どこで間違ったのか。
どこからが間違いだったのか。
握り締めた手の中には、白い髪が一束収まった首飾り。
クリスは遺品と呼べるものは身に付けていなかったため、彼女の髪の一部を切り取り、
それを身に付けられるように加工したのだ。
(どう考えてもおかしすぎる)
そう考えた自分は、彼女の遺体を手厚く葬った後、急いで研究所へと戻り彼女の死因を探った。
元々、彼女の身体は強いとは言えなかった。
度重なる実験と、バランスの悪い食事。
外に出ることはほとんどなく、それが原因で年齢よりも幼く見えていた。
だが、身体に負担をかける実験が続いていたとはいえ、ああも極端に衰弱する程のことは行っていない。
研究室にいる間は身体の管理はきちんとされていたし、何よりそれを越える過度な実験は自分が許さなかった。
周りに居た研究員と室長にしても、実験体に死なれると困ると思っていたのか、
その意見に異を唱えるものは居なかった。
それがおかしくなったのは、彼女が外へと連れ出されて研究所へと戻って来たあの時からだ。
あれ程彼女が死ぬことを恐れていた研究員と室長が、手のひらを返したように彼女を放棄したのだ。
ならばクリスが死んだ原因はきっと、その時期にある。
――彼女がいなくなっても良いとされる、何かが。
それから自分は、密かに上に提出されていた外出許可の書類を入手することに成功した。
そこに書かれていた行き先は、見たことも聞いたこともないような場所だった。
「〝ワイヨン鏡窟〟……?」
誰にも告げずに研究所を去った後、ひたすらその場所を探した。
そうして、ワイヨン鏡窟がメジオラ高原の遥か南にあるという話を聞きつけた自分は、
ベルケンドで秘密裏に船を手配して早々に洞窟へと足を踏み入れたのだ。
「これは……!」
薄暗い洞窟の奥で見つけた物は、今も憧れてやまない人が研究していた技術。
「〝フォミクリー〟……。物質を複製するという……あの……」
戸惑いながらも、辺りに人の気配が無いのを確認してその音機関を起動させる。
次々と出てくる文字と情報に、無意識に自分の中にある研究欲が湧き上がる。
(……? つい最近の情報があるな……)
ふと訪れた嫌な予感を諌め、恐る恐るその情報を開いてみた。
映し出されたのは、今は亡きクリスのレプリカ情報だった。
「なっ――!?」
これがどういった理由で、何を目的とされて作られたのかは分からない。
ただ、分かるのは、分かったのは。
――彼女がこれ(レプリカ情報)を抜かれたせいで、死んだのだということ。
――そして、それを行ったのが研究所にいた彼らだということ。
「クリスの……レプリカを……作ったのか……?」
――邪視の力を持つ、レプリカを。
自分が邪視について研究してきたのは、その力が良い方面で有効に活用できると思ってきたからだ。
決して〝兵器〟として、利用するつもりはなかった。
だが、ここに来るまでに調べてきたことが、その信念を崩れさせた。
懸命に研究してきたことが秘密裏に扱われ、彼らは軍の幹部と繋がっていた。
そしてその研究データを裏で横流しし、自分の知らない所で洗脳兵器としての開発が行われていたのだ。
(普段の彼らの様子から、それを薄々感じていたはいたけれど)
しかし、それでも良かったのだ。
彼女さえ生きていれば、自分はそれで良かった。
「何て……ことを……」
彼女を死に貶めたのが何であるか。
それを探しに来たはずなのに、自分はとんでもない物を見つけてしまった。
溢れ出した情報に、頭の中が混乱する。
――どうすればいい、どうすれば。
これがあるということは、彼女のレプリカが作られているということ。
邪視の力を持ったレプリカが。
(室長は……だからあの時……)
――『S-SI02の〝充分な〟データはすでに取ってある。
例え彼女がいなくなったとしても、我々は存分に研究を続けることが可能だ』――
(レプリカ情報を抜けば、クリスが死ぬことを分かっていながら……!?)
次にあふれ出したのは、憎悪。
震え出す手を何とか押さえ、何とかその場に残されていたクリスのデータを消去した。
譜業機関そのものを壊しても良かったのだが、何故かそうする気にはならなかった。
自分にはそれよりも、しなければならないことがあるのだ。
(クリスのレプリカを、探さなければ……)
――そして、ようやくこの日が来た。
ワイヨン鏡窟で彼女のレプリカ情報を見つけてからというもの、ひたすら情報の収集とそれに係る下準備を進めていた。
その情報を元にした彼女のレプリカが既に完成し、あろうことかあの忌まわしい研究所にいるというのだから。
情報を集めるのは比較的簡単だった。
だが、それよりも研究所に潜入することが難しかった。
何しろ今は混乱時期を迎えている。
導師の死亡、障気の噴出と消滅、あちこちで起こる不可解な争い。
街には、恐らくあの譜業機関で作られたであろうレプリカ達がうろついている。
お陰で警備は厳しくなり、それを守護する者達の目が随時辺りに届いているので、
自分はここに来るまでに綿密な計画を練らなければならなかった。
それでも何とかここに来ることが出来て、ようやくそれを実行することが出来た。
しかし不思議だったのは、それを行うことが出来た自分の行動力だった。
今までこんなことはやったこともない上に、やろうとも思わなかった。
だからてっきり、それを行う時には若干の戸惑いがあるものだと思っていたのに。
(これは……君の力かい……? クリス……)
今、自分が利き手に持っているのは――剣。
そして目の前に転がっているのは、自分と同じ研究をしていたかつての研究員達と、
禁止されていたフォミクリーを秘密裏に研究していた者達。
その中の一人が、ガタガタと震えながら自分を見つめている。
「……何故、クリスのレプリカを作った?」
「……お前……こんなことして済むと……」
「――言え」
「っひ!!」
持っていた剣を、震えている男の首先にひたりと当てる。
それだけで男の口は軽くなった。
「たっ……試してみたかったんだ……」
「……試す? レプリカ作成をか?」
「レ……〝レプリカルーク〟が完全同位体として複製が成功したと聞いたから、だからっ!
お……お前だって、ここの研究員だったんだろう? なら分かるよな? なぁ、気になりはしないか?
あの〝ジェイド・バルフォア〟博士の理論が!〝サフィール・ワイヨン・ネイス〟博士が作った譜業機関が!」
「……」
「研究に携わる者なら、誰もが試したいと思っているはずだ! あのお二方は天才だ!
この高度な技術をあの若さで作り上げたんだ! それを知りたいと、試したいと思って何が悪い!
お前も……、口ではいくら偽善ぶってても、腹ん中は知りたい気持ちでいっぱいだろう!?」
男が醜い笑顔を浮かべ、自分に対して言葉を投げかける。
「……俺達はどうしても試してみたかった。だからここの連中に話を持ちかけた。
軍の方にも邪視能力を持つレプリカを大量に欲しがってる奴らがいたからな。
だが悔しいことに、出来上がったレプリカは能力も劣化してるし、完全同位体を作ることも敵わなかったが、
俺達は満足だ。……ははっ……あはははは!!」
「……もういい。黙れ」
「ふふ……、……俺達を殺した所で、〝レプリカルーク〟や〝レプリカ〟が生きている限り、
俺達のような連中はいなくならない! 飽くなき欲望は、世界中に散らばっているんだよ!」
「黙れぇ!!」
――ドスッ
男の首に当てていた剣が、言葉に熱を持ち始めた男の左胸を貫いた。
奇妙な笑顔を貼り付けたまま、男は息絶える。
(……〝レプリカルーク〟……、キムラスカ王国の〝聖なる焔の光〟……)
噴出す感情にまかせて、ぎりぎりと奥歯を噛み締める。
――怒り、憎しみ、そして悲しみ。
クリスの持つ邪視能力を兵器へ活用しようとしていたかつての同僚(研究員)達。
禁止されていたフォミクリーを、自身の研究欲を満たすためだけに研究していた者達。
邪視能力を持つレプリカを大量生産しようと目論んだ軍の幹部達。
『レプリカルークが成功したから、自分も試してみたかった』と、たったそれだけの理由で殺された彼女。
ということは〝レプリカルーク〟が作られたせいで、彼女が死んだも同然。
だが、何よりもそれを笑いながら言った男の言葉が、全て否定できない自分を嘆いた。
奥底から枯れることなく溢れる欲に、自分を責めた。
かつて自分もそうであったのだ。
その人が考えていることを知ろうとした。
そうやって追いかけていた。ただひたすら追いかけていた。
男が言ったことは正しかった。
クリスを失った今でも、自分はそれを〝知りたい〟と思っているのだから。
――だから、クリスと瓜二つの彼女を見つけた時、これが罰なのかと、思った。
「……クリ……ス……?」
「違う。私の名は〝C-SI02〟」
彼女とそっくりな、彼女のレプリカ。
〝C-SI02〟という〝識別コード〟を聞き、その存在が間違いなく彼女のレプリカであることを理解した。
外見は似ていても、まったく似ていないそれ。
だがその無表情な顔が、クリスと初めて出会った時を思い出させた。
懐かしいのか、悲しいのか、嬉しいのか。
分からなくなってしまった自分に〝C-SI02〟と呼ばれる少女が心配そうに声をかけてきた。
いつまでもそこに居る訳にもいかず、かといってその少女を置いていく訳にもいかなかったので、
早々に彼女と共にその場から去ることを決めた。
しばらく身を隠した方が良いと判断した後は、その少女を連れて旅をすることになる。
その間に不便だからと、彼女のレプリカに〝カルサ〟という名を与え、
クリスの面影があちこちに残る少女になるべく優しくしてやろうと試みる。
しかしその度に、これはクリスではないことを思い知った。
「あれは、何だ?」
少女の手が、上を指差す。
その先に視線を向けると、青い色が視界を埋めていた。
「……あれは、〝空〟だよ」
いつか、彼女に見せてあげると言った、色。
「じゃあ……、モルダの目も〝空〟か?」
「……っ」
――あぁ、こんなにも。
――こんなにも似ているのに、これは君じゃない。
「……違う」
ようやく出した自分の答えに「そうなのか」と言って、カルサが不思議そうに首を傾けた。
「違う」とは、何に対しての答えなのか。
ふいに泣き出しそうになる衝動を、ぐっと堪える。
どうしてここに君がいないんだろう。
どうしてここにいるのが、君の偽物なんだろう。
どうして、どうして。
――プチ……プチュ……――
頭の中で、何かが分かれる音がする。
その音が止まると同時に、何故か先程までの突き上がる怒りや悲しみが、嘘のように消えていた。
これこそがクリスのかけた暗示なのだと理解した時には、すでに自分は二人の〝自分〟との共存を果たしていた。
そしてそれに気付いたのは、世界中にいるレプリカ達を消し去るために、
〝リア〟という反レプリカ組織を立ち上げた後だった。
それからのことは、よく覚えていない。
いつの間にか自分の前には、外界とこちらを遮断するような白い糸が張られていた。
その薄れた視界の前で、次々と起こっていく出来事。
それを自分は、夢の中のことのように感じていた。
もがけばもがくほど絡まりつく糸。
よく見るとそれは糸ではなく、髪の毛だった。
「クリス……?」
――あぁ、そうか。
――彼女はずっと、ここにいたのか。
――この温かな、自分の記憶の中に。
分かっていた、分かっていたんだ。
だけど悲しくて、ただ悲しくて。
ここに君が居ないことが、とても悲しくて。
君に見せてあげたかった。
この空を、あの海を、見せてあげたかった。
もっともっとたくさんのこと、教えてあげたかったのに。
君が居なくなった原因(りゆう)を消せば、戻って来てくれる?
君の命を奪ったもの達を壊せば、帰って来てくれる?
そうすれば。
そうしたら。
――君を助けてあげられなかった僕を、許してくれる?
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