それを受け取るということは。
その存在を続けるということだ。
「……行っちまうのか?」
かけられた声にぎくり、と体が強張る。
アゲートや皆に気付かれないように立ち去るつもりで夜を待った。
皆が寝静まったこの時間帯ならばと思い、準備を進めていた。
幸い、持っていくものは数少ない。
もらった物や、譲り受けた物はたくさんあったけれど、
ここの人達と過ごした思い出さえあればそれで良いと、そう思っていた。
――そう思っていたのに。
「その様子だと……喉はもう治ったみてえだな」
「……ごめん、なさい……」
自分が初めて発した言葉。
こんなはずじゃなかった。
閉ざしていた口から伝えたかったのは、こんな謝罪の言葉なんかじゃない。
「謝るな。……むしろ謝らなきゃならないのは、俺達の方なんだからよ」
「……え?」
顔を上げると、アゲートの手には一枚の写真が握られていた。
促されるがままにそれを見ると、そこに写っていたのは彼の家族らしき人物達。
その中心には、自分とそっくりな人物が笑っていた。
「俺の息子と、隣にいるのはその嫁さん。そして真ん中にいるのは……、俺の〝孫〟だ」
「――っ!?」
そのアゲートの言葉が、自分には理解出来なかった。
当たり前だ。
レプリカが冷遇されているこの時代に、誰が好き好んで自分の家族の……しかも、
すでにこの世から去っている人物のレプリカを助けようと思うものか!
「そう驚くなよ……って無理もないか……。
自分の孫の〝レプリカ〟を助けた挙句に、家へ連れ込んでるんだからな」
「知って……!?」
驚きにまかせて大声を上げそうになった自分を、アゲートが静かに制した。
「……俺の孫……〝リド〟はな。
小さい頃から身体があんまり丈夫な方じゃなかった上に、
村の近くで起こった雪崩に巻き込まれたことが原因で、両足が動かなくなってたんだ」
一先ず座れと促されたベッドの上で、アゲートの昔話が始まる。
「だけどな? 走るどころか、歩けなくなってもアイツは負けなかった。
いつも笑ってて、俺と一緒に工場へ行ったり、自分が出来る範囲で両親を手伝ったり……。
優しくて、明るい子だった」
自分の手にある写真を見る。
同じ顔で、幸せそうに笑っている……自分の被験者。
よく見ると彼が座っているのは椅子ではなく、譜業機関だった。
椅子のように見えるそれは、誰かの手作りだろうか。
「だがある日、ここから遥か南にある街に行けばリドの足が治るかもしれないと、誰かが聞き付けて来てな。
その街へ行く為に息子達はリドを連れて家を出た。
俺は仕事があったから一緒に行くのは無理だったが、その代わり……職場の奴らと一緒に必死に祈った。
あれがまた歩けるように、ってな」
ひょっとしたら、この譜業機関はあの工場にいる皆で作ったのかもしれない。
歩けない、だけどそれを諸共しない強い心を持つ彼の為に。
「だけど……運が悪かったんだなぁ……。
治療が終って家に帰る途中で……よりによってまた、雪崩に巻き込まれるなんてよ……」
隣に同じように座ったアゲートを見ると、苦虫を噛み潰したような表情で笑っていた。
それは、彼が自分に対して初めて見せた表情だった。
「雪崩が収まった後、工場の連中総出で救出に向かった。
無我夢中で掘り探って、真夜中になっても灯りを点けて探し続けた。
その甲斐あって三人とも見付けたんだが……息子と嫁はもう息をしていなかった。
でも、息子と嫁の間に挟まれるような格好だったリドは、何とか生きていた」
アゲートの声が僅かに震えているのが分かる。
そしてその口から、当時の様子が語られた。
――……『リド! リド!! おい! 聞こえるか!?』
『じ……ちゃん……?』
アゲートの顔を見た途端、リドがゆっくりと微笑む。
こんな時まで笑わなくて良いのにという想いがアゲートの胸中を駆け巡るが、
それはさておき、『すぐに出してやるからな』と声をかけ必死で雪を掻き出す。
そんな祖父の姿を見ながら、リドは笑いながら呟いた。
『じっ……ちゃん……。僕の足……、治らなかった……よ』
その言葉に、アゲートの動かしていた手が止まる。
『検査……いっぱい、してくれたけど……やっぱり、無理だって……』
『……』
何と答えて良いのか分からなかった。
言う言葉が見付からなくて。
ただ必死に、雪を掻き出し続けた。
『でも……僕には、皆が作ってくれた〝足〟があるから……良いんだ』
ようやく、リドを守るように息絶えた二人を引き上げることが出来た――が、そこでアゲートが見たものは。
両親に隠れるような位置に居た為、気付かなかったのだ。
雪崩と共に流されて来た木が、その小さな身体を貫いている様子が。
『――っ! 喋るなリド! すぐ助けてやるから!!』
『……じっちゃん、僕ね』
『話なら後でいくらでも聞いてやる! だから今は大人しくしてろ、な?』
『良い子だから』と続けたかったが、それは叶わなかった。
出て来るのは涙と嗚咽。
これから旅立とうとする小さな命に対しての。
『僕……もし生まれ変わったら……ううん、絶対生まれ変わる、から。
その時はまた……ここに帰って、来るよ』
咽び泣くアゲートの後ろで、工場の仲間達も泣いていた。
小さな同業者の為に。
『だから、泣かないで。じっちゃん、皆……、笑って待っててよ。絶対……絶対〝帰って〟来るから』……――
「そう言い残して、リドは息を引き取った。最後まで、笑顔で……。
俺達に『笑え!』って言いながらよ……」
ず、と鼻を啜る音がする。
慌てて拭く物がないかと視線を巡らせたが、生憎そういったものは見当たらなかった。
「じゃあ……僕を助けたのは……」
「……あぁ。『そんなことあるわきゃねえ!』って思ってたんだけどよ……。
でも、どっかで信じたかったんだろうなぁ……。お前さんが〝リドの生まれ変わり〟だって」
――あぁ。
だからあの時、職場の仲間達が自分を見て、悲しそうな表情をしていたのか。
自分がリドの〝生まれ変わり〟かもしれないと、夢を見て。
「皆、ちゃんと頭ん中では分かってた。お前さんが〝リド〟じゃないってことはな」
「……え?」
「リドは、皆が作業している姿を見るのは好きだったが、決して手伝いはしなかった。
まぁ……手伝いたくても、邪魔になるからって遠慮してたのかもしれんが……。
だから、お前さんが作業を手伝い始めた時に、皆の目が覚めたんだ。
お前さんは〝リド〟じゃない。ちゃんと今を生きてるまったくの〝別人〟だってな」
目が熱い。
ツーンと鼻に小さな痛みが走る。
「リドと同じように笑ってはいたが、その笑顔もよく見ると違っていた。
活き活きと作業を手伝うお前さんに、皆が励まされた。今日、あいつらに言われたんだよ。
『坊主の喉が治った時、もし行く当てがないのなら、このまま工場で働かせてやってくれないか』ってな」
ぽたぽたと頬を伝って落ちていく何か。
歯を食いしばって必死に耐えるが、それは無駄な抵抗だと知る。
「俺はお前さんさえ良けりゃ、それで良いと思ってる。だが、どうするかはお前さんの〝自由〟だ」
そう言われて、ふわりと頭を撫でられる。
――優しい。
優しい人達。
自分にはもったいないぐらいの。
声に出そうとしても、流れ続ける涙に押されて嗚咽しか出て来なかった。
ここに居たいと心は叫んでいたが、やはりそれは無理なことだと思った。
もし、あの工場にレプリカ(自分)がいることが知れたら、この優しい人達に迷惑をかけることになる。
例え本人達がそれでも良いと言っていても、自分はそれを許す訳にはいかない。
僕だって守りたい。
この人達を守りたいんだ。
僕を〝家族〟だと言ってくれた、この人達を。
「……それでも、やっぱりここを出て行くのか?」
少し躊躇った後、小さく頷いた。
相変わらず流れる涙の所為で、声は出なかったけれど。
「……そうか。すまんな、何も贈ってやれなく――あ、そうだお前さん、名前はあるか?」
今度はふるふると首を横に振る。
名など無い。
生まれてこの方、〝個〟扱いされたのはここが初めてだったから。
「なら、〝リド〟の名前をもらっちゃくれねえか?」
「っえ!?」
やっと声が出た。
アゲートの信じられない申し出に驚いて、涙が途切れた所為だった。
「だって、それは親方の大事な……!」
「その俺が良いって言ってるのよ。安心しろ。アイツはこんなことじゃ怒りゃしない。
それに、お前さんが〝リド〟っていう名前で、その元気な両足で世界を感じてくれた方が、
ここに留まるしかなかったアイツも喜ぶってもんだ」
「でも……!」
「嫌か?」
「そんな……大事なものをもらう訳には……」
アゲートは自分の言葉に、ふむ、と一呼吸置いて悩み始める。
そうして少し考えた後、「じゃあこうしよう」と言って来た。
「お前さんが、〝リド〟の名を受け継いでくれ」
「受け継ぐ……?」
「そうだ。お前さんが、〝リド〟っていう名前を続けていくんだ。
その名を持っている限り、俺と工場の皆はお前さんを知ることが出来る。
そして俺と皆が、〝二人〟を思い出すことが出来る。
確かに、ここにいたっていう事実をな」
「だから持って行ってやってくれ」と、あろうことかアゲートは、レプリカである自分に頭を下げた。
そこまでされてしまっては、これ以上拒否をすることなど出来そうもない。
自分は笑って、その大切な〝贈りもの〟を受け取ることを決めた。
「……成程ォ、それで〝リド〟の名前を受け継いだって訳ねェ」
「良い話じゃない」とレピドが笑う。
そうだ。自分は恵まれすぎているのだ。
確かに彼らと出会うまでは被験者に冷遇されていたが、
アゲート達と出会い、この名を受け継いでからは不思議と被験者達の待遇が良くなった。
(表情や仕草が変わった所為もあるだろうけれど)
だから自分は、被験者を恨んでも憎んでもいない。
かといって自分と同じ存在(レプリカ)達を見捨てる訳でもない。
あくまで中立の立場を貫き通すつもりだった。
あの時、この名を受け継いだ時に、
底抜けに明るかったという彼の名に恥じないよう、前向きに生きようと決めたから。
「その次に欲しくなったのが、〝自分だけの家〟?」
「……そゆこと」
実は本当はそれだけではない。
アゲートの元から離れる時に彼と約束したのだ。
いつか、自分だけの居場所……〝家〟が出来た時、あの優しい人達の元へ〝里帰り〟すると。
「さしずめアタシは、リドの〝お姉さん〟ってトコロねェ♪」
「……次はレピドの為に、余計なことを言う口を強制的に閉じさせる譜業機関を作るよ♪」
「……アンタも充分その譜業機関の対象になると思うわよぉ?」
レピドは、話している間にすっかり冷めてしまった紅茶を飲み干し、カップを洗って片付ける。
そして「まったく、その口振りは一体誰に習ったのやら……」と言いながら、眠そうな欠伸を一つした。
リドは「部屋に戻って寝る」と言う彼を見送り、何気なく窓の外を見る。
そういえば、ダアトで出会ったあの子は元気でいるだろうか。
自分と同じような緑色の髪で、彼の方が少し濃い色をしていた。
仮面を付けていた所為で顔は分からなかったけれど、アゲート達のいる村を教えてくれた優しいあの子。
自我が芽生え始めた自分に、人間の真似をすれば良いと教えてくれた。
『人間なんて簡単なものだ』と、悲しそうな声で言っていた。
自分の口調はその子から真似たものだった。
(……また、会えると良いな)
もし会えたら、お礼を言いたい。
それから、もう一つ言いたいことがあるんだ。
――人間は、人は、君が思っている程――……
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