いくつかの欠片。
置かれた布石。
――これはまた。
――思っていたよりも面倒くさいことになりそうだ。
つい先程届いたばかりの書類を見ながら彼――ジェイドは、自身の鼻筋の上にある眼鏡のブリッジを押し上げた。その眼鏡の裏には、いつも冷静な彼にしては珍しい表情が浮かんでいる。
ジェイドはあれから綿密に反レプリカ組織〝リア〟について詳しく調べていた。その結果、活動内容や活動開始時期などはすぐに判明したのだが、肝心なところ――例えば組織を取り仕切る人物名や活動拠点などだ――が分からない。
この時点で彼はそれを不審に思う。
自慢ではないが、マルクト帝国が所有する情報網はジェイドの働きもあって相当な範囲を持っている。だからこそ、素性を隠して逃げ回っていたルークも見付けることが出来たのだ。
だが、その力を持ってしても〝リア〟の情報がこれだけしか分からないというのはおかしい。そして手に入れた情報を見るに、調べ上げたこの情報ですら意図的なものを感じてしまう。
反レプリカ組織が掲げているのは〝世界中のレプリカを消して、元の世界へと戻す〟こと。活動開始時期は〝蒼焔の守り神〟の噂が広まるようになってから。活動内容としては、路頭に迷ったレプリカを消したり、レプリカを迫害したりと、組織という割には小規模な活動ばかりだ。
彼の中で何かが言う。
――これは違う、と。
世界中のレプリカを消すと銘打っている組織が、ずっとこんな活動を行っているはずがない。必ずその裏では何かが起こっているはずだとジェイドは考える。
しかしその考えとは裏腹に、手元に届いた資料にはそれ以上のことは書かれていない。
(……内通者がいるな)
これだけ調べ上げても情報が出て来ないということは、軍の関係者もしくは各国の幹部達に組織と繋がっている連中がいて、これ以上の情報が流れないように差し止めている可能性がある。
ジェイドがその結論に達したとき、まだレプリカの存在が認められないのかと彼の中で腸《はらわた》が煮えくり返るような思いがしていた。
そしてもう一つ気になること。
最近レプリカの街の建設現場で、小規模な事故が多発しているとガイから連絡があった。
その事故はレプリカに留まらず、工事に携わっている被験者達の間にも起きているらしい。最初は本当に些細なことであったためにジェイドは特に気にしてはいなかったが、段々と増えて来る件数にさすがの彼も不振に思い始めた。
(確かにこの数は異常だ)
しかも、工事を妨害していると思わせるような原因でもない。ほとんどが小さなミスの連続で、負傷者はいるものの死者は出ていない。レムの塔にいるレプリカの人数も減ってはいないようだ。
こちらに内通者がいるとすれば、恐らくそれは向こうにもいる。だが今のところ内通者達は動く気配を見せていない――いや、ひょっとしたらすでに動いているのかもしれないと彼は思い直す。
(十中八九、動いているでしょうね)
ジェイドは「やれやれ」と口にすると、机に置いてある呼び鈴を押す。
瞬時にそれを聞き付けた兵士が、「お呼びですか大佐」と言いながら駆け込んで来た。その兵士に対して、ジェイドの中で最も信頼がおける何名かの兵士の名前を口に出すと同時に、ここへ連れて来るようにと命じた。
そうして呼び出された兵士達はすぐに執務室に訪れた。全員がこれから一体何を命じられるのかと、真剣にジェイドの表情を窺っている。
その目に嘘や怯えはない。心から彼を心酔しているようだった。
ジェイドはそれを確認した上で、「これからやることは内密に」と彼らに釘を刺して各々に命令を下していく。そして最後に「期待していますよ?」と微笑んで声を掛ければ、ジェイドに忠誠を誓っている彼らの心は掴んだも同然だった。
誰よりも早くこの目の前に居る憧れの上司に手柄を上げて見せるために、彼らは我先にとその場をあとにした。
(まったくもって分かりやすい人達ですねぇ。まぁ、もっとも単純でなければこの任務は全う出来ないでしょうが)
「さて次は――」とジェイドが視線を机へと戻したとき、先まで目を通していた書類がないことに気付く。もう一度確認しておこうと思っていたそれは、本来ならここに居てはいけないはずの人物によって声高らかに読み上げられていた。
「街の方は大分建設が進んでいるみたいだな――にしちゃあ、事故が多いようだが。何だ? この階段を踏み外したとか荷物を落としたとか、ちょっとしたミスばかりじゃないか」
「ちゃんと教育出来てんのか?」と話し掛けて来るその人物に、ジェイドは盛大に溜息をつく。
確かこの部屋には彼お手製の何十もの罠が張り巡らされていたはず――だというのに、この人は。
「……へーいか♪ 今度はどこに穴を掘られたんですか?」
「あぁ、お前の椅子の真下だ」
ジェイドの目が、いつの間にか忍び込んで来たやっかいな幼馴染兼上司に向けられる。
(真下か。確かにあそこは罠が張れない。今度から定期的に机と椅子の場所を変えるように気を付けておきましょう。それとも、新しい罠譜術を試してみる良い機会かもしれませんね……)
対して、ジェイド宛の書類を勝手に読んだ金髪の皇帝――ピオニーは、悪びれもなく笑って彼を見詰めている。
(甘いな、ジェイド。どこに変えようがお前の部屋の間取りは熟知している。ま! お前が歩くのをやめたら、俺は入れなくなるだろうがな)
二人は、互いの腹の中を隠すようににっこりと笑い合う。もし今この場に誰かが入って来ようものなら、すぐにでも逃げ出すだろう雰囲気が漂う。
そうしてしばらく経ったあと、ついに観念したようにジェイドが肩を軽く上げながら溜息をついた。
「――で? 何か用事があって来たのではないのですか?」
「特に用事はない」
キッパリとにこやかにそう告げる彼に、あやうくジェイドは譜術を発動しそうになったが、ぐっと堪える。さすがにこの皇帝陛下にはまだ生きていてもらわなければならない。
「そんな怖い顔して笑うなよ。相変わらず可愛くないな」
「生憎、陛下が『可愛い』と言われるブウサギのような気性など、私は持ち合わせておりませんから♪」
しれっとした顔で憎まれ口を叩くジェイドに、ピオニーは反論しそうになったが、これ以上のからかいは不要と判断した彼は、手に持っていた書類に再び目を落とした。
やはりピオニーもレプリカの街の工事が順調に進んでいる中で、小規模な事故が多いことが気になったようだ。それに加えて、ルークの捜索、そしてここにいるジェイドから報告があった反レプリカ組織〝リア〟の存在。マルクト帝国の皇帝である彼にとっては気になることばかりだった。
「――ったく、この事故にしたって同じようなこと繰り返しやがって。いっそのこと全部足並み揃ってりゃ、手っ取り早いのになぁ」
面倒だと思いながら何気なく発したピオニーの言葉に、それを聞いていたジェイドの動きが止まった。
――小規模な事故の多発。
――同じことの繰り返し。
――負傷者はいても、死傷者はいない。
――足並みを揃える。
それらの単語が繋がったことに、ジェイドは独特の笑みを浮かべる。
ピオニーは幼馴染が浮かべたその表情の意味をよく知っていた。こんな顔をしたときのジェイドは大抵碌なことを考えていない。
「……お前、また何か企んでるだろ」
「いやですねえ、企むだなんて人聞きの悪い。至って健全そのものなことですよ♪」
にっこりと笑ってジェイドは言う。続けて「それより陛下ご相談が」と彼に話し掛けられ、ピオニーは耳を向ける。
ジェイドから相談された内容に、ピオニーはいたずらをする前の子供のような笑みを浮かべた。彼の提案に「面白そうだな」と言ってのける褐色の皇帝陛下も、結局は同じ穴の狢《むじな》ということだなのだろう。
◆ ◆ ◆
薄暗い部屋の中で男は一人立っていた。どうやらこの部屋に窓というものはないらしい。
壁を見ると剥き出しの岩や土が見え、明らかにここが普通の部屋ではないことが分かる。
そんな中、次々と送られて来る報告にその男――反レプリカ組織〝リア〟の首領であるモルダは、満足気に頷いた。
「〝石の灰〟 は、順調に事を進めているようだな」
その言葉に近くにいた配下が「そのようです」と返事をする。
「――他国の動きの方はどうだ?」
「はい。キムラスカ王国及びダアトから調査隊が派遣された模様ですが、幹部らが以前と同じ対応をしてくれたようです。向こうには前回と似たような調査結果が送られているかと」
「各国の幹部は、余程レプリカが邪魔らしい」
彼の喉の奥底からくぐもった笑いが込み上げる。そのあまりに冷たい嘲笑に、配下の背中に嫌な汗が流れた。
本能で分かるのだろう。――〝この人は敵に回してはならない〟と。
モルダはそうしてひとしきり笑ったあと、目を細めて小さく呟いた。
「さて……、そろそろ〝姫君〟を迎える準備をしないとな」
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