帰りたい。帰りたいんだ。
でも、どこへ帰れば良いのか、もう分からないんだ。
周囲に気付かれないように深呼吸をした。
体内の古い空気を新しく入れ替える為に。
(確かに、外の世界に出たら、色々やりたいことはあった)
――だけどやりたかったのは、こんなことじゃない。
タルタロスから脱出を果たしてから、結構な時間が経った。
そこで自分を探しに来たガイと再会し、ほっとしたのもつかの間。
周囲はさっさとガイを即戦力とし、自分はかろうじて数に入れられている状態だ。
自分の地位と立場を考えれば、とっくにそうなっていなければならないはず。
緊急事態だったとはいえ、仮にも王族である自分をさも当然とばかりに本人の許可無く前衛に置き、
さらには軽蔑するかのような視線と言動をとる彼らの図太い神経を貶[けな]してやってもよかったのだが、
そうすることを良しとしたのは自分だった。
慣れない戦闘に身体と足が疲労を訴えている。
足先に鈍い痛みが走り、じんわりと熱を持ち始めている。靴擦れを起こしているのかもしれない。
しかし、ここで再び自分が「休みたい」とでも言えば、彼らからは苦笑と、
彼女からは呆れたような溜息がつかれるのだろう。
それがたまらなく嫌だった。
気付かれないように気配を消し、彼らの後ろを気だるそうに歩いていく。
少しでも疲労を回復させておきたい。
前方では彼らが何事かを話しているように見えたが、どうせ自分には教えてくれないのだろう。
そうやって自分が知らない所で、事態は進んでいるのだ。
――夜。
ぱちぱちと音を立てて燃える焚き火を前に、いつものようにその日にあった出来事を日記に書き記していた。
屋敷にいた頃は毎日同じことを書いていた為、日記ではなくただの作業に思えたが、
今は本来の機能が存分に発揮されている。
それに加えて、脳内の情報を整理する為の大切な時間にもなっていた。
さらさらと動かしていたペンを止め、覚えている限りの事項を書き終わると、視線を目の前にある焚き火に移した。
仲間達はすでに眠りについており、自分は今火の番をしている。
戦闘であまり役に立てていないので、自分に出来ることといったらこれぐらいしか思い付かない。
(それでも数時間経ったら交代をしなければならないが)
眼前で燃え続ける炎がゆらゆらとぶれ始め、焦点がゆっくりと虚ろになっていく。
(頭が……追い付かないっつーの……)
周囲にとっては当たり前に起こっていることだろうから何ともないのだろうが、
対してこちらは今まであの屋敷に幽閉されていた身。
次々と起こり来る出来事に思考がついていかない。
こうして日記にまとめることで、何とかその整理が出来ているのだ。
世界情勢、戦争、魔物との戦い、それぞれの思索、殺人、自分を呼ぶ謎の声、そして……――
――失われた記憶の開花。
(あの声……俺と同じだった。それにあの髪の色……)
僅かに見えた程度だったが、自分よりも濃いあの色には見覚えがある。
(いつ……どこで……?)
数少ない己の記憶。
だが、自分のことを〝出来損ない〟と言い放った〝彼〟の言葉を聴いたことで、
閉ざされていた記憶が(少しではあるが)僅かに開いたのだ。
ノイズまみれのそれらから、彼の情報を探っていく。
「ご主人様。もう寝るですの?」
もう少しで引き摺り出せる、と言う大事な時に心配そうに声をかけて来たのは、
小さな青き聖獣であるチーグル――ミュウだった。
最初こそ珍妙な出で立ちに違和感と苛立ちを覚えたものだが、その身体に似合わず、
なかなか強固な意志を持っているようで、自分のぞんざいな扱いにもめげずに自分の傍にいた。
最近はそれに絆されたのか、それとも一向に諦める気配がないことに慣れたのか、
傍らにいても以前程うっとうしいと思うことはなくなって来た。
しかしこうやって心配してくれるのは有難いが、何とも間が悪い。
掛けられた言葉に対して少し苛立ちを覚えつつも、「まだだ」と返した。
「でも疲れてるみたいですの」
「……うぜぇなぁ」
自分はまだ考え事をしたい、しかも一人で。
だが、横にそわそわと落ち着かない存在がいたら、こちらも落ち着いて考えることが出来ないし、
何よりそんな自分に付き合っていたら夜が明けてしまうかもしれない。
(俺のせいで体調を崩されても困るしな……)
そういう意味も込めて「うざい」と言ったのだが、
罵倒に対して耐性が出来て来たのだろうか、向こうもめげない。
「ごめんなさいですの。でも……」
「うぜーっつってんだろ! ほっとけ!」
「みゅぅ……」
なかなか引こうとしない小さな獣に、つい湧き上がる感情にまかせて怒鳴ってしまった。
仲間の睡眠を妨げないように声を抑えてはいたものの、充分怒っていることが伝わったのか、
ミュウはびくりと身体を揺らした。
しょげかえる小さな背中に少し罪悪感を抱いたが、こちらとしても手一杯なのだ。
ミュウはすごすごと引き下がり、大人しく自分の近くに作ってあった寝床に向かう。
そうして数分も立たない内に、すぴすぴと寝息が聞こえて来た。
彼も慣れない外の世界で、自分と同じように疲れていたのだろう。
呼吸に合わせて上下する青い耳を労わるようにそっと撫でた。
(どうすれば良いんだよ……)
静まり返った空間の中で、抱えた膝に顎を乗せて身体の中に溜まった息を吐き出す。
何気なく見上げた空には、いくつもの星が輝いていた。
――どんなに悩んでも、苦しんでも、その手を取るものは、いない。
――――≪……ザザッ……ザ……≫――――
あぁもう。
どうしてこういつも、物事はややこしい方向に向かおうとするんだろう。
ズキズキと頭が痛む。
相変わらず訳の分からない状態は続いていた。
というのも、バチカルへ帰るまでに自分はすでに三度程意識を失っている。
一度目はタルタロス船上で。
二度目は国境で。
三度目は自分が助け出されたというコーラル城で。
しかもその全てが、自分と同じ声を持っている〝彼〟によって行われているのだ。
(何なんだ……くそ!……絶対どっかで会ってるはずなんだけどな)
かつかつと複数の靴音が響く。
ここはバチカル廃工場。
あの後、自分は無事キムラスカ王国の首都バチカルへと帰還を果たしたが、
その後色々な事情が重なり、今度は〝親善大使〟となって再び仲間達と共に旅に出ることになってしまった。
さらにバチカルを出るべく移動していた廃工場の中でも、自分を待ち伏せていたこの王国の王女――ナタリアが、
半ば強引にメンバーに加わった為、総勢七名という大所帯となった。
(おいおい……、この国の王女様が無断であんな危険な場所に行って良いのかよ。しかも誰も止めねーし)
目的地は、障気によって壊滅の危機に瀕しているという〝鉱山都市アクゼリュス〟。
何故自分がそこへ向かわなければいけないのかと思っていたが、
何でも自分は〝ユリア・ジュエ〟が残したとされる〝預言《スコア》〟の一部に詠まれている、重要な人物であるらしい。
(……預言……ね)
かねてから、この預言というものには違和感を覚えずにはいられない。
どうして預言に詠まれているからといって、その通りに行動しなければならないのだろう。
幾度も誰かに問おうと思ったが、周囲の誰もが預言に従い、行動しているので聞く気が失せた。
きっとこれも、自分の知らない〝常識〟というものだろう。
話が逸れたが、自分が詠まれているという預言はこうだ。
【ND2000。ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。其は王族に連なる赤い髪の男児なり。
名を聖なる焔の光と称す。彼はキムラスカ・ランバルディアを新たな繁栄に導くだろう。
ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで……】
残念ながらその先は途切れているようだが、そこに詠まれている若者は間違いなく自分。
何故ならば、自分は第七音素集合体であるローレライの力――超振動を起こすことが出来るからだった。
(……そういえば、意識を失ったのは三回じゃなかったな)
本当は四回。
四度目は、カイツール軍港から出港しているキャツベルトと呼ばれる連絡船の甲板の上だ。
奇しくも、自分はそこで初めて〝超振動〟という存在を知り、またその威力を思い知ったのだ。
(あの時、師匠がいなかったら……)
そう考えると背筋に寒いものが走る。
ただでさえ、この身体にはあんな巨大な力が眠っているというだけでも恐ろしいというのに、
そんな自分の力(超振動)を、キムラスカ王国は利用するつもりでいるという。
成人するまでは屋敷から出られないと思っていたが、
成人した後も自分を兵器として扱うつもりかもしれないと師匠が教えてくれた。
ということはつまり、自分はいつまで経っても〝自由〟にはなれないということだ。
(ちくしょう……兵器なんかになってたまるかよ……!)
――これ以上、人を殺してなるものか。
その時に、真剣な表情をした師匠から自分の身を案じる言葉が次々とかけられたのだ。
『お前は選ばれたのだ。〝超振動〟という力がお前を〝英雄〟にしてくれる』
『預言には、お前がアクゼリュスの人々を移動させた結果、戦争が起こると詠まれている。
だからアクゼリュスからは住民を動かさず、〝超振動〟で障気をなくせば良い』
『その後、私と共にダアトへ亡命すれば良い。これで戦争は回避され、お前は〝自由〟を手に入れる』
『七年前にお前を誘拐したのは私だ。その力のせいで辛い実験を強いられて来たお前が、
私と共にダアトに行きたいと言ったのでな。……今度はしくじったりはしない』
――『私には、お前が必要なのだ』――
それはまるで、暗闇に照らされた一筋の光のように思えた。
以前からいつも、記憶を失い足掻いている自分を救ってくれたのは両親ではなく、
親友と呼べる者でもなく、傍で見守ってくれていた師匠だった。
決して自分に「過去を思い出せ」と言うことはなく、ありのままの自分を受け入れてくれた。
知らないことは教えてくれたし、悪いことをした時にはきちんと叱る。
それこそ、昔読んだ絵本に描かれていた親子のように。
だから信じた。信じようとした。
自分のことを〝必要〟だと言ってくれた師匠の言葉に応えたい。
だけど、心の隅に潜む猜疑心を完全に消すことは出来なかった。
――原因は、きっと〝彼〟。
廃工場から地上へと向かって伸びていた梯子を、近くにいた自分が最初に降りた。
外は薄暗く、灰色がかった空からしとしとと雨が降っていた。
それを受けたせいで、地面にはあちこちに水溜りが出来ている。
仲間達が梯子を降りるのを待つ間、視線を辺りへと向ける。
するとそこには、見慣れない陸艦と共に今まさに連れて行かれようとする導師イオンの姿が見えた。
それだけではなく、幾人かの兵士と再三自分達の邪魔をして来た六神将の一人、烈風のシンク。
そして、見間違いでなければ、あれは、あの髪色は。
「イオンを……返せぇっ!」
走る、ひたすらに走る。
腰に差していた鞘から剣を抜き取り、目の前に見えている存在に向かって。
「……お前かぁっ!」
黒衣に紅い髪が翻った。
切りかかる剣はそのままに、朧気にそれを「綺麗だな」と思ってしまう。
そして怒鳴るような声と共に、音を立てながら交わされる剣と剣。
(やっぱり自分と同じ声! 間違いない、こいつだ!)
頭の中で確かめながら剣を振るう。
しかしどうしたことか、振り下ろせば向こうも振り下ろし、間合いをとれば向こうも同じように構える。
自分では分からないが、第三者からすればまるで鏡のように見えたかもしれない。
「お前……!?」
そしてそっくりだったのは、それだけではなかった。
彼の瞳の色に始まり、顔形、背格好、果ては立ち姿に至るまで。
違う所はと言えば、赤い髪色が自分より少し濃い色だということと、髪先が切り揃えられていることぐらいだ。
後ろで自分の名を叫んでいるガイの声が聞こえる。
目の前にいる彼の後ろでは、その仲間らしき人物が彼の名を呼んでいた。
――アッシュ、と。
「良いご身分だな! ちゃらちゃら女を引き連れやがって」
〝アッシュ〟と呼ばれた彼はそう言い捨てた後、後ろに控えていた陸艦に素早く乗り込んだ。
それを遠くに見送りながら、自分の意識が揺らいでいくのを感じる。
何かが自分の中でパシンと音を立てて弾けた。
そして急速に湧き出て来たのは、幼少の頃だと思われる記憶。
それは自分が高熱を出して寝込んでいた時、
自分と同じ顔をした赤い髪の子供が窓からこちらの様子を窺っていた時の。
(――っ!!)
記憶の蓋がこじ開けられた反動だろうか、身体の内側からこみ上げて来るものがあった。
独特の匂いがするそれを早々に口内から吐き出す。
「……あいつ……俺と同じ顔……」
――あの頃と同じように。
自分の後ろには、ようやく追い付いて来た仲間達の気配が並ぶ。
仲間達もすぐに、先程の〝彼〟が何故自分と同じ顔をしているのかが気になったようだ。
しかしそれについて明確な答えが出るはずもなく、ジェイドの一言によってその話題は攫われたイオンへと移る。
(……?)
強引にも見えるそれを不思議に思ったが、今の自分にそれを追及する気力は残っていない。
次の行動を話し合う仲間を適当にあしらいながら、頭の中では先程の〝彼〟のことを考える。
(……アッシュとか言ったな)
同じ声、姿形、果ては剣の扱いに至るまでそっくりな〝彼〟。
(……薄気味わりぃ)
ぎゅっと腕を握る自分の手は細かく震えていた。
自分が自分ではなくなる感覚。
今日まで自分は〝自分〟であったのに、それを否定されたような衝撃が走る。
「違う」と、「そんなはずはない」と、精一杯否定をしても、拭いきれない不安。
後一歩踏み出せば落ちてしまいそうな崖の上にいるようだった。
ぞくり、と背筋を走る寒気。
じわじわと、確実に何かが自分を浸食し始めていた。
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