ふわり、ふわり。
舞うように、踊るもの。
ケセドニアでレプリカの少女と出会ったルークは、現在船の上にいた。隣ではその少女――カルサが静かに佇んでいる。
彼女の行きたいところがケテルブルクだと知ったとき、ルークはまず、何故そこへ行きたいのかをカルサに聞いた。少女の口から出るつたない言葉から察するには、どうやらケテルブルクには以前カルサを助けてくれた人がいるらしい。その上「その人に御礼を言いたい」と言われてしまっては、彼女に拒否権などありはしない。
その時点で、ルークは少女をケテルブルクまで送り届けることを決めてしまったのだ。
(そりゃ、〝リア〟の動きも気になるけど……さ)
ちらり、とルークは横目で空が曇り始めたせいで灰色がかって来た海を、一心に見詰めている少女を見る。
あの軽装でケテルブルクへ行くには多少無理があったため、ルークはいつも贔屓にしている染料店で少女向けの上着を買い与えてやった。その際、大き目の防寒用マント買っておく。
そして、少女が必死で赤い右目を隠そうとしていたのが分かっていたので、それを隠せるような帽子も買ってやる。上着と帽子を身に付けた彼女の外見は、今や寒い地方へ遊びに行こうとしている普通の少女にしか見えない。
(……ま、良いか。ケテルブルクで情報を集めるっていうのもありだしな)
――それに、何となく雪を見たいと思った。
数日を経て、船はケテルブルク港へと入って行く。
ここでもルーク捜査網は緩んでおり、さらにカルサを連れていることでカモフラージュにもなったのだろう、二人は難なく港に入り、そして早々に出ることにした。
港を出る前から、しんしんと降り注ぐ――雪。
上から、下へ。柔らかに落ちて来る。
辺りに降り積もった雪を踏みしめる音が響く。はぁ、と息をすれば、ルークの口から吐き出された白い固まりが空中で霧散した。
雪に足を取られて転ばないようにと、ルークはカルサの手を取る。お互いの体温が暖かい。
「カルサを助けてくれた人ってさ、……どんな人なんだ?」
大口を開けて喋ると口が渇いてしまうので、ルークはマントで隠すようにして控え目に話す。周りが静かな分、その音量でも充分彼女に聞こえたらしい。
「……深い、緑、……髪。やさ……しい?」
「深緑の髪で、優しい人?」
――こくり。
また、その小さな頭が縦に動く。その仕草に思わずルークの顔に笑みが浮かんだ。
ルークは最初こそ彼女が何を言っているのか理解しようと必死になっていたようだが、ここに来るまでに何とか言いたいことが分かるようになったらしい。慣れてしまうとこのたどたどしい口調も可愛く見えて来るから不思議だと、ルークは思う。
次々と襲って来る魔物を蹴散らしながら、また、カルサを守りながらルークはケテルブルクを目指す。幸い二人は、そう強い魔物と鉢合わせることなく無事に街の入り口へと着いた。予め身を守る術を持たない少女にホーリーボトルを振りかけていたのが功を奏したのかもしれない。
そのままホテル前の広場に着くと、カルサがルークと繋いでいた手を離した。
「……ここ。もう、良い。……分かる、自分、で」
「……そっか。一人で大丈夫か?」
ルークは少女の視線に合わせるように少し屈んでカルサを見る。カルサはこくりと頷き、ルークを見上げた。
「あり、……がとう?」
「ん、どういたしまして。気を付けてな?」
小さく言われたその礼に、ルークは笑って答える。ぽんぽんと、雪と同じ白い髪を帽子の上から撫でてやれば、彼女は嬉しそうに目を細めた。
少女が手を振りながら去るその姿を、ルークはしばらく見送っていた。降り止むことを知らない雪が、その視界を埋めていく。
――いつまでもここに立っていると風邪を引いてしまう。
移動ばかりで少し疲れていたのもあり、今日はもう休んでしまおうか――と考えたとき、ルークはここで少し躊躇した。
(安宿かホテル、どちらに泊まるか……)
一応、ルークはどちらの宿にも泊まれるぐらいの予算は所持していた。しかし、この場合予算は問題ではなく、彼女の居場所がばれるかばれないかにかかっている。
安宿は気軽に泊まれるだろうが、ジェイドの手がかかった諜報員などが訪れでもしたら、簡単にそこの亭主は口を割ってしまうだろう。それよりは王族や貴族達が使用する高級ホテルの方が個人のプライバシーは守られるし、ちょっとやそっとのことでは口を割らないだろうと考えて、ルークは目の前にそびえ立つホテルへと移動することにした。
◆ ◆ ◆
――『健康診断』
ジェイドの口から出て来た言葉に、一同は唖然とする。
何故こんなときにそんなことをと、皆一様に視線を交わしていた。しかしジェイドは、不審がっている仲間達を気にも留めずに話を進めていく。
「ラズリ達が作って下さった名前入りの石も、そのときに配るようにしましょう。その方が顔と名前が一致しやすい。あぁ、もちろん配るときにはお二方にお願いしますよ」
「よろしいですね?」と有無を言わさない勢いで言われては、ラズリとラピスの二人は頷くしかない。
周囲がまだピンときていない中で、ただ一人アッシュだけはそれを静かに傍観していた。
(……ふん、眼鏡が考えそうなことだ)
彼は降ろしていた両手を胸の前で組む。
(確かにその方法ならば、奴らに気取られずにすむ。さらに、それが上手くいけば〝内通者〟も見付け出せるだろうな)
アッシュは、彼が他に何を考えているのかと思考の海に沈んで行った。周囲ではジェイドが次々と仲間達に指示をしている。
そんな緊迫した空気の中、会議室の扉が僅かに開いた。
しかし中に居る全員が扉に背を向けていたため、侵入を果たしたそれに気付く者はいない。そしてそれは、ゆっくりと扉近くに立っていたアッシュに近付いて行った。
ふいに、アッシュは自身の髪が何かに引っ張られるような感覚を覚えて、その原因を探るべくそちらを向く。その先には十二歳ぐらいの少女が、彼を見上げるように立っていた。
(――馬鹿な、この俺が気付かないだと!?)
扉に背を向けていたにしろ、アッシュは過去にかなりの戦闘を乗り切って来た身だ。彼自身も、また周囲にいる仲間達も人や魔物の気配には敏感な方だと自負している――にも係らず、アッシュの髪を引っ張っているその少女の気配は、まったくといって良いほど読めなかった。
いや、分からなかったと言った方が良いかもしれない。
――存在自体が、希薄すぎて。
じ、とアッシュを見詰める左目の色は濁った白。前髪に隠れている右目は薄く色づくような赤。
そして何よりその髪の色。白に、青と緑が混ざったような、今まで見たこともないような斑色だった。
その摩訶不思議な色を持つ少女を見詰めたまま、アッシュは固まっていた。相手に敵意が無いことは分かっていたが、子供に懐かれるということがなかった彼は、一体どうしたものかと思考が止まっていたのだ。
「シリカぁ!?」
そしてようやく、アッシュの髪をしっかりと手に握っている存在に気付いたのか、少女に気付いたレピドがその名を叫んだ。
〝シリカ〟と呼ばれた少女は、レピドに向かって首を傾げながら彼に聞いた。
「レピ。これ、赤?」
対してレピドは「赤だけど待って、シリカそれは駄目」と、慌ててその少女を抱きかかえる。そして「ごめんなさいねェ」と未だ固まっているアッシュに謝ったあと、「めっ」とシリカを叱り付けている。
レピドの謝罪によって我に返ったアッシュの眉間には、彼が苦手とする男に〝それ〟扱いされてしまったせいで深く皺が刻まれていた。
「レピド、その子は?」
「見たことない子だけど新入りさん?」と、つい先程会議室に入って来た小さな侵入者に気付いたリドが聞いた。
その問いにレピドが頷きながら答える。
「えぇそうよぉ。新入りで、かつ、この子が私の赤い絵の具を盗んだ犯人だったのよぅ」
「可愛いでしょーぉ♪」と彼はシリカと呼んだ少女を抱きしめている。
もちろん彼の言うように少女はとても可愛いのだが――実際こちらに気付いたティアが打ち震えている――、レピド以外の全員が異色を放っているその髪に注目した。
それを見たジェイドが、「ふむ」と顎に手をやったまま考え込む。
(この少女の顔……どこかで……)
一体どこで見たのか、すぐには思い出せそうになかったが、その少女にはジェイドを惹き付ける何かがあった。
彼はつかつかと少女に近付くと、「ちょっと構いませんか」とレピドに声を掛け、その顔を良く見るべくシリカを椅子に座らせた。
座らされた少女はといえば、大人しくジェイドの指示に従っている。そして何故か、しげしげとジェイドを凝視しているのだ。これではどちらが観察されているのか分からない。
「シリカは――あ、シリカって私が付けたんだけどぉ。赤が相当好きらしくてねェ。この子を見付けたときだって、赤い絵の具を抱きかかえてベッドの下で寝てたのよぅ」
レピドの言った通り、シリカは興味津々といった様子でジェイドの赤い瞳を見詰めていた。
彼は興味深げに見詰められる視線が気になりはしたようだが、他に異常がないかどうか丁寧に調べていく。
前髪を掻き分けて隠されていた右目を露《あら》わにする。その際に少女が少し抵抗したように見えたが、先より近付いた赤い両目が嬉しかったのか、にわかに大人しくなった。
――薄く色づいた赤。白い髪に散らばっている青と緑。
(やはり――)
ジェイドは自身の記憶の底から、その一部を引き出す。しかし引き出したその箇所は、彼にとってあまり良いものではなかった。
(これは、一度調べておく必要がありますね)
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