次から次へと起こる悲劇。
荒れ狂う心中でも、咲き誇るものは。
あれから結局、自分は彼に殺されることはなかった。
ただ、目を覚ますと彼の中にいて、一時ではあったが彼と共に行動した。
自分を軽蔑し、離れていった仲間達と共に。
彼の中にいる間、自分は大変なことをしてしまったのだということを、改めて思い知らされる。
そして自分の中にあった記憶と知識との照合も、アッシュに出会ったことでスムーズに行われていた。
(時間がない。お前と馴れ合うのはここまでだ!)
ワイヨン鏡窟の中でそう言われ、無理矢理通信を切られた後、ようやく自分の身体へと意識が戻る。
(時間……。確かにこのままだと外殻大地の崩落があちこちで始まるだろうし、
それに師匠がやろうとしてることだって気になる……)
だが、これまでの経緯がどうであれ、自分は結果的にアクゼリュスを崩壊させてしまった。
そんな〝何千という命を一瞬にして殺してしまった大罪人〟である自分が、これから自由に動き回れるはずがない。
(罪を犯した人間は、〝罰〟を受けなければならない)
蘇った知識の中からそれを見つける。
しかし、自分に「死ね」と叫んでいた彼は何故か自分を殺さなかった。
そうしなかったのは何か特別な理由があったのかもしれないが、今はまだ分からない。
(……彼が裁いてくれないというのなら、世界に裁いてもらうしかない)
しかし、そんな自分にも出来ることがある。いや、やらなければならないことがある。
自分を裁いてもらうのは、それが終ってからにしてもらおう。
(どれだけ恨まれたっていい。どれだけ蔑まれたっていい。俺はそれ程のことをしたんだから)
ティアに借りたナイフが、ざくり、と自分の髪を断った。
彼の紅よりも明るい朱。
ふと、幼い頃に「邪魔だから」と伸びた髪を切ろうとして、怒られた記憶が蘇る。
(それも全部……偽物だったってことか……)
髪束を握っていた手を広げる。
それはキラキラと光を放ちながら、空中に霧散した。
それを見ながら、「あぁやはり自分はレプリカなのだ」ということを自覚する。
――いずれ自分も、あんな風に空へと還るのだろうか。
それとも、以前見た書物の中に書いてあったように(今思えば、あれはジェイドが書いたものだった)、
〝大爆発〟という現象によって、被験者――アッシュの中に吸収されてしまうのだろうか。
(だけどあれには、大爆発は〝特殊な条件下でなければ発生しない〟って書いてあった)
それが起こるにしろ、起こらないにしろ、どちらにせよ自分はこの世界から消えることになる。
そうして自分がいなくなれば、彼は〝ルーク〟へと戻るだろうか?
(俺は……今までずっと、アッシュの……いや、〝ルーク〟の居場所を奪っていた)
それを考えると心が痛む。
これまで、どんな想いで過ごしてきたのだろう。
今も目に焼きついている彼の熱情。
自分を酷く憎んでいる視線と態度。
その中に垣間見えた彼の小さな優しさが、いつまで経っても頭から離れない。
――どうして?
(そういえば……ガイから教わったな……)
『借りたものは返せ』と。
この場合、「借りた」というより、「奪った」という方が正解かもしれないが、
何にせよ彼のものである〝ルーク・フォン・ファブレ〟の名を、自分は汚してしまった。
ひょっとしたら「いらない」と、突き放されるかもしれない。
「勝手に奪い、汚したものなど」と詰られるかもしれない。
だけど、それでも返さなければ。
例え、そのせいで自分の居場所がなくなってしまったとしてもかまわない。
元々自分には、そんなものなどなかったのだから。
――≪……ザザッ……≫――
俺は変わる。
変わりたい。
ただ、そう願いながら行動した。
あれからしばらく仲間達の態度は冷たかったが、そうされても当然のことを自分は行ったので、
弁解もせずにひたすら謝罪し、また、それに伴うような行動をとった。
以前のような行動は極力控え、自分の持てる知識の全てを活用し、さらには自らを犠牲にしてまで周囲に尽くした。
だが、ガイからは「卑屈になったな」と苦笑され、ジェイドからは呆れたような溜息をつかれた。
さらには女性陣からも、「無理な行動はするな」と注意された程だ。
そう言われても仕方がないような行動をとった自分が悪いのだが、何もしないよりはマシだと思ったのだ。
自分の行動が単なる自己満足に過ぎないと、許されたいがために、罰せられたいがために、
そうしているだけだとしても。
自分には、これしか方法が残されていなかったのだ。
アクゼリュスの崩壊から後、毎晩のように見る夢。
障気の沼から多数の手が伸び、自分を引き込もうと追いかけてくる。
そこには今まで自分が手がけた人物や、アクゼリュスで見殺しにした――ジョンの姿も見えた。
『お前が、殺した』
『何故、お前だけが生きている』
『僕が死んだのは、お前のせいだ』
――ごめんなさい。
――ごめんなさい、ごめんなさい!
絡めとられまいと必死に逃げている最中にも、新たに加わっていく儚い命達。
自分はこんなにも罪深い存在となってしまった。
ひょっとしたら……いや、ひょっとしなくとも、自分は生まれる前から業を背負っていたのだろう。
そしてそれは、これからも増え続けていくのだろう。
そうして最終的に行き着くのは、それらに押し潰されるようにして訪れるであろう――死。
「私は……もっと残酷な答えしか言えませんから」
「……俺か?ジェイド」
そう言った瞬間、周囲の視線が一斉に自分に集まった。
アッシュが持つローレライの剣を使い、一万人のレプリカの命を犠牲にすれば、
この世界を覆っている障気が消えるという。
ローレライの剣は第七音素を収束する作用を持っており、
大量の第七音素と超振動があれば障気を消すことは事実上可能であるらしい。
問題は、〝それを誰が行うか〟ということだった。
――被験者(オリジナル)か、レプリカか。
その時点で、答えは決まっているようなものだった。
(あぁ……皆)
そんな顔をしないでくれ。
怒らせたい訳じゃないんだ。
ましてや困らせたいわけでもない。
ただ、これは当然の結果なんだ。
そりゃ、俺だってまだ死にたくなんかない。
皆と一緒に生きていたい。
だけど、アッシュが死ぬのは嫌なんだ。
ジェイドが考えているように、生き残るべきは被験者であるアッシュだ。
俺だってそれぐらいのことは分かる。
「……残すなら、レプリカより被験者だ」
例え、俺達を知らない第三者の誰かであっても、皆口を揃えてそう言うはず。
いや、誰かでなくても……仲間達の中にも、口には出さずとも心の奥底ではそう思っているだろう。
(巧妙に隠されてはいるだろうけれど)
それに自分は、まだ彼の居場所を返していない。
彼の居場所を奪ったままで生きていくのは嫌だ。
――生きたい。(こんな状態で生きていきたくない)
――死にたくない。(でも、彼が死ぬよりも自分が死んだ方がいい)
――生きていて欲しい。(自分が迷惑をかけた分、幸せになって欲しいんだ)
だから、この世界から消えることを決意した。
――≪ザザ……ザ……≫――
「皆、俺に命を下さい! 俺も……俺も消えるから!」
辺りに広がるのは光。
自分は今、周囲にいた一万人のレプリカの命と共に、障気を消そうとしている。
両手が握っているローレライの剣が、辺りにある第七音素を集めていく。
自らの命と引き換えに、障気を消すことを承諾してくれたレプリカ達の大切な命。
その代わり、「残されたレプリカ達が静かに暮らせる場所を」と願っていた。
自分を含め、仲間達はそれを承諾した。否、承諾せざるを得なかった。
〝人間〟と〝レプリカ〟という種族は違えども、この星に生きている限り、命は対等であり、そして尊いものだ。
その尊き命を投げ出してまで願った想いを、祈りを、誰が断れようものか。
願いは無事、ここにいる頼れる仲間達によって聞き届けられるだろう。
――〝生きたい〟という自分の願いは、叶えられそうにないけれど。
少々時間はかかるかもしれないが、彼らであれば何とかしてくれるだろう。
その場に自分が立ち会えないことが、少しばかり寂しく思える。
(やっぱり……死にたくないなぁ……)
次々と集まっていく第七音素達。
その中にも少しずつ自分の音素も溶け出しているのが分かる。
いずれ、こうなることは分かっていた。
さすがに〝障気を消す〟という大役をまかされるとは思っていなかったが、
いつか自分の命をもって、罪を償う日が来るであろうことは。
アクゼリュスを崩落させてしまった時は、それでもよかった。
「そうすることで償えるなら」と、覚悟を決めていた部分もあった。
だけど今は。
大事にしたいと、守りたいと思うものが出来てしまった今は。
――死にたくない。
(……死にたくない、死にたくない! 死にたくない! 俺は……俺はここにいたい!
誰の為でもない……俺は生きていたいんだよっ!)
こんな状態では返せない。
こんな状態では死にきれない。
(だけど……っ!)
――ああ、だけど。
――皆が、世界が、自分が『死ぬ』ことを望んでいる。
剣を握っている手が透けていく。
つい先日、自分より先に消えてしまったイオンと同じように。
周囲にいたレプリカ達はすでに空へと還っていった。
姿は見えないが、恐らく塔周辺にいた大勢のレプリカ達も消えていることだろう。
(死にたく……ないよう)
知らぬ内に零れ落ちる涙。
一粒一粒が空中に浮かび、消えていく。
自分には涙すら流せないというのだろうか。
と、その時。
そんな自分の祈りが通じたのか、第七音素の吸収スピードが急激に落ちた。
だが、このままでは障気は消えない。
死にたくはないが、障気を消すという大役を果たせないのは嫌だ。
――せめて、せめてこんな時ぐらいは、彼の役に立ちたい。
(くそ……やっぱり俺じゃ力不足なのか!?)
最後の大役ですら、自分には果たせないのだろうか。
ここでも自分は、役立たずのレプリカになるのだろうか。
(そんなのは、嫌だ! でも……)
「だ、駄目か……」
どんなに念じても、第七音素は集まる所か、徐々に離れていく。
周囲では、それにいち早く気付いたジェイドが慌てた様子でこちらを窺っている。
「おかしい……! 集まりかけた第七音素が拡散していきます、このままでは障気は消えない!」
「……宝珠か! 宝珠の拡散能力が邪魔してやがるんだ! くそ!
あの馬鹿が宝珠を持っている事に気付いていなかっただけか!」
ぎゅっと力を込めていた両手に、飛び込んできた彼の手が重ねられた。
それだけで飛び跳ねる自分の鼓動。
「どこまでも手のかかるレプリカだっ!」
「アッシュ!?」
(駄目だ、ここに来ちゃ! アッシュを死なせる訳にはいかない……!!)
離れろと言う前に、深緑の瞳と視線が合わさる。
涙が視界を覆っているので、上手く見えないけれど。
でも、確かに……――
――笑った。
それも、いつものような馬鹿にするようなそれではない。
彼のこんな表情は初めて見たかもしれない、と思う程の微笑み。
「ア……」
「……心配するな。心中する気はない、お前の超振動に少し力を貸してやるだけだ。お前は一人で消えろ!」
――あぁ。
すとん、と心の中で何かが落ちた。
――あぁ、それだけで。
その言葉だけで、その表情だけで、彼の意思が伝わる。
「……ありがとう……アッシュ……」
世界の為にではなく、彼の為になら。
アッシュが「消えろ」と言うのなら、彼が自分を裁いてくれるというのなら。
――自分は喜んで消えようと、そう思った。
同時にそれは、彼への想いに気付く、ということにもなるけれど。
だけど今更それが分かった所で、今の自分にはどうしようもない。
これから消えようとする、自分には。
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