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第一章 Hide 02
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第一章 Hide 02




見えたのは、一瞬。

それでも分かる。

あれは、同じ存在だ。




 ビラビラして動きにくいからといって、いつまでもその場に立っているわけにもいかない。ルークはそう気を取り直し、とりあえずこの場を離れようと一歩を踏み出すと、その腰に違和感を覚えた。
 首を傾げながら手を当てると、そこには服のデザインに合わせた皮で出来た水入れが、腰周りを縛り付けているコルセットと思われるものに装着されていた。
(どうせなら、武器もよこしてくれりゃ良いのに)
 ローレライの気遣いは有難かったが、どうも中途半端なそれにルークはつい悪態をついてしまう。
 ぶつぶつと小言をもらしながらもルークは装着されている水入れを丁寧にはずし、それでその辺に湧き出ている水を汲んだ。当面はこれで何とかなるだろう。
 武器はその辺に落ちていた大きめの枝を拾い、小枝を打ち捨てて木刀代わりにした。ルークはそのまま周辺の魔物を蹴散らし――ガルドを拾うことは忘れない――ながら、まずはここからそう遠くはないケセドニアに向かうことを決めた。あの街ならば今の装備よりも大分マシなものが取り揃えられるだろう。
 妙に歩きにくい靴と、ヒラヒラとまとわり着いて歩行の邪魔をする服に、ルークは悪戦苦闘しながら何とか進んで行く。その視界にちらちらと髪の束が映る。
 ルークの短かった髪は、あの旅が始まった当時のように長くなっていた。ただし慣れ親しんだあの朱《あか》い色は、現在は瞳の色と入れ替わっているために新緑の色を放っている。
 風が吹く度に、長い髪がさらさらと音をたてるようになびいていた。「これはこれで目立つよなぁ」ともルークは思ったが、現時点ではどうしようもない。
 ケセドニアに近付くにつれ気温が上がっていくと、段々とその長い髪がうざったくなる。ルークはそこで服の装飾品であったリボンを一つ解くと、もつれ合う髪を一本にまとめあげた。
――早く街へ到着しないと、こちらの身が保たない。
 あの旅を乗り越えた今のルークにとって、この辺りにいる魔物達ははっきり言って敵ではない。しかし、食ってかかる魔物だけを倒して行ったとしても体力の消耗は免れない。ましてやこんな状態での野宿は遠慮したかった。
 歩く度にルークのポケットからチャリチャリと小銭が擦れ合う音がする。その音の大きさから、魔物が落としたガルドが大分貯まって来たことを思わせた。
 しかしそれとは逆に、慣れない靴のせいでその足がじくじくと痛み始めて来た――が、ここで止まるわけにはいかない。せめて太陽が沈むまでには何とかしたいとルークが思っていたところに、狙ったようなタイミングでケセドニアに向かうキャラバンに拾われた。
 一度は断ろうとしたものの、キャラバンのリーダー格であると思われる中年の女性に「平和になったとはいえ〝女性〟の一人歩きは危険だよ」と言われ、そういえば自分は〝そう〟だったことにルークは気付く。
 それでも少し悩んだが、目的地は同じだということとにこにこと笑う女性の笑顔に押されて、それでは遠慮なくとルークは馬車に乗り込んだ。
 指定されたところへ腰掛けた途端、ルーク――彼女の身にかつてないほどの疲労が押し寄せ、ぐったりとその身を横たえた。
 身体に精神の方が追いついていないのか、それとも慣れない靴で歩いたせいか。いずれにせよこの選択は間違っていなかったと彼女はしみじみ思う。
(遠慮せずに乗って良かった……)
 ふう、とルークは安堵の息をつきながら、その視線を拾ってくれた恩人へと向ける。
 見事な手さばきで馬を操る女性は、以前の旅で知り合ったエンゲーブの彼の人を思い出させる。それにつられるような形で、付近の森に住む聖なる獣の存在も思い起こされた。
――今もあの青い獣は、元気に暮らしているだろうか?
 ガタゴトと音を立てて馬車が揺れる。
 どこか心地良い音と振動にルークの意識がまどろみかけたとき、手綱を握っている女性から声が上がった。
「あぁ、そういえば良いものがある」
 女性は思い出したようにそう言うと、片手で器用に馬を操りながら空いている方の手で傍らに置いてある荷物を漁る。そうして目的の物を見付けると「これを持っておいき」と言いながら、ルークの方にそれを投げた。
 彼女が慌てて受け取ったそれは、ベルトに鞘のついた短剣だった。ざっと見る限りなかなかの上等な品に見える。
「こんな……もらえないよ。大切な商品なんだろう?」
「良いんだよ。実は売りに行く前にちょっと落としちまってね。そら、そこの柄に傷がついているだろう? そんな風に目に見えるほどの傷はね、はっきり言って商品にならないんだ。あんた見たところ丸腰だし、そんな物でも持っていれば安心だろうさ」
 続けて「あんた美人だからお守りって言うよりは、どっちかって言うと護身用だね!」と笑いながら言われる。
 美人かどうかはルークには判断出来ないが、確かにこのまま丸腰でケセドニアに入るのは不安だった。その女性の純粋な好意にルークは「ありがとう」と笑顔でお礼を言って、ベルトを腰にまく。剣の柄はこの身体でも握れるような丁度良い大きさだった。
 
 その後も馬車は走り続け、魔物に襲われることなく無事ケセドニアに到着した。ルークは送り届けてくれたキャラバンの人達と剣をくれた女性に再度礼を言ってその場で別れる。
 街の方に歩みを進めると、そこには以前と変わらぬ砂景色が見えた。久し振りに訪れたケセドニアであったが、生憎感慨深く耽っている暇は彼女にはない。
(まずは服! これ以上はもう耐えられねえ!)
 ガルドはここへ来る途中の魔物退治で、服が買える程度には集まっている。
 早い所調達してしまおうとルークはいそいそと市場の方へ足を向けるが、歩を進める度に周りの視線が自分に集まっているような気がして彼女は首を傾げる。
――自分の服装が変なのか、それともこの髪の色が珍しいのか。
(それか、元が男だからどっかおかしいのかな……)
 ルーク自身は極力女性らしく振る舞っているつもりだったが、逆にそれがぎこちなくなり、それがおかしく映っているのかもしれない――彼女はそう思って最初は何とか堪えていた。しかし、それも少しの間だけで、じりじりと集まる視線が段々と耐えられなくなって来た。
(早く、服を買おう)
 それらの視線を避けようと、自然にルークの視線が下がり、歩調も早まっていく。
 ようやく市場のテントが彼女の視界に入り、これでやっと開放されると思ったその瞬間。その行く手を阻むように二つの人影が立ち塞がった。
 危うくぶつかりそうになったところを、ルークは足に力をいれることで何とか回避する。
 しかし一向に去る気配がないことを不審に思って彼女が顔を上げると、そこには嫌な笑みを顔に貼り付けた男二人が立っていた。
「綺麗な緑髪のお嬢さん。どちらへ行かれるんで?」
 純粋な好意でないことは、その表情を見ても明らかだった。
 一度は「あなた達には関係のないことだ」とルークはきっぱりと断るも、めげずに男達はついて来る。
 周囲の視線もどこか怪しげな雰囲気を放つルークと、その後ろをついて来る男達を追い始めていた。その視線のうざったさにもルークは腹を立てたが、何よりひたひたとそのあとをつけて来る男達に嫌気が差した。挙句の果てには「こんな所を女性一人で歩いてちゃ危険ですよ。俺達が案内してあげますよ」と言いながら、ルークの手をとった。
 その瞬間、彼女の背中に寒いものが走る。そうなるのも当然のことだ。ルークは今まで男からこんな扱いを受けたことはなかったのだ。
 ルークは触るなと殴り付けたい衝撃に駆られるが、騒ぎにはしたくないと考え、ぐっと堪えるしかない。
 彼女は無駄だと分かってはいたが、とりあえず離してもらうように頼んでみる。だが、やはりというか何というか、こちらの拒否の言葉は聞こえていないようだった。
 やむなく振り解こうとルークは手に力を入れるも、ビクともしない。
(くそっ、これほど違うもんなのか!?)
 改めて見せ付けられる男女の力の差。男であったときならば、あっという間にねじ伏せていたものを。
 怒りに震えるルークをどう勘違いしたのかは知らないが、男の一人が顔をニヤつかせて言った。
「こんな所より、もっと静かなところへ行こうぜ……ヒヒヒ」
 その下卑た笑いと行動に、ぶつりと彼女の中の何かが音を立てて切れた。
 ルークは瞬時に湧き上がった衝動に任せ、空いていた手でバシッと派手な音を立てながら男の頬に平手打ちをくらわせ、そして――
「――っつけぇなあ! 触るなって言ってんだろ! それにいつまでも着いて来んなよ! 金魚の糞かお前らは!!」
――と、つい男だったときの癖で思うが侭に怒鳴った。
 見ようによっては儚くも見える女性の口から、耳を塞ぎたくなるような暴言が出たことで、周囲の空気は瞬時に凍りついた。
 しまったとルークが気付いたときにはもう遅い。
 男達はあわよくばと狙っていた人物の激変振りにも驚いたようだが、それよりも罵倒された言葉にご立腹の様子だった。
「何だとぉ? 優しくしてりゃつけあがりやがってこのアマがぁ!!」
 どうしてこうも〝いかにも〟な男達は沸点が低いのか。
 あぁそういえば紅い髪をした彼の人も沸点が低かったなぁとルークはしみじみ思う。
(――って、んなこと考えてる場合じゃねえっつーの!)
 抵抗する武器は――ある。
 ここへ来るまでにあの優しい女性からもらった短剣。以前のように大掛かりな武器ではないにしろ、人を傷付けるには充分な大きさ。それに加え、幾度も死闘を経験している今の自分ならこんな男達など一捻りなのだが、いかんせん場が悪いとルークは周囲に視線を巡らせる。
 もし、ここで揉め事を起こしてしまったならすぐにでも兵士が飛んで来るだろう。それだけは避けたい。もう充分目立っている気がしないでもないが、あくまでも目立つわけにはいかないのだ。
(となれば道は一つ、だよな)
 彼女はじりり、と視線で男達を射殺す。その凄まじい殺気に男達が一瞬怯んだ、その瞬間。
(――逃げる!!)
 ルークは一気にくるりと方向を変え、一目散に走り出す。
 男達はその素早さにあっけに取られていたようだったが、ふと我に返ったように「逃げたぞ、追え!!」と叫びながら予想通りあとを追って来た。
 どこをどう逃げたのかは分からない。
 とにかく捕まらないようにと考えて入り組んだ路地裏へと入った。その中に手頃な隠れ場所を見付けて、彼女は一旦身を潜める。
 ばくばくと音を立てる心臓がうるさい。
(男のっ、ときは、もっと走れた、のにな……っ)
 ぜぇ、とルークの息が切れる。
 自分が何か病気にでもかかったような気さえする。まだその意識が女になったのだということを認識出来ていないせいかもしれない。
――うまく撒けただろうか。
 今頃必死になって探しているに違いない。もう少しここで身を潜めてから動こうとルークが思ったとき、その場にかさりと地を踏む音がした。
(誰か、来た!?)
 彼女は一瞬、もう見付かってしまったのだろうかと身を強張らせたが、何故か足音は動かないまま止まっている。いつまでも動かないその主に痺れを切らしたルークは、そろりと顔を出してみた。
 そこにいたのは、金色の瞳に蒼い髪の中性的な顔つきの女性だった。その場が薄暗かったために判断がつかないが、羽織っているマントの年季の入りようから流浪の旅をしていることを思わせる。
(……何だろう……)
 お互いに見詰めあったまま、動くことが出来ない。気付けば周囲の騒音も聞こえなくなっていた。
 まるで、ぽっかりとその空間だけが切り取られたかのような。ついで懐かしいような、同調するようなこの感覚。
――この人物は、恐らく自分と〝同じ存在〟だ。
 何故だか分からないけれど、とルークは思う。
 それは向こうも同じだったらしい。女性は目を軽く見開いたあとで、確信を得たような顔つきになる。
「追われているのね?」
 長いようで短い沈黙が、思っていたよりも高い声によって終わりを告げた。女性に聞きたいことはあったが、とりあえずこの事態の収拾がつかないことには落ち着いて話も出来そうにない。
 こくりと頷いたルークを見るなり、彼女は羽織っていたマントをルークに被せる。マントがはがれた姿を盗み見ると、ルークの視界には全体的に茶系をあしらったシンプルな服装が見えた。
 首を隠すようなインナーに加え、半袖のベスト。前はしっかりと留められている。手首は布で強化固定され、その上からグローブをはめていた。下は足を隠すようなスパッツに加えて膝丈ほどのロングブーツ。ぱっと見は男装に近いが、それでも女性と分かるデザインだった。
 腰のベルトには細身の剣と短刀が二本ほど帯刀されている。剣はガイが使用していたものよりももっと細いタイプのように思えた。
「その髪はちょっと目立ち過ぎるから。でも見付かるよりはマシだと思うわ。動ける?」
「う、うん」
 彼女は「汚いマントでごめんなさいね」と苦笑しながらルークの手を取って立ち上がらせると、そのまま無言で移動を開始した。時折ちらちらとこちらを確認しながら、見事に気配を殺して男達に見付からないように移動していく。
 そうしてどこをどう行ったのか分からないまま、ある建物内の部屋に入った。
「ここなら大丈夫。私が泊まっている宿の一室だから、さすがにあの男達も入って来られないわ」
 その言葉にルークは「え」と声を漏らしながら顔を上げる。
 ひょっとしてあの現場を見られていたのだろうかと思い当たると、ルークは途端に恥ずかしさがこみ上げて来た。
「とりあえず自己紹介をしましょうか。私は〝ラズリ〟、ラズで良いわ」
「あ、俺――ああもう、私、は……ルキア、です」
 慣れない女言葉と名前に四苦八苦する姿がおかしかったのだろうか、ラズリと名乗った女性はくすくすと笑っている。
「無理しなくて良いわよ。あんな啖呵を切るぐらいだもの、本当は辛いんじゃない? その話し方」
「へへ、実はかなり辛かったり……」
 二人は目を合わせて互いに笑い合う。
 それはルークにとって、とても不思議な感覚だった。初めて会った相手だというのに、こんなにも気楽に話せてしまう。まるで既知の友人のように。
 そうしてひとしきり笑ったあと、ルークが聞きたいことをどうやって切り出したものかと悩んでいると、先にラズリの方が今まで笑っていた笑顔を一瞬で真顔に変えて話しかけて来た。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか。遠回しに言ってもあれだから単刀直入に言うわね」
 金色の瞳がルークを射抜く。
「あなた〝も〟レプリカ――ね?」
――あぁ、やはり。
――彼女も〝同胞〟だった。



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