話は遡り、舞台はケセドニア。
ようやくローレライから無理矢理着せられていたビラビラした服から解放された上に、力強い味方――ラズリと出会えたお陰でルークは上機嫌だった。
うきうきと購入したての服の上から砂避けのマントをはおり、いざ旅立とうとしたときにそれは聞こえた。
「気のせいか?」と思ってルークは首を傾げたが、どうやらそうではないようだ。隣ではラズリも足を止めて、辺りに耳を澄ませている。
しばらくそうしていると、ほんの僅かにだがか細い悲鳴のような声がルークの耳に届いた。ただし悲鳴とは言っても、一般人には聞こえない。それは第七音素で構成されている者のみが捕らえられる音。
「ルキア……」
その声はラズリにも聞こえたらしい。二人は互いに目を合わせ、そのまま頷く。恐らくその音の根源がこの近くにいるはずだ。
周辺を二人で手分けして探すことにしたが、その音源を見付けることは簡単だった。
悲鳴が聞こえるということは、つまりはそういう状況下にあるということ。そういった行為がしやすい場所といえば――なるべく人目に付かないところ。
(例えば――路地裏とか)
その考えは的中していた。
メインの通りから少し死角になっているところで何人かの男が集まっている。
ルークとラズリは気配を消し、男達に見付からないように近くに積まれていた箱の影に隠れた。そしてそのまま様子を窺いながら、二人にしか聞こえないような小声で話し合う。
「全部で四……、いや五人か。中心に一人いるな」
「えぇ。中心にいるのは……十中八九レプリカでしょうけれど」
ここでルークはラズリと出会うまでの出来事を思い出し、二つのことを心に刻む。
まず一つ目は、男と女の差。
自分の身体がすでに女性体となっていることを忘れてはならない。また、それ故に腕と足の長さ、そして与える力の威力が違うということも。
そしてもう一つは、自分はもう一人ではないということ。
一人でこのまま突っ込んでいっても到底適わないだろうが、あの時と違って今はラズリがいる。彼女が一体どれほどの力量を持っているのかは分からないが、魔物を退治しつつ旅をするぐらいだ。そこそこの腕は持っているだろう。暴力を受けているであろうレプリカには悪いが、 その力量を見るには良い機会かもしれないとルークは考える。
幸い、男達が溜まっているところは路地の行き止まり。ここなら多少騒ぎを起こしても気付かれにくいだろう。
ルークは視線を男達の上に移して地面との距離を素早く測る。あの高さなら行けそうだと判断したルークは、様子を窺っているラズリに声を掛けた。
「……ラズ、正面から行ってくれるか?」
「どうするつもり?」
ラズリが訝し気にルークを見る。彼女もどう動くべきかと悩んでいたようだった。
「ちょっと奴ら引き付けといてくれ。俺は上から行く」
「――分かったわ。気を付けてね」
「ありがとう」
上から、というだけで悟ったらしい。察しの良い彼女に、ルークは軽く礼を行って行動を始めた。
まずは男達の気を引くために、ラズリは消していた気配をゆっくりと戻しながら奥の方へ進んで行く。それを見届けたルークは、隠れていた箱を利用して屋根へと上り始めた。
ルークの気配が屋根を伝っていくのを感じながら、ラズリは慎重に歩を進めた。光があまり入らない路地裏にいる男達の集まりに近付くにつれ、それぞれの顔や様子が鮮明に見えて来る。
中心にいたのは、琥珀色の髪をした男のレプリカだった。
かなりの暴力を振るわれたのだろう、傷が深い。一刻も早く助けなければ、下手をすれば彼は消えてしまうだろう。
ラズリは焦る気持ちを抑えながら近付いて行くと、ようやく気配を感じたのだろう。男達の一人がこちらに気付いた様子を見せ、そのまま振り向いた。
「何だ? こんなところに女が来るもんじゃねえぜ?」
「……その人を離しなさい」
極力大きな声にならないよう、ラズリは細心の注意を払いながら男達に警告を発した。しかし、それを聞いた男達は突然哂《わら》い始める。
「〝人〟だって? 残念だがこいつは人じゃねえ、〝レプリカ〟っていうもんだよお嬢さん」
「そうだ。レプリカっていう〝化け物〟なんだよ」
「こいつらは、人間様の居場所を乗っ取ろうとしてる奴らなんだ」
「ふざけてるよなぁ」
分かってはいたことだが、いざ目の前で言われるとやはりきついものがある。
下卑た哂いがラズリの中の何かを逆撫でていくが、彼女はそんなことに負けてはいられないと思い直した。
「〝人〟だろうと〝レプリカ〟だろうと、同じ場所で生きている者同士でしょう。無抵抗な者に対して人とは思えないような行為をするあなた達の方こそ、化け物というのが正しいんじゃないかしら?」
「何だと!?」
「女だからって甘く見てりゃ――!」
「女だからと言って、甘く見ないで欲しいわね」
わざと挑発したラズリの言葉に、男達は容易く噛み付いて来た。異様とも言える表情に彼女は吐き気を覚える。
「っこの――! 何でレプリカなんか庇うんだ!」
「さてはお前もレプリカだな!」
「化け物め! 消えちまえ!」
頑《がん》として引こうとしないラズリに憤慨した男の一人が、己に殴りかかろうと腕を振り上げた。
人は何かを殴ろうとするとき、高い確率でこの男のように腕を振り上げる。実はその瞬間、とても無防備な状態となるのだ。
これは魔物にも言えることで、幾度も魔物と戦い抜いた末にラズリはそれを独学で学んでいた。
彼女は男の腕が振り下ろされる前にその懐に飛び込み、腰に差していた短剣を逆手に取り出して男の首に突き付ける。
こうしてしまえば、この男はもう動けない。
そのあっという間の出来事に、一連の様子を見ていた男達の間で動揺が走ったのが見えた。
「――もう一度言うわね」
ラズリは左手で短剣を、空いている右手で携えている細身の剣――レイピアの柄を握る。
そしてそのまま少しだけ身をかがめ、勢いを付けて剣を鞘から取り出しながら、短剣を突き付けている男に向かって体当たりをした。
柄はちょうど男の腹に当たり、その衝撃に男が唸りながら身体を折る。その拍子にラズリは男の頭が落ち込む箇所を目掛け、剣の柄を利用して下から男の顎を撃ち上げる。
ごきん、という鈍い音と共に男は崩れ去った。
「女だからといって、甘く見ないで」
ラズリは表情を変えないように努めながら鞘から勢い良く剣を引き抜き、ひゅん、と音を立ててレイピアを振り下ろす。
(これで引いてくれれば……)
正直、ここで騒ぎになると後々が面倒だし、それに出来ることならやはり人は殺したくない。だが、彼女の祈るような願いは届かず、男達は一人がやられたことでさらに吼え猛ってラズリに向かって来る。しかも同時に、だ。
さすがに一気に来られると分が悪い。
(逆効果だったかしら……)
普段ならここで少し逃げて互いの間合いを開けるのだが、今は違うとラズリは冷静に判断する。
――自分はもう、一人ではない。
それに、充分に引き付けられたようだ。
彼女の視界の隅に、レプリカと男達の間に叫びながら上から降って来る人影が映った。
「――りゃあああっっ!!」
ルークは腹から声を吐き出しながら、ラズリに殴りかかろうとしている男の一人に上空からの蹴りを脳天へと叩き落す。それは見事に直撃し、気を失った男はゆっくりとその場に崩れ落ちた。
急な上からの攻撃に他の男達の動きが一瞬止まる。
ルークはその隙をつき、着地した姿勢から起き上がる反動を利用して、動きを止めていた男の顎へ掌底を繰り出した。
「〝烈破掌〟!」
本来ならこの技は、掌底を叩き込んだあとに気を爆発させて敵を吹き飛ばすのだが、ルークは人を相手にするときは少し加減――といっても相当な威力だ――して使うことにしている。
案の定、それを叩き込まれた男は身体を浮かせながら吹き飛んだ。
――残るは一人。
しかし、ルークが視線をそちらに向けたときにはすでに男はラズリによって気を失わさせられていた。
上から見ていても充分に分かった、その見事な手際の良さ。成る程、なかなか腕は立つらしい。
(それにしても、……ちっとやり過ぎたかな)
ルークは頬をぽりぽりとかきながら周りを見渡して、男達の命に別状はないかを一応確認する。
苦しそうに喘いでいる者はいたが、大体が気を失っているだけのようだ。これなら放っておいても大丈夫だろう。
そうして急いで男達の中心に倒れていたレプリカに駆け寄ると、遠くで見ても分からなかった傷が露《あら》わになる。これは思っていたよりも傷が酷い。 これから医者を呼びに行っても間に合わないかもしれない。
「ここにレプリカ保護施設はないけれど、一時的に保護する場所ならあるわ。そこに医者がいると思うから呼んで来るわね」
ラズリはぐったりとしているレプリカを見て言うなり、すぐさま走っていった。それをルークは了承して見送り、彼女が到着するのを待つ。しかし、傷付いたレプリカは苦しそうな息遣いのままだ。
せめて意識が回復すれば何とかなるかもしれない。微量だが、回復するための奥義はある。しかし、残念ながら場所が悪いとルークは考える。
奥義を使おうにも充分な広さがないため、武器屋で購入した剣は振れそうにもないのだ。
(ん……?)
そのとき、以前ルークを助けてくれた女性にもらった短剣が彼女の片手に触れた。これならばこの広さでも使えるかもしれない。
ルークは気休めにでもなればと思い、それを手に取ると第七音素の流れを意識しながらそのまま地面に突き立てた。
「――〝守護方陣〟」
淡い光がレプリカとルークの周りを包み込む。
その癒しの音素のお陰か、ぐったりとしていたレプリカが少し身じろいだ。どうやら意識が戻ったらしい。
「目が覚めたな、良かった……。分かるか?」
声を荒げないように注意しながら、ルークは手のひらをレプリカの顔の前で振ってみる。それに反応して僅かにだが頷くレプリカに、思わず彼女は安堵の吐息をつく。
そこへ医者――というより研究員のようだ――を伴い、ラズリが戻って来た。
連れて来られた医者はすぐに状況を理解すると、すぐさまレプリカの状態を診察して応急手当を済ませていく。それからこのレプリカを保護所へと運ぶように指示がされると、二人はなるべく傷に響かないように優しくレプリカを抱き起こし、一時保護所へと運んで行った。
そうして全ての手当てが終わり、命の別状はないと判断された琥珀色の髪を持つレプリカの男性は、一時保護所内にあるベッドに寝かされていた。二人はそれを黙って見守っている。あちこちにある治療の跡が痛々しい。
胸を締め付けるような気持ちの中、ルークは身体に掛けられた薄めの毛布から出ていた彼の手をそっと握った。
その温度に絆されたのか、彼がゆっくりと目を開ける。
「……ここ……は……?」
「ケセドニアにあるレプリカ一時保護所だよ」
それを聞いた瞬間、彼はがばっと怯えるように身を起こした。
「動かないで。あなた重症なんだから」
「大丈夫。俺達はお前と〝同じ存在〟だ。……大体予想はつくけど……、何があったのか話してくれないか?」
彼は当初怯えていたようだが、二人が同胞だと分かると、ぽつぽつと今までの経緯を話し始めた。
気が付いたらここにいて、知らない男達にいきなり殴られたこと。「何故殴るんだ」と聞いたら、「お前がレプリカだからだ」と罵られたこと。
彼はそこで初めて、自分がレプリカだということに気付いたのだという。
街の中を歩いても周りの目は冷たく、それ以来隠れるようにして生活をしていたが、今日は運悪く見付かってしまい、この有様だと。
傷付いた口から零れていく悲しい話。それを聞いている内に、自然とルークの瞳から涙が流れ落ちていた。
「……何故、お前が泣く?」
その光景に、彼が心底不思議そうに聞いて来る。
「ごめんな。痛かったよな。レプリカだからって言われて、悲しかったよな」
ルークは次々と流れ落ちて来るそれを利き手で拭った。
自分だって何故涙が出ているのか分からない――ただ、悲しいだけだとルークは言う。
「人間を憎むなとは言えない。それでも、自分の周りにはあんな奴らばかりなんだと、人間に、世界に、絶望しないで欲しい」
それを静かに聞いていたラズリも、その言葉に付け足すように彼に言った。
「私も、被験者達に虐げられた時期があったわ。でもこうして今ここに立っていられるのは……、信じられないかもしれないけど、その被験者に助けられたからなの」
彼はただ黙って二人の話を聞いている。
「あなた達からすれば、私達は異端に見えるかもしれない。今すぐに被験者達を理解しろとは言えないけど、でも……そんな人達もいるってことを頭の隅に置いておいて欲しい」
それを聞いた彼は「分かった」と一言だけ呟いた。
恐らく彼の中には、被験者に対しての怨恨が根深く残っているだろう。しかし彼は、消えそうだった己を助けてくれた恩返しの意味も込めて、同胞である二人の言うことは信じると言ってくれた。
その気持ちが、ルークは純粋に嬉しかった。
「そういえばお前、名前は何て言うんだ?」
話がふと途切れたとき、ルークが何気なく思い付いたことを聞くと「そんなものはない。与えられていない」と言われた。
――そうだ。これがレプリカの普通の扱いなのだ。
そうなると例え偽物だったとしても、生まれたときから名を与えられていた自分は、恵まれていたのだろうかとルークは思う。
(恵まれて……たんだろうな、やっぱり)
そうして少し考えたあと、「じゃあ俺が名前を付ける」とルークが言った。彼に対して何も出来ないと考えていたルークが、唯一出来ることはと考えても、それぐらいしか浮かばなかったのだ。
「俺なんかが名付け親なんて、嫌かもしれないけどな」
ルークは遠慮がちに笑って、さて何が良いかなと思案する。
隣ではその物言いが悪かったのか、ラズリがすっかり癖になってしまったであろう溜息をついていた。
色々な名前がルークの頭の中を巡るが、これといってピンと来るものがない。
ううんと唸り掛けたそのとき、視界の隅にきらきらと太陽の光が反射する色を捕らえた。そういえば昔、ガイに見せてもらった図鑑の中に彼の琥珀の髪の色のような宝石があったことをルークは思い出す。
それは樹脂の化石であるため、普通の宝石とは見つかる場所が異なるらしく、透き通った黄金色をしていた。
確かその宝石の名前は……――
「〝アンバー〟……とか、どうかな?」
思い付いた名前を口にしたルークが、不安そうにラズリを見上げる。
「アンバー……、ね」
それは琥珀色の宝石の名前だった。
その名前はラズリ自身も聞いたことがあった。しかも聞いたというだけではなく、実際に見たこともある。この街に来たときにそういった石の類を扱う店があり、ラズリはそこの店主から教えてもらったのだ。
ラズリは一度ルークに目をやったあと、目の前にいる彼に視線を移す。
窓から差し込んで来る光に、きらきらと反射する黄金色の髪。思わぬぴったりな名前に、「良いんじゃないかしら」とラズリは頷いた。
「よし! じゃあお前は今日から〝アンバー〟だ! よろしくなアンバー!」
そう言ってルークが笑う。
その花も綻ぶような笑顔に、ラズリは思わず見惚れてしまう。アンバーと名付けられた彼に視線を寄越すと、彼も呆然とルークを見詰めていた。
(これは確かに不埒な男共に絡まれるわけだわ……)
あとで重々言い聞かせておこう――したところで、理解出来るかどうかが問題ではあったが――とラズリは思う。
その後、アンバーの傷がある程度回復して動けるようになったら、彼はグランコクマのレプリカ保護施設へと移動することが決まった。
――さあ、自分達も早く出なければ。いつまでもここで長居をしているわけにはいかない。
「じゃあ私達もそろそろ行きましょうか」
「あ、うん」
ルークは名残惜しそうに席を立つ。
そうして彼女は改めてアンバーの方を見ると、決意を秘めたような表情で彼に言う。
「俺達はもう行くけど、これから旅の先々でアンバーと同じようなレプリカ達を保護していくつもりだ」
彼は先程と同じように、大人しく彼女の話を聞いている――まるで主人に仕える犬のようだ、とラズリが思ったことはここでは伏せておく――。
「それと、もうちょっと表情豊かにした方が良いよ。 そうすりゃレプリカだとばれにくくなるし。自我が目覚めたばっかで色々と不便だろうけど、思ってること顔に出せるように練習してさ! んで、次に会うときはアンバーの笑った顔、見せてくれよ! な?」
ルークは笑顔でそう言いながら、彼の包帯の巻かれた手を優しく握る。ラズリも彼女に習うように「頑張って」と笑って声を掛けた。
その二人の笑顔に僅かに頬を染めつつ、アンバーはゆっくりと頷いた。
アンバーとの別れを終え、二人は保護所を離れて夕暮れに染まり始めた街並を歩く。ラズリは身体の前に伸びる影を見ながら、この分だと出発は明日になりそうだなと思う。今の今まで、こんなに時間が経っていたことに気付かなかったのだ。
それほど今日あったことは二人にとって大事な出来事だった。
どこを見るともなく視線を漂わせながら歩いていたルークが、ゆっくりとラズリを振り返る。
「俺、今の自分に何が出来るかはっきり掴めてなかったけど、今回のことで分かった。世界中を旅して、アンバーのように迷っているレプリカ達を助けて、力になってやりたい。言葉を教えたり、感情を教えたり。ラズを匿ってくれた人が、ラズにそうしたように」
そう言ったルークの瞳は決意に満ちていた。告げられた言葉をラズリは心の中で反芻しながら答える。
「……そうね。それが今の私達に出来る〝最善〟ね」
――自分達が与えられたものを、今度は与え返す番。
神聖なる蒼い焔は、お互いに顔を見合わせて頷いた。
二人の旅は始まったばかり。