滞っていた流れ。
堰を切ったようにあふれ出すもの。
窓から見える空は今日も綺麗だ。
心の底からそう思う。
そう、思えるようになった。
以前は分からなかった色々な感情も、今なら自分のものだと胸を張って言える。
今では〝蒼焔の守り神〟と呼ばれているあの二人に助けられ、
ここで〝仲間〟達と出会い、家族と言っても良い程親しくもなり。
レプリカの街の建設が始まってからは、前よりも一層、頼り、頼られながらの毎日を過ごしている。
たまには衝突をすることもあるが、この日常ではそれも些細なこと。
喧嘩や喧騒が起ころうものならば、誰かが必ず仲介をし、後腐れの無いように努めている。
――それこそ、人間社会 と同じように。
(良い……天気だなぁ……)
「……――!」
どこからともなく良い匂いが漂って来る。
誰かが菓子でも焼いているのだろうか。
「……ア……バー!」
あぁそういえばもうすぐお茶の時間だ。
青髪の彼女が淹れる紅茶は、特別に美味しいのだ。
それに加えて、微笑みながらカップにゆっくりと紅茶をそそぐ姿はとても可愛――
「アンバーってば!!」
「ぅわっ!!」
瞬間、頭の中に浮かんでいた微笑む女性の姿は消え失せ、目の前に黄緑色が広がる。
目にも鮮やかなその色は、呆けていた頭をすっきりさせるには充分な威力を発揮した。
「お……驚かすなよリド!」
早鐘のように打つ鼓動を収めながら、黄緑色の少年の名前を呼んだ。
名前を呼ばれた少年――リドは呆れたように言う。
「何回も呼んだのに、ボケてたのはそっちじゃないか。
ま! 大方〝誰か〟さんのことでも考えてたんだろうけど?」
「く……!」
当たっているだけに反論が出来ない。
「それより、ちゃんと進んでる? ジェイドに頼まれてた〝アレ〟。締め切り近いんでしょ?」
「……俺には、こういう作業は向いてないってことを痛感していた所だ」
はぁ、と溜息をつきながら自分は机に突っ伏した。
「まぁ……気持ちは分からないでもないけどさ……」
リドはちらり、と自分の机の上に積まれている物達を見る。
突っ伏している自分の横に積み上げられているのは、世界各国のありとあらゆる書物。
グランコクマから始まり、キムラスカにダアト、ひいてはユリアシティに至るまでのそれらは、
全て憲法や法律に関するものばかりだった。
何故、自分がこういった状態になっているのか。
――それはつい先日のことだった。
ジェイド達はルークらのいるベルケンドから離れ、それぞれの国へと戻る予定だったが、
何故か再びレムの塔へと立ち寄った。
ラズリのことを報告するという名目もあったようだが、ジェイドが自分に頼みたいことがあると言い出したからである。
この軍人様のこと、何か考えがあるのだろうと、ガイ達は文句を言わずに大人しくレムの塔に着いて来たらしい。
(言った所で、どうにもならないのは分かっている)
そしていつもの会議室にレプリカの主要メンバーを集めた後、開口一番にジェイドが言った台詞は――
「一ヶ月程、時間を与えます。それまでにここの〝規律〟を決め、書類にまとめて私に提出して下さい♪」
――だった。
それを聞いた自分達は一瞬呆け、「何故そんなものが」と彼に聞いた。
別にそういったものがなくとも、ここは統率が取れている。
それとも、自分達に何か問題があるとでもいうのだろうかこの軍人様は。
「私も型に嵌[は]めたくないとは思っているのですが……」
眼鏡を押し上げ、つらつらとジェイドの口から説明がされていく。
「無事ルークを救出し保護したことで、ようやくレプリカの街の工事が再開されることになりました。
このまま順調にいけば、半年以内には街は完成します。
ですが、それで終わりではないことは分かっていますね?」
赤い瞳が自分を貫く。
「……世界に、この場所を、そして俺達(レプリカ)の存在を認めさせる」
その射抜くような視線に負けまいと、声を高らかに宣言した。
それに満足がいったのか、彼の視線が弧を描く。
「そう、世界に認めさせる。以前、各国協議により街の建設の許可は下りましたが、
今度はここを〝独立〟させる必要があります。誰にも侵されることのないようにする為に。
分かりやすく言うのなら、あなた(レプリカ)達の〝国〟……といった所でしょうか」
「レプリカの国……」
それを聞いただけで、自然と己の表情に力が入る。
それは自分だけに留まらず、後ろに控えていたリドやレピドも同じだった。
「まぁ、国といってもあくまで世界の保護の下ということになるので、保護自治区と言った方が近いのでしょうが……」
「それでも悪い気はしないでしょう?」とジェイドが笑う。
「ここはすでに、我々が手助けをしなくとも効率の良い集団統率がとれている。
指導・教育、それを実行する為の資金調達ルートの確立。
難を言えば食糧事情が少し劣っていますが、これはまぁ許容範囲内です」
彼はそこまで言った後、再び眼鏡のブリッジに指を押し付けた。
「しかし仮にここが保護自治区となった時、それを維持する為にはある一定の規律が必要となって来る。
そうですね……例えば、ここの代表者を決めるとしましょう。さて、あなた達はどうやってそれを決めますか?
ここにいる主要メンバー達が独断で決めるか、それとも塔内にいるレプリカ全員に意見を問うか。
他にも方法はあるでしょうし、また、それをあなた達の考えのみで強行するといったことはしないでしょう?」
「もちろんだ。そういうことは全員の意見を聞いた上で決めないとな」
それを聞いていたレピドが納得したように「なぁる程」と頷いた。
「要は混乱しないように、規律というか……〝掟〟みたいなものを作れってことねェ?」
「そういうことです。各国に存在する法律、または憲法……と言った方が良いかもしれません。
これからここを維持するにおいて、絶対に必要となって来るものの一つですよ」
「確かに、そう言われれば……」
必要かもしれない、と顎に手を添えながら頷く自分に、ジェイドがいつものあの笑みを湛えながら言った。
「ええ、ですからアンバー? ぜひとも頑張って下さいね☆」
「――って言われてもさ……。どうすりゃ良いんだこの大量の書類……」
そう言って心底嫌そうに分厚い本のページめくるものの、そこにはびっしりと書き詰められた文字の羅列。
ある程度の読み書きは出来るようになっていたが、ここまで専門的なものとなると到底追い付けるはずがない。
自分はすでにそれらを読むことを放棄し、最低限の規律となるものを書類に箇条書きにしている状態だった。
といっても、ジェイドが言っていた代表者の決め方だとか、殺生や犯罪はしないなどといった、
ここで生きていく上での必要最低限の規律だけ。
それを考えるだけでもかなりの時間を要したというのに、ジェイドに言われた期日は刻々と迫ってきていた。
その所為か、段々と煮詰まって来た自分の口から自然と愚痴がこぼれ始める。
「それに、何でよりにもよって俺なんだよ!? もっと適した奴が他にいるだろう!?」
すでに頭の中は限界に達していた。
その矛先を向けることが出来ないジレンマを抱えながら、頭を掻き毟る。
「アンバーが一番この塔の中で皆に信頼されてて、しかもリーダーな上に、
この間の各国協議の時だって代表として行ってたでしょ? 規律を決めるのはアンバーが一番適してるんじゃないの?」
「それはそうなんだが……。それだと代表者は俺だけじゃない。ラズリもだろう?
というかこんな時に、こんなことしてる場合じゃないだろ。
……あーもう! ラズリがいたら代わりにやってもらうんだけどなぁ!!」
『おやおや、責任転嫁とは情けないですねぇ』
「――っ!?」
ぶつぶつと頭を抱えながら文句を言っていた自分の耳に、今一番聞きたくない人物の声が聞こえた。
恐る恐る声がした方に顔を向けると、リドの手に通信機が握られていることに気付く。
その視線に気付いたリドは、ぽんっと空いている手で自身の頭を軽く叩くと、
さも今気付いたかのように「あっ」と大きく口を開けて言った。
「あー、そうだった。そういえばジェイドから通信が来てたんだった」
「おいっ! それを早く言えっ!! っていうかお前それ絶対わざとだろ!!」
さああと顔から血の気が引いていくのを感じつつ、慌てて通信機を受け取り、そのままごくりと生唾を飲み込んだ。
恐らく、先程の会話は全て向こうに聞こえていただろう。
『規律決めの方は〝順調〟に進んでいるようですね♪』
自分は通信機の向こうに、さらりと爽やかな笑顔で圧力をかけて来る軍人の幻を見た。
背中に嫌な汗が伝っていくのが分かる。
「確か、通信機は緊急事態の時にしか使わないと決めていたはず……」
『嫌ですねぇ。規律の決定は街の統率力に関わる問題ですよ?
これを〝緊急事態〟と言わずして何と言うんですか☆』
無駄な抵抗だと思いつつも、小さな反抗を示して見たが、案の定至極楽しそうな口調でぺろりと返される。
『それよりも、先程気になることを仰っていましたね?』
その声質から、ちくちくと針を刺すような嫌味を言われるのかと覚悟していたが、
思わぬ所に話題を転換されたので、一先ず胸を撫で下ろした。
「気になること……? あぁ、『こんな時にこんなことをしてる場合じゃない』か?
……いや、こっちの問題だ。別にあんたが気にするようなことじゃないさ」
『ふむ……そうですか。まぁどちらにしろ、詳しい状況はそちらに行ってから聞くとしましょう』
「そちらにっ……て」
口元が引きつる。
出来るならばこのまま耳を塞いでしまいたい。
この先に何を言われるか、簡単に予測がつくからだ。
『あなたの宿題の進行状況も気になることですし、そろそろ期日も近付いていますからね。
皆さんと一緒に、出来具合を確認しに行かさせてもらいますよ』
「おいっ! ちょ……!!」
『あぁ、そうそうありえない話ですが……。
もし、それまでに宿題が出来ていなかったら……どうなるかはご想像におまかせしますね♪』
それを聞いた自分の顔色が、段々と青くなっていくのが分かった。
ぶつり、と途絶えた通信機を持ったまま、自分は魂が抜けたように放心する。
それを傍に立って見ていたリドは、そんな自分を気の毒そうに見詰めながら「お茶にしましょう♪」というラピスの明るい声に小さく返事を返していた。
PR