目は笑っていない。
そして、一気に緊迫した雰囲気を醸し出すその二人を囲むようにして立つ仲間達。
それを見たラズリは、まるで彼が絞首台の上に立たされているような錯覚さえ覚えた。
ジェイドの(いっそ清々しいといっても過言ではない)笑顔にガイは苦笑を零し、
ティアとナタリアはなるべくそちらを見ないように視線を逸らしている。
アニスはその笑みが自分に向けられていないことが分かっている為か、
今まで誰一人として打ち破ることが出来なかったその笑みを浮かべる軍人に対し、
真っ向から牙を向けた勇敢なる若者が逃げ出さぬよう笑顔で見張っているようだった。
(成程……、これがアイツの言っていた『何か別の意味で怖い』という原因か……)
アッシュは早くも脱力しかけた肩に力を入れ直す。
何故こうも彼らはルークに対して過剰な程の力を見せるのか。
逆に言えば、それ程あの朱い子供が大事に思われているということだが、
それにしてもこの状態は一体何なのだろうと彼は思う。
「困りますねぇ、勝手にそんな話しを進められては。ルークは〝まだ〟あなたのものではないでしょうに」
「はーやれやれ」と溜息をつきながらさらりと嫌味を言うジェイドに、
「大佐ぁーそれって直球すぎますぅー☆」とそれを煽るようにアニスが言う。
テンポ良くアッシュに対して攻撃を仕掛けて来る二人に、彼は苛立ちを感じた。
以前、あの旅の途中でアッシュは彼らと共に少しだけ行動を共にする時があった。
その際に分かったことだが、この二人はなかなか良いコンビである。
特に人をからかう術においては、この世界においては上位に位置付けられるのではないだろうかと思う程の。
ルークのことを思うが故の発言だと頭で言い聞かせてはいるが、それでもやはり頭に来るものがある。
アッシュは怒りが集中しないようにと、眉間の皺を揉み解しながら声を絞り出した。
「……現状から見て、最良だと思われる判断を下しただけだぞ俺は……」
向けられる辛辣な言葉と視線に挫けそうになる心を叱咤し、アッシュは唸るように抗議を試みる。
「現状から見て……ねぇ。よくもまぁそんなことが言えますね」
しかし悲しいかな、その抗議は見事にジェイドに一蹴されてしまい、さらに彼からの容赦のない攻撃が始まった。
「どうせルークには、『自分は公務が比較的忙しくない』だの、『ガイや私にはやることがある』だの、
あなたにとって都合の良い理由でしか説明していないのでしょう?」
それを聞いたアッシュがぐ、と喉の奥へ声を詰まらせた。
見事に当たっているだけに反論が出来ない。
アッシュの背中に自然と冷や汗が浮き出ていく。
彼は必死に弁解を図ろうと頭をフル稼働させるが、その隙をついてジェイドが畳み掛けるように言って来た。
「すでに王位継承権は解消しているとはいえ、仮にもあなたはキムラスカ王国の〝元〟第三王位継承者です。
それに加えてファブレ公爵家に籍を置いている以上、決してあなたの公務が暇になることはありません。
事態の収束を考えれば我が国とダアト、ユリアシティとの連携も図らねばならないし、
街の保護に加えて外交対策も考えなければならない」
――あいつはいつも、このプレッシャーの中で旅をしていたのだろうか。
アッシュはジェイドの糸を引くような口上を遠くに聞きながら、
昔、『ぞろぞろ引き連れやがってうっとおしい』と思っていたことを、少しばかり訂正した。
「ラズリが残るのは良いでしょう。事実、今のルークは誰かが手助けしないと外を歩くことすら難しいでしょうし。
それに彼女の方が、ルークが〝ルキア〟となってから過ごしている時間が多い。
ですからラズリは、〝ルキア〟にとって今現在傍にいて唯一落ち着ける人物だと言っても過言ではない」
――あの旅を共に乗り越えて来た自分達よりも。
そう続けたそうに、ジェイドの目が寂しく伏せられる。
「……あなたがルークに説明したであろうことは、あながち嘘ではありません。
私達にはやることがたくさんあります。……いや、しなくてはならない。
しかもそれは、今の現状を最も理解している私達にしか出来ないことです」
ふ、とそこで息をついた後、ジェイドはゆっくりと顔を上げた。
しかしそうして視線を合わせた赤い瞳には、すでに先程のような翳りはなく、
獲物を狙う狩人の瞳へと見事に変貌を遂げていた。
「そんな状況下に置かれている今。
特別な理由もなく、若い衝動にまかせてあわよくばルークとの仲を綿密なものにしてしまおうという、
ただそれだけの理由であなたがここに残ろうとしているのならば、私はそれを許可する訳にはいきません。
あなたにもして頂かなければならないことは山程ありますからね☆」
(何気にさらりと凄いことを言ってないか? こいつは!)
ここで激昂などしようものなら、相手の思うツボだ。
これ以上この嫌味な策士に隙を見せる訳にはいかないと、アッシュは膝の上でぶるぶると震える拳を握り、
つらつらと並べられるそれにひたすら耐える。
対してジェイドは目の前で葛藤しているアッシュを面白そうに見詰めながら、
ふむ、と眼鏡のブリッジを押し上げて静かに聞いた。
「……あるのでしょう? あなたがここへ残りたいと言った〝本当の理由〟が」
――この人物は一体、どこまで見透かしているのだろう。
先程までの短い会話の中で、彼が心の内に秘めていたことをあっさりと読み取るその姿に末恐ろしいものを感じる。
そしてアッシュがそれをすぐに否定しないことで肯定ととられたのだろう、周囲の視線が一斉に紅い髪の彼に注目した。
こうなってしまえば、黙っている訳にはいかない。
逆に話さなければ、いつまで経ってもこの腹の底が見えない軍人はアッシュを解放しないつもりでいる。
事実、彼を射抜いている赤い目がそう物語っていた。
アッシュは張り詰めていたものを和らげるように、深く溜息をつく。
「折を見て話すつもりだったんだが……。仕方ねぇな」
それにこのまま隠していても、いつかは暴かれてしまうだろう。
その時にまた色々(ねちねち)と言われるよりは、
いっそのことここで話しておいた方が良いかもしれないと考え直す。
彼は左手で腰に携えている剣を剣帯から抜いた後、ゆっくりと机の上に置いた。
一同はコトリと小さく音を立てて置かれたそれを見てハッとしたように目を見張る。
一瞬の内に場の空気が変わった。
この様子だと、仲間達のほとんどが気付いたのだろう。
アッシュがそれで何をしようとしているのか。
「あいつの傍で様子を窺いながら、これで〝ルーク〟との接触を試してみるつもりだった」
アッシュの言葉に全員の顔が強張ったのが見えた。
その形状から〝鍵〟と呼ばれる剣――ローレライの鍵の向こう側には、
その名の通り第七音素集合体であるローレライがいる。
これが分かれば、この先はほとんど説明をしなくても良いようなものだ。
「……あいつの部屋にいる時、ローレライからの接触があった。
あの野郎が言うには、今のルークは第七音素に対するフォンスロットが閉じている状態らしい。
こじ開けることも可能だが、それをするとルークの精神が壊れる可能性があるようでな。
現状じゃ手を出すことが出来ないようだ」
解放された今でも、世界中の多くの人が崇め奉っているローレライを〝野郎〟呼ばわりするアッシュもアッシュだが、
それを当たり前のように聞き流している仲間達もなかなかの強者だ……と、
周囲から少しはずれた場所で成り行きを見詰めていたラズリは思う。
そして同時に、アッシュがルークのことを〝ルキア〟と一言も呼ばないことにも胸を痛めていた。
「治療が進むことで、第七音素へのフォンスロットが開くかもしれない。
もし開かなかったとしても、何らかのきっかけがあればすぐさま奴を呼び出すつもりだ。
……もっとも、第七音素が減少している今では、接触するまでに時間はかかるかもしれんがな」
彼の説明を黙って聞いていたジェイドが一つ頷く。
「成程。要はあなた方が以前使用していた回線を通じて、
〝ルキア〟の無意識下にいる〝ルーク〟の精神に対して呼びかけを行う、ということですね?」
「あぁ」
「ふむ……。ルーク自身に負担がかかるでしょうが、それしか方法はないようですね……」
どうやら彼なりに納得したものがあったらしい。
ジェイドの射抜くような視線の質が通常のそれへと変わり、彼の右手が顎に添えられる。
「それに今の状態のルークを放っておいても、ずっとあのままでいるような気がします。
あの子は自分の中に閉じこもるのが得意な子ですから」
ジェイドはその状態で器用に肩をすくめながら、「やれやれ」と苦笑交じりに呟いた。
二人の会話を黙って聞いていたガイやティア達も、同じように苦笑する。
――優しい子。
優しいが故に、世界に殺された子。
優しいが故に、自分の想いを外に出せなくなった子。
いつからか自分の為に泣くことを忘れ、いつも人の為に涙を流すようになった。
今も独り、膝を抱えて震えているのだろうか?
それを抱き締めてくれる人はいるのだろうか?
いつの間にか、ローレライの鍵から響いていた微かな鈴の音は聞こえなくなっていた。
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