太陽系第二惑星、オールドラント。
そこには、かつて未来を詠む力を持つ第七音素集合体と契約した〝ユリア・ジュエ〟が残した預言《スコア》があった。彼女が持つ力は偉大であり、また、彼女が詠んだ預言は正確でもあった。
だが、ユリアが数千年先の未来まで詠んだという膨大な預言――惑星預言《プラネットスコア》には、惑星オールドラントの滅亡が詠まれていたのだ。
それを阻止すべく、第七音素集合体――ローレライの力を受け継いだ二人の少年と、彼女の子孫である一人の青年が立ち上がった。
【ND二〇〇〇 ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。其は王家に連なる赤い髪の男児なり。名を聖なる焔の光と称す】
【ND二〇〇二 栄光を掴む者、自らの生まれた島を滅ぼす。名をホドと称す】
赤い髪を持つ少年達とユリアの子孫である青年は、彼女の預言を覆すという想いは同じであったが、その方向性が違っていた。そして違えていた故に衝突し合い、争い、結果的には世界を救うことが出来た。
しかしそれは同時に悲しい結末をも迎えてしまったのだ。
一度もはずれたことがないという、ユリアの預言を覆すために必要であった〝ローレライの解放〟を行うための旅路の途中で、赤い髪の少年の一人は僅か十七年という短い生涯を終える。そしてユリアの子孫である青年は、預言に頼り切る世界を消滅させ、預言に詠まれない複写《レプリカ》世界に創り変えるために奮闘した。
だが、志半ばにして生涯を終えた赤い髪の少年の遺志を継ぎ、また、彼のレプリカでもあるもう一人の赤い髪の少年がこれを制した。
この物語は、その少年がローレライを解放した瞬間から始まる。
◆ ◆ ◆
倒壊を始めた建物の内部で、碧の円陣が広がっていた。どこか暖かくも見えるそれは、地核へと落ちていく者達を安心させる。
その円陣の中心には二つの人影があった。青年には届かない、どこか幼さを感じさせる少年達だった。その二人共が同じような色の赤い髪と、双子かと見間違えるようなそっくりな顔立ちをしている。違いがあると言えば髪の長さとその色の濃さぐらいだった。恐らくはその目に有する色も同じだろうと思われたが、残念ながらそれを確認することは出来ない。
何故ならば片方の――血のように紅い色をした長髪の少年が眠るように目を閉じていたからだった。その顔や身体全体に生気が感じられないことから、彼はすでに絶命していることが窺える。
意識のない少年の身体を抱えた、もう一人の少年――ルークは、ぎゅっと歯を食いしばった。
崩れ落ちた建物の破片達が、二人の足元にある円陣の周りをすり抜けていく。円陣はそれを追うように深く深く、果てが見えない底にゆっくりと降りていった。次々と降り注いで来るそれらを見ながら、あぁもうすぐ自分は――とルークはどこか遠くに思う。
これはもう分かっていたこと。とっくに仕方が無いことだと納得していたことだ。
確かに〝ルーク〟という存在は消えるかもしれないが、記憶と肉体は〝大爆発《ビックバン》〟という現象によって、自分の被験者《オリジナル》であるアッシュの基盤となる。
そのお陰もあってか、ルークは自分自身が消えることに対しての恐怖はあまりなかった。
彼は視線を下ろし、腕に抱えている存在――アッシュを見る。
さらさらと長い紅い髪がゆっくりと棚引いていた。そこに苦しんだ様子はない。逆に、どこか安心しきって眠っているようにも見える。
――自分の死期を決めていたのだろうか?自分の役目は終わったのだと、諦めていたのだろうか?
(……そんなことは、させない)
あの人生が満足だったなんて思わせたまま、決して死なせてなんかやらない。自分が奪っていたものを、アッシュが求めてやまなかった場所を、やっと――やっと、返せるのだから。
そう強く思いながら、ルークがじわじわと感覚がなくなりつつある手に力を込めたそのとき。辺りをぐるりと炎が舞った。
眩いほどの炎が収束すると、次いでルークには聞き慣れた声が周囲に響く。
『世界は消えなかったのか……私の見た未来が……僅かでも覆されるとは……驚嘆に値する』
「ローレライ……」
アッシュを抱きかかえたまま立ち尽くすルークの前に、ゆらゆらと焔が揺らめいている。
――第七音素集合体《ローレライ》。
この旅を始めるきっかけとなり、また、終わりを意味する全ての存在。
ルークはふいに腕に違和感を覚え、視線をそこに移すと、すでにその一部がアッシュの身体に溶け込み始めていた。もう時間がないことを示すそれにルークは苦笑を漏らし、彼を落とすわけにはいかないと、その身体を静かに円陣の上に横たえた。
さらさらと光がこぼれ、集まり、またこぼれ。ルークから溶け出す光の粒達がアッシュの中に消えていく。
流れるようなその様子を「綺麗だな」と、ルークはどこか他人事のように感じていた。
『愛し子の片割れよ……礼を言う』
「良いよ。むしろお礼は俺じゃなくてアッシュ――いや、〝ルーク〟に言ってやってくれ」
「どうせ俺は消えるんだし」と言ってルークは笑ってみせるが、普段よりも上手く笑えていないことに気付いたのか、それを誤魔化すように続けてアッシュを見詰めた。
ルークはせめて消えるその瞬間まで、アッシュの顔を覚えていたいと覗き込む。ある程度自分の欠片が溶け込んでいったせいだろうか、先程よりも顔に生気が戻っているような気がしたルークは、安堵の息をつく。
「なぁ、ローレライ。アッ、――ルークはちゃんと生き返るんだよな……?」
『……あぁ。お前達の言う大爆発現象によってな』
「そっか、良かった……」
――紅い、紅い髪。
最初は大嫌いだったけれど、旅をしていく内にいつの間にか大好きになっていた。この髪を背負う、勇ましく誇らしい彼が大好きだった。
だからこそ、とルークは願う。
生きて戻ったら、今度こそ幸せになって欲しいと。そして出来れば、自分の記憶もこっそりと隅に置いて欲しい。それで充分だと思う。今まで散々迷惑をかけてしまったから、恩返しをしなければ。
(結局、好きだって言えなかったけど……)
今となっては伝わらない方が良かったのかもしれないとルークは思う。伝えることでこの関係が崩れてしまうのならなおさらだ。
そうして想いに耽っている間にも光の粒の吸収は進む。すでにルークの身体は全てアッシュに溶け込んでしまっていた。そして残るはその記憶だけとなったとき、今まで順調に解《ほど》けていた光が動きを止めた。
『――あれ?』
――どうしたんだろう。
身体が全て溶け込んでしまったため、ルークはローレライと同じような意識集合体という光の塊になっている。
おかしいなと思いつつもう一度彼の中に入ろうとルークは試みるが、何度やっても跳ね返された。
『なぁローレライ。これってどういうことだ?』
身体があればきょとんとした顔で首を傾げているだろうルークの問いに、ゆらりとその身体を揺らしてローレライが答える。
『……ふむ。これはまた……相当強い意志で阻まれているな』
――死してなお、拒むというのか。
『それって……俺の記憶はいらないってことか……?』
そこまで嫌われていたのだろうか?まだ、認めてはくれないのだろうか?師匠との決戦前に対峙したとき、分かり合えたと思ったのは自分だけだったのだろうか?
ルークは呆然とした様子でその場に漂っていた。
(そりゃ……こんな情けない奴の記憶なんていらないよな……)
諦めたようにルークは思う。
結局〝ルーク〟の記憶を取り込まないまま、アッシュの身体は構築されることになった。
では取り込まれなかった自分は第七音譜帯に還るのかとルークが聞けば、ローレライは『それはない』と答えた。続けて何故かと聞くと、『ちょうど話し相手が欲しいと思っていたところでな』という返事が返って来た。本体に必要とされていないと沈む気持ちがあっただけに、ルークはその言葉に嬉しさを隠せなかった。
そのまま高く上昇し続け、気付けばここは天高くにある音譜帯。空はこんなにも綺麗なのに、一向にルークの気持ちは晴れないままだった。
原因は彼の目の前にいる紅い髪の存在――アッシュ。
地核にいたときとは違って今は身体中に生気が戻り、彼はすやすやと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。人がこんなに悩んでいるというのに呑気なものだとその頬をつねってやりたいとルークは思ったが、生憎そうしようにもすでに身体がない。
寝ているアッシュは、目を覚ませば今すぐにでも動き出しそうに見えたが、ルークの記憶を拒んだことでぽっかりと空いてしまった部分を埋めるために、まだもう少し構築に時間が掛かるらしい。ローレライ曰く、『精神というものは非常に繊細だからな』ということだ。
その際「確かに」と納得したものの、やはり暇をもてあましたルークは、別段することもなくふわふわと辺りを飛び回っていた。
それを見かねたのか、呆れたような口振りでローレライがルークに告げる。
『まだ構築は終わらないことだし、気晴らしに下の様子でも見て来たらどうだ?』
――ちょっと待て。簡単に言ってくれるけども。
『こっから動けるのかよ、俺』
『簡単なことだ。自分が見たいと思うものを願えば良い』
『そうすると〝見える〟はずだ』とローレライは言う。
ルークは意識集合体となった身で果たしてそんなことが可能なのかとも思ったが、そういえばここにいるローレライも意識集合体だったということに気付き、とりあえず試してみることにした。
(今の世界を)
――皆の様子を。
そう願った瞬間、ルークの意識が急降下し、物凄い速さで世界を駆け抜けていく。
アッシュと共に音譜帯に昇ってから少ししか経っていないとルークは思っていたが、下界ではすでに一年と半年が経っていた。上とは違う時間の流れにルークは驚いたが、すぐに気を取り直す。
(まずは、レプリカ達がどうなっているのかを見たい)
願った瞬間に映される意識は、キムラスカ王国の首都バチカル・ダアト・マルクト帝国の首都グランコクマ・ケセドニアの順番で巡っていく。
ローレライを解放したあと、各国にはレプリカ保護施設が設置されていた。
レムの塔でかなりの人数が消え去ったとはいえ、残されたレプリカも少なくない。当てもなく彷徨うレプリカ達を各地で保護し、そのあとは施設内で必要最低限のことを教えているようだ。
その事実にルークは少しほっとする。きっと、仲間達が上手くやってくれているのだろう。
しかし彼が安心したのもつかの間、良いことはそう長くは続かなかった。他の小さな集落や街を巡ったときに、ルークは驚くべき状況を目にしたのだ。
先の戦いでレプリカの存在は世界中に知れ渡った。そのお陰で保護施設や体制は整いつつあり、理解ある人達も少しずつ増えてはいるが、やはりまだレプリカという存在自体を拒否している人達の方が多い。そんな中での彼らの扱いは酷いものだった。
いきなりの暴言と奴隷のような仕打ち。中には気を失うまで殴り続ける者までいた。対してレプリカ達はといえば、当然のことながら抵抗する術がないため、ひたすらに耐えている様子が見える。
それを見たルークの脳裏に、レムの塔でレプリカマリィ達と交わした約束が浮かんだ。
〝……約束だ。生き残ったレプリカ達に生きる場所を与えてくれ。我々の命と引き替えに……〟
(こんな状態じゃ生きる場所なんて――! くそっ! 何とかならないのか!?)
『――見たいものは見えたか?』
何とかしようにも何も出来ないと憤るルークに、ローレライから声が掛かった。どうやら考え込んでいる内にいつの間にか音譜帯へと戻って来ていたらしい。
『俺……前にレムの塔で約束したんだ。生き残ったレプリカ達に生きる場所を与えるって。皆、頑張ってくれてるみたいけど……でも、今見た状態じゃ……とても……』
――何も出来ない自分が、悔しい。
『せめて、奴隷みたいに扱われてるレプリカ達を助けてやりたいけど……こんな状態じゃもう無理だし――』
『無理ではないが』
『は?』
突然何を言い出すのだろう、この第七音素集合体様は。
ルークは実体のない首を傾げる。
(どう考えたって無理だろう?)
――自分の体は目の前の紅い存在に返してしまったのだから!
『同じ振動数――この場合、我とお前達の関係にあたるが、その同性が同時に存在しようとすると乖離現象を起こしてしまうのは分かるな?』
『……うん。それで俺の身体はア――ルークに戻るんだろ?』
『しかし完全同位体でも、同性でなければ――つまり、お前の世界で言う〝女性体〟であれば同時に存在することが出来る』
『――へ?』
一瞬、ルークの思考が止まる。
『あの姿ならば、完全同位体ではなくなるからな。身体の方は我が一から創るとしよう。まだ片割れの構築途中だが、そちらを優先するぞ?』
『――って、ちょっと待て待て待て!』
『我は、我を解放してくれたお前にも恩を返したいのだ。それぐらいはさせてくれないか』
『だから待てって! それはなんだ、つまりその……俺が〝女〟になれば皆のところに戻れるってことか?』
『そうだ』
――今まで悩んでいたのは、一体何だったのだろう。
ルークからがくりと一気に気が抜ける。
それにしても、少し気が遠くなるような話しだと彼は思う。
望んだ生ではないにしろ、男として生まれ、男として育った七年間。それがいきなり女になって生き返れだと?
こんな馬鹿な話しはないとルークは思うが、生きた体をもらえる上に、しかも今度は消えることなく存在出来るとなれば、これ以上のことはないと考え直す。
――アッシュより早く下界に降りることは気が引けるけど、どうせ嫌われてるんだし。
――降りても仲間に会わなきゃ良いし。女になったのならなおさら会えないし。
――戻ったところで、アッシュの居場所をまた奪うわけじゃないし。
――女になるのはちょっと怖いけど、それでも自分があのレプリカ達に出来ることがあるならば。
つらつらと理由を上げながら、ルークは早々に女になることを決意する。自分でも楽観的過ぎるとは思うが、背に腹は変えられない。
――もう一度、あの世界で生きられるのなら。
ルークはそうして悩んだ末によろしく頼むとローレライに告げると、彼はすぐさま新しい身体を構築する作業に取り掛かる。それを眺めながら、ルークはその隣で眠っているアッシュに心の中で謝罪しておいた。
そして目の前で女と化した自分が出来ていく様を見て、ルークは改めて心に固く誓う。
(絶対アッ――ルークと、皆――特にジェイド――には会わねぇ!)
――こんな姿、見せてたまるか!!(自分ですら直視出来ないのに!)