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第七章 Trigger 11
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第七章 Trigger 11




止まっていたのではなく、止めていたのだ。

その鎖をかけたのは、紛れも無く自分だった。




――不本意だ。

非常に不本意だ。

しかし、ラズリの言うことにも一理ある。
自分だっていつまでも逃げている訳にはいかない。

今の自分達に必要なのは、互いに歩み寄ること。
それは分かっている。

むしろ向こうは準備万端で待ち構えていることだろう。
結局の所、勇み足を踏んでいるのは自分だけだということだ。

(……良い機会だと思えば良い)

半ば無理やりに自身を納得させた後、
彼女から助言があった翌日に自分の寝床をルークの隣の部屋へと移すことを決める。
宿の亭主には彼女が言った通り、「これ以上迷惑をかける訳にはいかない」と適当に理由を付けておいた。

部屋を移動する前にその旨をルークに告げた所、見事にその顔が綻んだ。
嫌がることはないとは分かっていたが、まさかこんなに喜ばれるとは思っていなかった。
そのことが少しだけ、ほんの少しだけだが、自分の心を安らがせた。


そうして、自分がルークの部屋の隣で眠るようになってから数日が経った。

いつでも手が届く距離にいるという環境に慣れて来た頃、気になる現象が起こり始めていた。
それは夜――しかも草木も眠る程の時間になると、隣の部屋から小さな声が聞こえて来るのだ。

泣いているような、叫んでいるような。
聞こうとしないと聞こえない程の声。

余りに悲しそうなそれに何度も様子を見に行ったが、
ベッドの上で寝ているルークには何ら変化は見られず、また、魘されている風にも見えない。
ただ至って普通に安らかな寝息を立てているだけ。

辺りを見回しても声の発信源となりそうな物などは置いていないし、怪しい気配もない。
聞き間違いかと部屋に戻った後も、毎晩のように声は聞こえて来る。

(魑魅魍魎の類か……?)

しかしそんなもの自分は信じちゃいない。(似たようなものとは何度も接触しているが)
それに何度調べても、声の発信源は隣にいるルークの部屋なのだ。

さて、どうしたものかと悩んでいると、コンコンと扉をノックする音で我に返る。

「アッシュ? ちょっと、良い?」

「あぁ。すぐ開ける」

とりあえずこれは後で考えるとしよう――そう思いながら扉を開けると、そこにはにこにこと笑うルークが立っていた。
一見機嫌も気分も良いかのように見えるが、それに反して目に付くもの。

(気のせい……じゃねえな)

その笑顔の目の下に、うっすらと隈が出来ている。

(やっぱり、あの声の主はこいつか……)

恐らく、自分の見えない所で悪夢に魘されて眠れぬ夜を過ごしているのだろう。
しかし今の所立ち振る舞いは普段通りで、寝不足から来る疲労などは一切感じられないことが不思議だった。

「その……お願いがあるんだけどさ」

「何だ?」

もじもじと両手をいじりながら、躊躇いがちに視線を寄越す。
その仕草はまさに女性のそれ。
思わず本当に元男なのだろうかと疑ってしまう程だ。


「えっと……そろそろ剣の練習をしたいかなぁーなんて……思ったり?」


可愛らしいとも言えるその仕草とは裏腹に、〝お願い〟の内容は何とも物騒なものだった。

(剣の鍛錬か……)

当初は部屋の中を歩き回るだけで精一杯だったルークは、今では街の中を網羅し、
あまつさえ気配だけで人とぶつかる前に避ける程にまでなっている。
それを考えると、「駄目だ」という要素は一つもないように思える。
とはいってもその状態では出来ることは少なく、せいぜい広い場所での素振りが限度だろう。

「ほら、ガイが送って来た木刀もあるしさ!」

安全が確保された所でなら、それを行うことは一向に構わないと思う。
しかし、果たして目の下に隈を携えた状態で外に出して良いものかどうか。

「……シュウの許可が出たらな」

判断をしかねた自分は、専門医にそれを委ねることにした。

「また検査かよ」と少々表情を強張らせたルークを連れ、医療室で診察を受けさせる。
だが、意外にも検査の結果は順調で、シュウ曰く運動をする分にはまったく問題はないとのことだった。

「ただし、障害のない広い場所で行うことと、誰かが傍につくことは必ず守って下さい。
適度な運動は健康にも良いですし、〝気晴らし〟にもなるでしょうしね」

後は、絶対に無理をしないことを条件に運動の許可が出された。
それを聞いたルークは喜び、同時に専門医がそう言うならばと自分も腹を括る。
目の下の隈のことを言おうと思っていたが、こちらが言わなくとも向こうはすでに気付いているようだった。

(身体を動かした方が、鬱憤の解消にも繋がるかもしれねえしな……)

全て、とまではいかなくとも、せめて一晩でも良い。
ぐったりと、それこそ夢など見ないぐらい疲れて、眠ることが出来るなら。


医療室を出たルークは、すぐにでも始めたいと申し出て来た。
その意気込みは立派だと思うがさすがにその格好ではと、一度着替える為に部屋に戻ることにする。

「何か体動かさないとさ、鈍る気がするんだよな!」

部屋へと続く廊下を歩きながら、意気揚々とそう言うルークに自分も同意する。

確かに、ここは平和過ぎるのだ。
凶暴な魔物が襲って来ることはないと言って良いし、加えて研究所がレプリカを扱っていることを周知されているせいか、
レプリカを見ても町の人達は怖がらない。(興味がないだけかもしれないが)
それにベルケンドはキムラスカ領土の為、バチカルの情勢は常時耳に入って来る。

こんな非戦闘状態の中で毎日過ごしていたら、剣を振るうことすら忘れてしまいそうだった。
実は自分も、そうならないようにとルークの治療に付き合っている以外の時間の一部を、剣の鍛錬に費やしていたのだ。

部屋に戻り、ナタリア達からもらった服の中から(相変わらず目が泳ぐ)、
動きやすいだろうと思われるものを選ぶ。
そして、来る途中で「ルークの着替えを手伝ってやって欲しい」と頼んだ研究所内の女性に服を渡した。

その間に自分は、ガイから送られて来たという練習用の木刀と、待っている間に読む本、
何かあった時の為の簡易治療道具などを用意することにした。
箱から取り出した木刀は、決して新しいものではなく、どこか使い込まれているように思えた。
恐らく、以前ルークが使用していた物だろう。

それを手に持ち直してふと思う。

(ガイは、こうなることが分かっていたんだろうな……)

この気遣いの良さは、さすがルークの元使用人といった所か。

そうしている内に着替えが終わり、先程とは打って変わって軽装となったルークに木刀を渡す。
しかし「ありがとう」と返事が返ったと思ったら、今度は「うーん……」と唸るように悩み始めた。

「でも、広い場所かぁ……。アッシュ、どっか心当たりとかある?」

「……俺が普段使っている場所がある。あそこなら人も来ないし、充分な広さがあるから大丈夫だろう」

それを聞いて「分かった」と頷くルークを引き連れ、早々に研究所から移動することにした。
建物から出ると、近くにある雑木林に向かうべく裏手に回る。
自分が使用している場所はここからさほど遠くない場所にあるのだが、そこへ行くまでに少し問題があることに気付く。

実はそこへ行くまでの道のりは、足元の状態がすこぶる悪い。
さすがに歩けないという訳ではないが、決して歩きやすいとは言えない獣道。

自分だけなら平気で進んで行く所だが、今回はルークがいる。
しかも視力を失っている状態で、そんな道を手放しで歩かせるにはいかない。

(仕方がない……)

そう判断した自分は、無言でルークの空いている右手を取ると、そのまま「行くぞ」と声をかける。

「場所まで誘導する。疲れたら言え」

「あ……うん」

取った手の温かさに、少しだけ自分の鼓動が跳ねた。




――びっくりした。

だって突然だったから。

順調に歩いていた彼の気配が止まったので、どうしたのかと聞こうと思った矢先のことだった。
急に木刀を持っていない方の右手が取られ、続いて「行くぞ」と声をかけられる。
その温かさに驚いたが、それがアッシュの手だと分かると、途端に顔が熱くなっていく。

(俺を誘導する為なんだから、動揺すんなよ、俺!!)

そしてそのままゆっくりと、アッシュは自分の歩調に合わせて誘導し始めた。
そうして時折、「足元に木の根がある」とか「石があるから気を付けろ」などと声をかけてくれる。

道の状態が悪いので危ないからと、自分の手を引いてくれているのだ。
きっと、その表情は憮然としているのだろうけど、こんな所は優しいんだよなと思う。

(手……大きい、な)

残された記憶の中でうっすらと思い出す限りでは、男だった時の自分と彼の身長はそう変わらなかった。
ということは、手の大きさも同じぐらいだったはず。
だが今は女性化したせいで身長も縮み、手の大きさも驚く程小さくなってしまった。

だからだろうか?
彼の、アッシュの手が大きく感じられるのは。


早まる動悸。

染まっていく頬。

締め付けられるような胸の痛み。


――〝止まれ〟と思いながら、〝止まらないで〟と願う。


だけど、不思議にそれを心地良く感じるのは。
彼の傍に居たいと、祈るように願うのは。


(俺……俺、どうしよう……やっぱりアッシュのこと……好――)


ぎゅっと目を閉じ、自分の中で渦巻いていた感情を肯定しようとした時、
アッシュから絶妙なタイミングで「着いたぞ」と声がかけられる。
その声に若干飛び上がりそうになったが、何とか堪えた。

「……? どうした?」

「う、ううん何でもないっ! あ、もう剣振っても大丈夫なのか?」

考えていたことを気取られまいと、慌てて取り繕う。

この想いは、心の中だけに仕舞っておこう。
これ以上、彼の迷惑にはなりたくない。

「あぁ。この辺りは広場のようになっているから、かなり動いても大丈夫だ。
俺は近くにある木の下にいるから、必要な時は呼べ」

その間アッシュはどうするのかと聞けば、暇つぶしの本を持って来ていると言って来た。
そうさせてしまうことに若干の申し訳なさを感じていると、アッシュの気配が段々と遠ざかって行った。

完全に気配が離れたのを確認した後、軽く木刀を振ってみる。

(うん、思ったより腕は落ちてないみたいだ)

ただ以前と違うのは、暗闇の世界でそれを振るうということ。

(でも、これはこれで良いかも……)

これは視力を失ってから気付いたことだが、戦闘中はどこか視力に頼りすぎていた部分があった。
もし、これを機会に視界に頼らない戦闘が出来たなら、それはきっとこれから役に立つことだろう。
その鍛錬をするには絶好のチャンスかもしれない。

(剣筋を見直すことにも繋がるだろうし)

ぶん、と木刀を思いっ切り縦に振り降ろし、軸がぶれないように途中でぴたりと止める。
これは昔、ガイに教えられた基本の一つだった。
これが出来ないとどの技にも響くと言っていたそれは、幸いにも劣っていないようだった。

暗闇の中で、一通りの型をとる。
足の位置、振り上げる角度、鋭敏に、無駄がないように。
そして気配で、周囲の障害物の有無を確かめながら確実に行っていく。

そこには何もないように、見えないものを切るように。
ただ剣を振るうことにだけ集中する。

――気持ちが、良い。

自分一人だけがこの世界にいる、と錯覚してしまうぐらいに。




――あいつの気が済むまで、本を読んで時間を潰すつもりだった。

ぽっかりと広場になっている所にルークを立たせ、何かあれば呼べと伝えた後。
自分は手頃な木を見付けると、その根元に腰掛けて背をもたせかけた。
ぱらぱらとページをめくり、栞を挟んでいた箇所を探し当てて続きを目で追い始めた。

だが、そうして数分が経った頃、ぴんと張り詰めた空気に気付いて本から視線をはずす。

その先には、真剣な表情で剣の型をとるルークの姿。
視力を失っているとは思えない程の動き。
あの剣舞の型は自分も知っており、また、幾度かやったこともある。

きらきらと舞う新緑の髪は、光を反射しながら流れるように広がり、
光を失っている焔は、それを感じさせない程に輝いて――

「……っ!!」


――何だ、あれは。


動悸が早まる。


あそこにいるのは〝ルキア〟であって、〝ルーク〟ではない。
それは分かっていたはずだ。
逆に、それを分かっているからこそ自分は……――


――あぁ。

――もう、俺の負けだ。


どこか遠くに、降参する声が聞こえた。


――認めてしまおう。


(……俺は……)


今度こそ、はっきりと感じた。
あの存在を〝愛しい〟と思っていることを。

そして、この両腕に抱きしめてしまいたいという願望があるということも。


――〝ルーク〟も、〝ルキア〟も独占したい。


そう思う自分に驚く。
そして同時に、今まで渦巻いていたものが一気に取り払われたような気がした。
うっすらとかかっていた霧が晴れていくような、何とも清々しい気分だった。

開けた視界にその姿を映す。
ルークは未だに剣を手に舞い続けていた。


(今度こそ、離しはしない)


間違えも、しない。

あの瞳に捕らわれてしまった心。
もう嘘は付けない。


(俺は……あの〝二人〟を愛して、いる)


自分はこの感情から逃げることを、やめた。



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ちおり
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自己紹介:
赤毛2人に愛を注ぐ日々。