話を終えたラピスは、周囲の様子を見て明らかに困惑していた。
――無理もない。
彼女の話が終ったあと、この場にいる全ての人間がそれぞれの思考に入ってしまったのだから。
周囲が口を閉ざした途端、急にシン、と静かになる部屋。おろおろと周りを気にしていたラピスも、その内に頭を垂れて落ち込んでいく。
「『自分のレプリカに会いたい』だなんて、やっぱり変だと思うわよね……」
やはりこの考えは人には理解してもらえないのだろうかと不安に思ったのか、再び彼女の目に涙が溜まっていく。
そして今にもそれが零れ落ちそうになったとき、その悲し気な表情と呟かれた言葉に気付いた女性陣が慌てて取り繕った。
「違うの、ラピス。急に黙ってしまってごめんなさい。私達もあなたと同じように探している人がいるから、共感していただけなのよ」
「そうですわ! 決して、あなたの言っていることを責めているわけではありませんのよ。あなたの考えが余りに素晴らしかったので、感動していただけなのです。ですから、どうぞ泣かないで下さいまし」
「そーそー。あたし達が探してる人も、アッシュのレプリカなんだよー」
アニスが焦ったようにアッシュの方に視線を向けながらラピスに言った。
それを聞いた瞬間、驚いたように「まぁ、そうだったの」と彼女の表情が明るくなった。どうやら涙が落ちるまでには間に合ったらしい。
「でも、ラズリと一緒に行動している人は違うみたいね」
しかし、続けて言われた台詞にぴたりと再び周囲の動きが止まる。
その興味深い発言に真っ先に食い付いたのは、赤目の軍人だった。うさんくさそうな笑顔に加えて掛けている眼鏡が光を反射して白く光り、さらに不気味な様相となっている。
「よろしければ、あなたが持っている情報をお聞かせ願えませんか?」
ラピスは、周囲の空気がまた固まったことを不思議に思いながら、素直にジェイドの言葉に従った。
「えっと、私が治療したレプリカ達から聞いたのは……〝蒼焔の守り神〟は二人で、その内の一人は私とそっくりだと聞いたから、一人はラズリだと思うわ。
けれど、もう一人は焔のような色の瞳を持つ〝若い女性〟だと聞いているの。アッシュさんは男性だから、探しているレプリカの方ももちろん男性よね。だから女性であるその人は違うんじゃないかしらと思って……」
確かに女性であればルークではないと思ったのだが、何故か違うと言い切れない。
ふっとアッシュの頭の中をよぎったのは、音譜帯で目覚める前に見た夢。何の間違いか女性になったルークの夢だった。それと同時にその身体や感触が生々しく思い出され、彼は慌てて頬が染まるのを頭を振ることで紛れさせる。
(あれはただの夢だ……!)
急に頭を激しく降り始めたアッシュに、隣に居たガイが「大丈夫か?」と心配そうに声を掛ける。
さらにその反対側では、手を顎にやり報告書にはない情報に考えを巡らせているジェイドの姿があった。
(報告書には〝女性〟とは書いていなかった。情報収集担当者はそこまでは聞き出せていなかったのか……? いや、この女性が治療のためにレプリカに直に接し、ある程度の信頼があるから聞き出せたのかもしれない。〝蒼焔の守り神〟の一人が、この女性と酷似しているのも理由の一つかもしれませんね……)
ジェイドのぴくりとも動かない表情をアッシュは横目に見ながら、こちらを気に掛けるガイに大丈夫であることを伝えていると、ラピスが何かを思い出したように「でも少し、おかしなことが」と切り出した。
「話を聞くごとにその人の髪色が違うの。茶色だったり、黒だったり……そうね、アッシュさんの瞳の色のような緑のときもあったそうです」
それを聞いた瞬間、アッシュの中の何かが叫び始める。
――〝あいつ〟だと。
根拠も何も無いのに唐突に湧き上がるその感情に彼は動揺する。
(何故だ、何故そう思う)
その渦巻く感情にアッシュは決定的な理由を付けることが出来ない。
「ふむ、それはいよいよ怪しくなって来ましたね」
ジェイドの言葉に仲間達の視線が一斉に彼に向けられる。ジェイドはそれらを受け流しつつ、アッシュの方に身体を向けた。
「アッシュ。あなたにお聞きしたいことが一つ。以前はフォンスロットの回線を開き、それを通じて彼との通信が出来ていたようですが、現在もそれは可能ですか?」
己の感情に歯痒さを感じていた所へ、それに拍車をかけるような質問が飛んで来る。
――回線を繋げる。
それはアッシュが地上へ降り立ち、タタル渓谷でルークを見失ったあのときに真っ先に試したことだった。
しかし何度繋ごうと試みても、以前のように繋がらないばかりか、繋がる素振りすら見えなかったのだ。例えるならば、長く続いている道が、途中でぶっつりと断たれてしまっているような感覚。
苦々しい記憶にアッシュの表情が歪む。そのまま眉間に皺を寄せて、彼に問われた質問に唸るように答えた。
「……それが出来ていれば、俺はこんなところにいやしねえよ」
「それもそうでしたね♪」
ジェイドは眼鏡のブリッジを上げながら、にこやかにそう返した。初めから分かっていたようなその口振りに、アッシュは怒鳴りそうになるのを何とか堪える。
「さて、ここで皆さんにやってもらいたいことがあります」
ジェイドは彼に向けていた身体をくるりと回転させ、今度は仲間達に向かって言い放つ。
『やってもらいたいこと』という言葉にいち早く反応したのはアニスだった。
「それって何ですか大佐ぁ~」
「なぁに、簡単な情報収集と雑務ですよ♪」
そう言うなり、ジェイドはその場にいる仲間達に次々と指示を出していく。
ガイには、これから必要になるであろうアルビオールの手配を。ナタリア、ティア、アニスの三人には、ジェイドと共に各国の保護施設についての情報交換を。
そしてアッシュには、何故かラピスと共にグランコクマのレプリカ保護施設にいるレプリカ達に、『〝蒼焔の守り神〟について詳しく聞き込みをして来るように』と言い渡した。
「なっ、何故俺がラピスと!」
「おや? あなたが最も適していると判断したのですが、気に入りませんでしたか?」
「当たり前だろう!」
彼の抗議に「やれやれ、仕様の無い」とジェイドが溜息を吐いた。
「女性陣に残ってもらうのは、キムラスカ王国、ダアト、ユリアシティの現在の状況を詳しく聞くためです。各国にある保護施設内のレプリカについての情報交換も行いたいですしね。
ただ、〝蒼焔の守り神〟についても気になるところです。ここは二手に分かれた方が効率よく事が運ぶことは明確でしょう。
しかし、どうやら我々だけではレプリカから詳しい情報を聞き出せない。ですが幸いにもここにいるラピスは、レプリカ達の治療をして来たお陰である程度彼らからの信頼を得ていますし、さらには〝蒼焔の守り神〟の片方の被験者だ。
これらのことからラピスは〝蒼焔の守り神〟について、レプリカ達から情報を聞き出すには打って付けの人物だということが言えます。しかし彼女一人で行かせるには若干不安があるので、護衛も兼ねてこちらの内情を知っている人が一緒に行って頂けると有難いのですよ」
息継ぎをすることなく一気に畳み掛けられ、アッシュは一瞬怯む。しかし――
「それは別に――!」
「『俺でなくとも』ですか? そうですね、これぐらいのことならガイにも出来るでしょう。ですが残念ながらガイは〝女性恐怖症〟が完治していないもので。――となると、あなたしか居ないということになるわけです」
ぱくぱくとアッシュの口が金魚のように動く中、ジェイドに「分かって頂けましたか?」と笑顔で言われる。
二の句が告げないまま彼はちらりとガイに視線を向けると、「すまん、アッシュ」と申し訳なさそうに手を上げて謝る姿が見えた。その姿にアッシュはついに観念し、渋々ながらラピスと共にレプリカ保護施設へと向かうことにした。
グランコクマにあるレプリカ保護施設は、宮殿から隠れたところにある。なるべく人目につかないようにと建てられているものの、水を使った譜業はそこでもちゃんと生かされており、そこにあっても違和感がないような作りとなっている。
施設の入口にいる警備兵に声を掛け、アッシュとラピスは中に入った。
保護施設の一階は、主に言葉や知識、要は基本的知識が学べるようになっている。言葉を学ぶ教室や、図書室などが完備され、それらはいつでも使用出来るように開放されていた。
二階は、専門的な知識を身に付けれるような設備が整えられている。例えば料理から始まり、譜業、譜術、武道などが挙げられる。基本的な知識を身に付けていく過程で、向き不向きがある程度分かってくる。この設備はそれらを補うためにあるのだろう。
三階はレプリカ達が生活する為の居住スペースがあり、また医療機関も置かれているようだ。
ここまでくると保護施設というよりは、大きな寮制の学校――といった方が分かりやすいかもしれない。
二人はまず、三階にいるレプリカ達から話を聞いて行くことにした。ラピスが治療を施したというレプリカ達がそこにいるらしい。少しでも顔を見知っていた方が話も聞きやすいだろう。
三階に到着すると、彼女は早々に知っているレプリカ達から情報を聞きだして行く。
アッシュは彼女から数歩離れたところで、その様子を見守っていた。
――近付き過ぎるとレプリカ達が警戒するかもしれない。
彼の考えは正しかった。レプリカ達は一瞬こちらの様子を窺うが、適度な距離が功を奏したのだろう、次々とレプリカ達がラピスに話しているのがアッシュの耳に届いた。
アッシュはそのまま彼女らの声が聞こえる距離を保ちながら、これまであったことを整理しようと思考に耽る。
タタル渓谷で僅かに見《まみ》えたとき、崖上にいたのは朱い髪に碧の瞳だった。あれが〝ルーク〟だということは間違いない。あの色を所持しているのは、あとにも先にも〝彼〟だけだったから。
しかしアッシュにはどうしても逃げる理由が分からずにいる。
(逃げるほど、俺を嫌っている――か……)
それは当然といえば当然だった。かつて自分は、彼に対して八つ当たりとも言える酷い憎しみをぶつけていたのだから。
アッシュはそう思うと、何故だか胸が酷く痛むのを感じた。
崖上でその姿を確認したとき、口には出さなかったが、ルークが生きていると分かって本当に嬉しかったのだ。しかし同時に、自分から逃げていくその姿に腹が立った。だから今、その姿を追い掛けている。
そして、捕まえたそのときには。
――そのときには?
(……俺は、一体あいつをどうしたいんだ……?)
その間にもラピスは次々とレプリカ達に話を聞いていた。
しかし思うような結果は得られなかったらしい。彼女は少し休憩を取ろうと思ったのか、振り返る姿がアッシュの視界の隅に映る。しかし彼は思考の淵に落ち込んでおり、あろうことかラピスがそのままこちらに近寄って来たことに気付かなかった。
「……アッシュさんも、あなたのレプリカのことがお好きなんですね」
にこにこと笑いながら言われたラピスの言葉にアッシュは驚きを隠せなかったが、「〝さん〟は付けなくて良い」とその答えを誤魔化した。
――迂闊だった。気配に気付かないほど考え込んでいたとは。
ついには心中の思いが表情に出てしまう。その苦虫を噛み潰したような彼の顔を見ながら、彼女はくすくすと目を細めながら笑った。
「私、ここに来て良かった。本当はずっと、こんな風に考えてるのは私だけなんじゃないかって不安だったの。でも皆さんと話して、皆さんが探しているレプリカがとても愛されているんだと分かって、安心したわ。
『こんな風に考えてるのは、私だけじゃないのね』って」
嬉しそうに笑うその姿は、見ている者を安らげる効果がありそうだ。次いで「良かったら、探してらっしゃるレプリカの名前を教えてもらっても?」と聞かれ、アッシュは素直に答える。
「――ルーク、という。」
「ルーク……。その名前、聞いたことがあるわ。〝ルーク・フォン・ファブレ〟、確か世界を救った英雄の一人――って、あら? じゃあ、あなた達が!? 」
「これって凄いことね!」と彼女は飛び跳ねる勢いで喜んでいる。
だがそれとは逆に、アッシュの心中は複雑だった。世界を救ったことに間違いはないのだろうが、その裏に隠されている真実を思えば、〝英雄〟などという肩書きを背負うには相応しいとは思えない。
ラピスは彼の微妙な変化に気付いたのだろう、先程とは打って変わって申し訳なさそうな表情になっている。
「何か、気に障ったのならごめんなさい。でも……じゃあ私、アッシュ達にお礼を言わないといけないわね」
「礼など――」
「いいえ、言わせて欲しいの。ありがとう。あなた達がいなければ、きっとラズリは生まれていなかったわ。だから、ラズリと出会わせてくれてありがとう」
本当にこの女性は、とアッシュは思う。
今までに世界を救ったことに対しての礼は何度も言われたが、レプリカに出会わせてくれたことについての礼を言われたのはこれが初めてだ。レプリカについてはいつも嫌悪や、憎悪や、中傷しか耳に入って来ないというのに。
「――本当は、こんな風に言っちゃいけないんだろうけど、ね。でも、少なくとも私は嬉しかったわ。だから、とーっても感謝してる!」
「本当よ?」と言ってラピスは笑う。その笑顔はまったくと言って良いほど、嘘偽りの無いものだった。
以前からアッシュに対して重たく圧し掛かっていた何かが、少し軽くなったような気さえする。
「さぁて! そんな大事な人なら、早く探さないとね!」
ラピスはそう言いながら、再びレプリカ達から話を聞くための作業に戻った。それを見届けたアッシュもまた、思考に耽る。
(大事な人、か……)
大事――とは違うような気がする。大事というよりは、自分にとってとても大切な……――そう、なくてはならない存在。
ずきずきと彼の胸が痛む。
一体これは何だというのだ。これではまるで、自分があの存在のことを好――
――好き。
その答えに辿り着いた瞬間、アッシュの頬に熱が集まるのが分かった。
(待て、待て待て待て!!)
心臓が早鐘のようにうるさい。
(俺があいつを好き、などと、そんなことは――!)
しかしルークを好きだというその感情は、彼の考えとは裏腹に不思議にしっくりと心に収まっている。
その感情に追い付けずに唸っていると、遠くからこちらを呼ぶラピスの声が聞こえた。
アッシュはしっくりと収まったそれに蓋をしながら、急いで彼女の元へ向かった。