リドが操る船が完全に見えなくなったあとも、ルークとラズリの二人はしばらくそのままの状態で固まっていた。
ちゃぷちゃぷという波音に促され、こうしていても仕方がないと二人はようやく足を動かした。とりあえず黄緑色の髪をした少年に言われたように、洞窟にあった階段を上って外に出ることにする。
出口は、カイツール軍港から離れたところにあった入口のように、やはり茂みで巧妙に隠されていた。あの少年は相当こういったことが好きらしい。
二人はなるべく音を立てぬように茂みから顔を出し、そのまま辺りを窺う。魔物は居ない。どうやらここからレムの塔まではほぼ一直線のようだ。
レムの塔に近付いて行くにつれ、あちこちにちらほらとレプリカの姿を見掛けるようになる。
もうすぐ夜が明けるのだろうか、薄明るくなって来た空を仰いで何かに思い耽る者や、日の出を見ようと寄り添いあって語り合う者達の姿は、どこからどう見ても普通の人間とそう大差はない。
彼ら――レプリカ達にも感情があり、生きているだけなのに、何故それが世界から疎まれるのか。
確かにレプリカを作るための情報を抜かれ、それが原因で死を遂げた人もいる。だからといって、それはレプリカ自身の咎《とが》ではないはずだ。
人間の――それもごく一部分の――身勝手な感情により生み出され、それを責めるならまだ納得がいこうものを。作られた存在だからと、感情がなく知識も無い生まれたての赤子のような状態のレプリカに対して、ありとあらゆる暴言を吐き、嫌悪し、迫害し、あまつさえ奴隷のように扱うなどという行為は、決して許されるべきではない。
レプリカはただ、生まれるのが遅かっただけ。感情を知る時期が、ある程度成長した姿から始まるだけ。それが赤子の姿であれば、なおさら人のそれと変わりはないのに。
知らずルークの拳を握る力が強くなる。
自分がそんなことを言えた義理ではないけれどと思いながら、それでもルークは願わずにはいられなかった。
――ここに居るレプリカや、まだ世界中に散らばっているレプリカ達を守りたい。
――この世界を、生まれた意味を、恨まずに生きていて良かったと思わせてやりたい。
視線を上げれば天に届けとばかりに聳《そび》え立つ塔。
かつてルークはここで一万人ものレプリカを道連れに、オールドラント全体を覆う障気を消そうとしたことがあった。尊い命を犠牲にしたお陰か、見事に障気は消えた。
――自分だけが、生き残ってしまったけれど。
ルークはぐっと奥歯を噛み締める。
償いをしなければならない。何千、何万という命を殺してしまった償いを。いつか金髪の青年に言われた、『残りの人生を全部使って世界中を幸せにする』。またここに降り立つことが出来た今、それを実行しなければならない。
――例えこの胸の奥底に眠る、淡く広がる感情や願いに蓋をしてでも。
「……ルキア」
ラズリに声を掛けられてルークははっと我に返る。
何とか平静を装ってルークがラズリを見ると、彼女は前方に視線を向けたまま「入り口に誰かいる」と言って来た。
今は他事を考えている場合ではない――ルークはそう気を取り直して、慎重に足を進めていった。
二人がゆっくりと近付いて行き、まず目に入ったのは透き通った黄金の――琥珀色の髪。あれがリドの言っていたリーダーだろうか?と二人は首を傾げる。
その人物は二人に気付き、こちらに向かって何故か大きく手を振りながら笑顔で走って来た。
「やっぱり、あんた達だったか!」
向こうはどうやら二人を知っているらしいが、しかしどうにもピンと来ない。
「なぁ、約束通り俺頑張ったぞ! おかしくないか? ちゃんと顔に出てるかな?」
その言葉でようやく思い当たった人物の名を二人同時に叫ぶ。
「「アンバー!?」」
そこにいたのは、ラズリと行動を共にするようになってから初めて助けたレプリカで、さらにレプリカ救済活動を行うきっかけとなった人物、〝アンバー〟だった。
「何だ、とっくに気付いてるかと思ったのに。へへ、それぐらい上手に出来てるって思って良いのかな?」
アンバーは、指で鼻をこすりながら得意気に言う。
彼はケセドニアでの別れ際に約束していた通り、表情豊かになっていた。あのときは傷だらけでよく分からなかったが、体格もさほど良いとは言えない方だと記憶している。
それが今や傷も完治し、体格の方も鍛えたのか、かなり引き締まっている。琥珀色の髪もきちんと手入れされ、伸びた髪は長めの紐で一つにくくられている。
以前とはあまりにも印象が違っていたため、二人はすぐに以前助けた彼――アンバー――だと気付かなかったのだ。
「リドから『〝蒼焔の守り神〟らしき人物をよこす』って連絡が来たからさ、もしかしたらと思っていたんだ」
「ここで話すのも何だから」と、彼に言われるままレムの塔内へと二人は案内される。
レムの塔内部は、以前からするとがらりと様相が変わっていた。
どこか薄暗かった塔内には柔らかな光を放つ照明が付けられ、譜業で壊した昇降機のガラスの覆いはきちんと直されていた。さらに階段しかなかったはずのそこには、寝泊り出来るような部屋や休憩所が作られ、聞けば簡単な会議室もあるらしい。
ラズリは「まるで一流のホテルのようね」と言っていたが、以前の様相を知っているルークはただ呆然とするしかなかった。
「こんなのどうやって作ったんだ?」というルークの問いに、若干言葉を濁したアンバーが答える。
「――リドの神秘だ」
「リドがやったのか!?」
あの少年がこれらを全て直し、また、作ったというのだろうか?
しかし驚きはしたがどこか納得した部分もあったので、ルークはそれ以上聞くのはやめておいた。
アンバーによると、レムの塔にいるレプリカ達は全てここで寝泊りをしているらしい。二人はその中にある一室、会議室へと案内された。
恐らくここを拠点にしているのだろう、部屋の中にはレムの塔周辺の地図と、街の設計図らしきものが机に広げられている。
そこから少し離れた椅子に腰を掛けて一息ついたあと、まず手始めとしてケセドニアで別れたあとに何があったのかをアンバーに聞いた。
彼はあれから傷が回復するのを待って、すぐにグランコクマのレプリカ保護施設へと送られたが、レプリカに対する冷めた視線や偏見に耐えられず、数ヶ月で出て来たのだという。しかし、生活する上での必要な知識は教えてくれたらしく、保護施設を出てもさほど支障はなかったとか。
それを聞いたルークは、ジェイド達が頑張ってくれているのだと胸を撫で下ろす。それでも、レプリカに対する偏見は今だ拭い去れていないようだが。
「ここには何故?」
「俺も聞きたいぐらいなんだけどな。誰かに、呼ばれたような気がしたんだよ」
しかもそれはアンバーだけではないらしい。世界各地から彼のようなレプリカが集まって来ているのだという。
軍港からここまで送ってくれたリドのように、自我が目覚めて自らここへ来る者、呼ばれるようにして来る者、様々だと。
呼ばれているというのは、刷り込みによる情報が今だ残っているせいかもしれないなとルークは思う。
最初は少人数だったが、今では結構な人数がいるらしい。
「こんなに増えたら、さ。作ってみたくなったんだ。自分達の街を、――国を」
――レプリカの街。
――レプリカの国。
誰にも邪魔されずに日々平穏に過ごせる場所。レプリカにとっての――居場所。
もしそれが出来るとするならば、それはレプリカ達にとってどんなに幸せなことだろう。
ここにいるレプリカの中では、アンバーを含む何人かが集まって街を作ろうと頑張っているらしい。しかし色々と模索はしているものの、やはり思うようにならない部分もあるようだった。それは彼の苦々しい表情から充分察することが出来た。
ルークとラズリの二人は、自分達にも何か出来ることはないかとアンバーに伝える。
「とんでもない! あんた達は世界各地で同胞達を助けてくれているだろう? それに俺にとっては命の恩人だ。恩人にそんなことさせられない。
でも折角来てくれたんだ。何もないところだけど、ゆっくり観光でもして行ってくれ。皆喜ぶぜ?〝蒼焔の守り神〟が来たと知ったらさ」
「でも皆が頑張っているのに、私達だけが好意に甘えるのは……」
「各地にいる同胞達の心の支えになってくれてる。それだけで充分さ。でも出来ることがあるとしたら、そうだな……」
「何かあんのか!? 何でもするぞ?」
意気込む二人を目にしながらアンバーは腕を組み、少しの間何かを考えるように天を仰いでいたが、急に口角を上げてにっと笑みを浮べたと思えば――
「俺に、二人の〝名前〟を教えてくれないか?」
「すっかり聞きそびれてたからなぁ」と言って豪快に笑い始めた。
一体どこでそんな笑い方を身に付けたのだろうかとルークとラズリは不思議に思いながら、そういえばまだ教えていなかったと改めて自己紹介を始めた。
そのあとも再度手伝いの申し出をしたが、アンバーはどうあっても二人を手伝わせる気はないらしい。
こちらとしても無理矢理手伝うわけにもいかないので、仕方なくここの状況や仕組みについて聞くことにした。
現時点でレムの塔へ集まって来ているのは、およそ百人程度。その全員がこの中で寝泊りをしているらしい。物資はリドが定期的に運んで来ているので、今のところ問題はないようだ。
ここでラズリがあることに気付き、アンバーに問う。
「ちょっと待って。ここを維持する資金はどこから出ているの?」
「ああ、それは……うちに一人、変な芸術家――っつーか画家か、がいてね。そいつが描く絵は貴族の間で物凄い人気でさ、市場で高額取引されているんだ。もちろんレプリカだとばれないように仮名を使っているけどね。あとはそうだな……、リドの傑作品を売ったりとか、俺もたまに魔物退治に出向いたりしてるよ。その金を資金として使っている」
二人は彼の言う〝変な芸術家〟というのが気になりはしたが、そういうことなら納得のいく話だった。
それを聞いて、そういえば確かあの屋敷に飾られていた絵は――ルークにはその価値は分からなったが――、結構な値のする絵だと誰かが言ってなということをルークは思い出した。
アンバーに「さぁ話はここまでだ」とそこで打ち切られ、二人はそのまま寝泊り出来る一室へと案内される。
そこは簡易ベッドが二つ並んでいるだけの質素な部屋だったが、充分身体を休められそうだった。よく見ると洗面所と浴室まで付いている。窓からは夜が明けたのだろう、日の光が差し込み始めていた。
「なぁ、ラズリ」
「えぇ。分かっているわ」
何も言わなくても理解してくれる存在がありがたい。二人はしばらくここへ滞在することを決めた。