隠れようとした朱。
発せられる警告の音。
レムの塔での大掛かりな健康診断が終わり、あれから一週間が経った。
その結果報告が今まさに塔内にある会議室で始まろうとしている。部屋の隅には、以前と同じようにジェイドによる盗聴防止用の譜術が施されていた。
並べられた机にそれぞれが顔を揃える。
ジェイドを中心にする形でガイやティア、ナタリアとアニスが座り、それを囲むように街の建設に携わる者が座っている。ラズリとラピスは相変わらず二人で仲良く座っているし、ラピスの隣にはニヤニヤと笑う少年によって半ば強引に座らされたアンバーと、それを行った当の少年リド、続いてレピドが座り、その膝の上にはシリカが嬉しそうに座っていた。
「アッシュ、あなたはここですよ」
そして彼は何故か、自分の隣に座るようにとジェイドから直々に指示をされ、彼の眉間の皺が普段よりも増していた。
一同が真剣な表情で座している中、いつもの笑みを浮かべた軍人が口を開いた。
「さて、皆さんお待ちかねの健康診断の結果ですが――良かったですねぇ。今のところ、皆さん至って健康体ですよ♪」
「その報告は待っていない」と、恐らく彼以外の全員が心の中で思ったことだろう。
「まぁ、それは良いとして気になる内通者達ですが……。こちらの思惑通りに事が運びまして、無事全員見付け出すことが出来ました」
ジェイドは「いやぁ面白いように引っ掛かってくれて、こちらとしても大変助かりました☆」と陽気に笑ったあと、手元にある書類を見ながらその詳細を説明していく。
健康診断当日。レプリカにはカルテを渡し、そこで名前石の譲渡、及び名前の登録などを行った。同じく被験者にもカルテを渡したのだが、そこで密かに名前石と似たようなものを渡したという。
「なぁに、ここへの出入り許可証みたいなものですよ」
聞けばその許可証とやらは、見る人が見なければ分からない程度の小さいバッジのようなもので、診断を受けた被験者達全員の首元に付けられているらしい。「これはあなた達の分です」と、その現物がアッシュ達にも回された。大きさは一センチ程度で、後ろに留め具が付いている。
「いつの間に作ったんだ」と誰かが呟いたようだが、ジェイドに「こういうことをするのが好きな方がいらっしゃいまして」と言われれば、容易に想像はついた。
大方この軍人の上司――あの褐色の皇帝陛下あたりだろう。「面白そうなことが大好きだからなぁ……」と、遠い目でガイが呟いていた。
「そのバッジは特別製でして、ある譜術に反応する仕掛けになっています」
その譜術とは、バッジを付けていない者がその上を通ると僅かに光を放つというものらしい。それを利用した譜業――ガイとリドが喜びそうだ――を工事現場から始まって、レムの塔入り口や、果ては各部屋という塔内のありとあらゆるところへ設置しているようだ――譜業だけではなく、見張り役のおまけつきだ――。
「そして先程、その譜業に反応した方々がいらっしゃいましたので別室にて待機させています。恐らく診断当日は身を隠していたのでしょうね。あぁ、もちろん部屋には譜術を施して、簡単には出られないようにしてありますのでご安心下さい」
ジェイドはにこにこと笑いながら恐ろしいことをさらりと言ってのけた。
彼が言うには、バッジを付けていない恐らく内通者とされる人物は十数人ほどいるようで、さらには名前石を付けていないレプリカ達もいたようだ。
「ですがそのレプリカ達は被験者とは別の部屋に待機させて、〝ある〟専門医からの診察を受けて頂きました」
その言葉に、驚いたラズリの顔が上がる。
――内通者達を通じてここへと増員されたレプリカが、何故、しかも専門医の治療を受けなければならないのか。
彼女がそれを聞こうとすると、その前にジェイドに視線で制されてしまい、ラズリは開きかけた口を閉ざした。アッシュであればそのまま強引に聞こうとするだろうが、それをしない彼女はさすがと言える。
「診察の結果、名前石を付けていないレプリカ達全員に〝暗示の類〟が掛けられていたようです。ちなみに、その暗示はすでに医師によって解かれているのでご安心を」
見る見る内にその場の空気が変わっていく。
ジェイドはそれを面白そうに眺めながら話しを続けていった。
「謎解きをする前に、少々昔話をさせて頂いても?」
そう言ってにっこりと全員に確認を取る。断るはずもない。
周囲は神妙に彼の言葉を待った。
「昔、そうですね……私がこの地位に収まる前、あのときはちょうどダアトの導師がエベノス様からイオン様に変わった頃でしょうか……。王立譜術・譜業研究所で、ある噂が密やかに流れているのを耳にしたことがあるんです」
「噂?」と、ジェイドを挟んだ向こう側に座っているガイが聞く。
「右に〝邪視〟とも、〝邪眼〟とも呼ばれる赤い目を持つ少女がいるという――ね。ちなみに〝邪視〟というのは、悪意を持って相手を見詰めるだけで、対象となった相手に〝暗示〟や〝呪い〟といった、災いを掛けることが出来るそうですよ」
暗示――という言葉を聞いた一同の表情が一斉に変わった。どうやら各自それぞれの答えに行き着いたらしい。
「私は当時、すでにフォミクリーの研究から離れて軍に属していましたから、そういった噂には興味がなかったのですが。その特異能力からか、こういった対象がいると書類が回ってきましてね。目だけは通していました。恥ずかしながら今になってその話を思い出しまして。気になって調べてみたのですよ」
己の行った所業を思い出したのか、ジェイドの顔が少し曇った。しかしすぐに彼は別の書類を机へと広げ、噂となっていた人物の詳細を示していく。
「〝邪視〟を持った少女の名は、〝クリス・サングレ〟。両親がその力と容貌を気味悪がって、研究所へと売りつけて来たようです」
次々とそこに書かれている内容が読み上げられていく。
「髪の色は白。右目は血のように深い赤色の邪視。左目は紺と緑が混ざったような斑色。享年十五歳。死亡原因は、巧妙に隠されてはいましたが、恐らく――レプリカ情報を抜かれたことによるもの」
少女の死亡原因の部分で眉を潜める。それは自分だけではなく、周囲にいた者達もそうだった。
「そしてこれが、当時の少女の写真です」
そう言って置かれた書類の中の写真には、レピドの膝の上に鎮座している少女と似たような顔をした人物が写っていた。
驚いた一同は、写真に写っている少女と瓜二つであるシリカを見る。当の本人は事態が飲み込めないのか、不思議そうにきょろきょろと周りを見回していた。
そこへジェイドがシリカにこちらに来るようにと声をかけると、少女は喜んでそれに従った。どうやら彼女はジェイドの赤い目が気に入っているらしい。
レピドの膝の上から降り、「じぇーど」と言いながら駆け寄って来る姿はなかなかに愛らしい。シリカはその勢いのまま彼に抱きつこうとするが、ジェイドはそれを笑顔でかわし、ひょいとその身体を持ち上げたまま流れるような動作であろうことかアッシュの膝の上に乗せた。
予測もつかなかったその行動に、彼は思わず「おい!」と怒鳴りそうになるが、膝の上に乗っている少女が「あしゅー!」と言いながら喜んでいるため、それは叶わない。シリカ自身はジェイドの目こそ触れなかったが、目の前に紅い髪が広がったのでご満悦そうだ。
「すいませんねぇ。年寄りには子供が重くて重くて」
わざとらしくそう言う赤目の軍人は、アッシュの反応を楽しんでいるように見える。いや、実際楽しんでいるのだろう。
(こいつ――いつか潰す!!)
どうすることも出来ない彼は、せめて最大限の怒りを含ませた視線でジェイドを睨んだ――本人はまったく気にしていないようだが――。
それを白々しくかわしたジェイドは先程の書類を手に取ると、アッシュの髪を握り締めているシリカへと向き直って聞いた。
「さてシリカ。ここに映っている人に見覚えはありますか?」
にっこりと笑みを浮かべながら、彼は先程の書類をシリカに見せる。
それを見た少女は嬉しそうな表情から一転、泣きそうになりながら小さく呟いた。
「……か、るさ?」
――カルサ。
初めて聞く名前だと、レプリカの名付けを担当していたラズリとラピスが呟くのが聞こえた。
少女の答えに、ジェイドは一つ頷いて笑顔になる。
「やはりそうですか、ありがとうございます。レピドの元へ戻っても結構ですよ、シリカ」
そう言って彼がその白い斑色の頭を一撫でしてやると、少女はくすぐったそうに目を閉じる。そうしてシリカは後ろを振り返って名残惜しそうにアッシュの髪を見たあと、もそもそと膝から降りると一目散にレピドの元へと向かった――一体いつ手懐けたのだろうか――。
「これで全てが分かりました。それでは謎解きを始めましょうか」
シリカが元いたレピドの膝上へと戻ったのを確認し、ジェイドが口を開いた。
一気に場が緊張するのが分かる。
「どうやら反レプリカ組織〝リア〟には、書類にあるクリス・サングレのレプリカ――シリカが言うには〝カルサ〟ですか。その邪視能力を持ったカルサが、何らかの理由で組織に加担しているものと思われます。
――これがどういうことか、もうお分かりですね?」
――ヒントは出揃った。あとは答えを導き出すだけ。
周囲では、ジェイドから出されたヒントを頼りにして次々と考え付いたことを口に出していた。
「カルサに〝洗脳されたレプリカ〟を、ここへ少しずつ送り込んで……」
「もし、何かのきっかけでそのレプリカ達が暴徒と化したなら……」
「そのレプリカ達を、私達は〝攻撃せざるを得ない状況〟になりますわね」
段々と真相が分かって来る。それに対して止めとばかりに、アッシュが口を開いた。
「そしてそれが、〝レプリカは危険である〟と思わせるきっかけになる。その事実が世界に広まりでもしてみろ。奴らにとっちゃ〝レプリカを始末する正当な理由〟になるだろうよ」
その言葉に、全員がはっとしたような表情になる。
ここまでのことをしでかす反レプリカ組織〝リア〟の首領、〝モルダ〟という人物は相当な切れ者だ。しかしその彼ですら、ここにいる赤目の軍人には叶わなかったらしい。
布石は全て断ち切った。あとは彼らが拠点とするアジトを暴き出し、潰すだけだ。
早々に片付けて、さっさとルークを探しに行きたい――そう考えていたアッシュの横で「さて次は」とジェイドが切り出し、彼は面食らいながら「まだあるのか」と聞いた。
「アッシュの〝意中〟の彼女の行方なんですがね?」
にっこりと笑顔を貼り付けて言う軍人の隣で、意表を突かれたアッシュは思わず噴出した。
(意中の、とは何だ意中のとは!)
――しかもあながち外れていないのが、なおのこと腹が立つ。
「ってめぇ……」
机に置いた彼の拳がぶるぶると震えている。その米神にはぴくぴくと青筋が立ち始めていた。
堪えろ、堪えろとアッシュは呪文のように頭の中で唱えながら、ジェイドの次の言葉を待つ。
「包囲網を緩めたお陰で、向こうにも動きがありました。彼女――ルークは、どうやらケセドニアからケテルブルク方面の船に乗ったそうです。しかしタイミングが良いというか、悪いというか……」
そう言葉を濁すジェイドに、ガイが先を促した。
「ルークらしき人物を見かけた兵士の報告によると、その人物は帽子を被った少女を連れていたそうです。顔は良く見えなかったようですが、白い髪の――そう、ちょうどこの書類に載っている人物とよく似た少女だったとか」
ジェイドがそう話した瞬間、レピドの膝上で大人しく座っていたシリカが、ぴくりと身じろいだあとで何かに気付いたように顔を上げた。それはシリカだけではなく、アンバー、ラズリ、リド、レピドの四人も同じように顔を上げて耳を傾けている。
――リィン……――
どこからか鈴の音が聞こえる。
その場にいたレプリカ全員がきょろきょろと視線を漂わせながら音源を探し始める。だが、その音が聞こえない仲間達はどうしたのかと訝しげに彼らの様子を窺っていた。
――リィィン――
アッシュはこの音に聞き覚えがあった。これは以前、タタル渓谷で聞いたことがある。
よくよく耳を澄ますと、音の発信源はどうやら彼の左腰に携えている――あれ以来まったく反応を示さなくなった――ローレライの鍵のようだ。
アッシュがそれを手に取ってみると、鍵全体が僅かに淡く光を放っている。
そしてアッシュの脳内に聞こえて来た声は、今は音譜帯にいるはずの第七音素集合体が発するものだった。
『……子の……よ……。……えるか……』
(……ローレライ……!)
突如聞こえて来た声に、アッシュは意識を集中してフォンスロットを開く。
『……愛し子の片割れよ……。聞こえるか……』
(――何の用だ)
アッシュにとっては溜まりに溜まった文句を並べ立ててやりたいところではあったが、それをぐっと堪えて先に用件を聞くことにする。
今は集合体様の戯れに付き合っている暇はないのだ、早々に終らせたい――そう思っていたアッシュの耳に、ローレライの口からは信じがたい言葉が飛び出した。
『聖なる焔の光が、お前達の言う〝リア〟に捕まった』
タイミングが良いか悪いかと問われれば、「すこぶる悪い!」という答えしか、今の彼には残されていなかった。
―第三章 Caught 完―
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