白と黒の世界の狭間。
ケテルブルクの街から北東へ進み、街からしばらく離れた森の中。それらに囲まれた岩陰の洞窟の中に、反レプリカ組織〝リア〟のアジトはあった。
掘り抜かれたように作られたそれは、外見からは想像出来ないほど大規模なものであった。それも一日や二日で出来るようなものではない。結構な月日と労力を費やさなければならないほどの大きさだ。
しかし入り口は意外と小さく、周りと溶け込むように作られている。そこには常時二人ほど見張り番がついており、さりげなく侵入者の有無を見張っている。
カモフラージュされた扉を開けて中に入ると、そこからは真っ暗な通路が奥へと続く。太陽の光さえ届くことのないそこで頼れるのは、僅かな譜石灯の灯りだけだ。
そうしてある程度中を進むと、恐らく侵入防止のためだろう、途中から幾重にも通路が分かれている。現にフェイクとしていくつか行き止まりの通路もあるようだ。ここは〝一般分岐点〟と呼ばれており、それぞれの道の先には食料庫があったり、組織員達の簡易休憩所などがある。
その中の一本を進むと、また枝分かれになる。
先程とは違い、ここは〝特別分岐点〟と呼ばれていて、ここから先へは許可された者しか進めない。通路へと進む入り口に見張りが常に立っており、先へ進む理由を聞かれる。組織員達の話をかいつまんで聞いた限りでは、奥には研究施設だとか捕まえたレプリカを拷問する部屋などがあるらしい。残念ながら確かめたわけではないので、はっきりとは分からない。
そこにいる見張りから通行許可をもらって目的の通路を選んで進んで行くと、反レプリカ組織〝リア〟の首領がいる部屋へと行き当たる。その扉の前には何らかの譜術――譜術封印《アンチスペル》の一種だろうか?――が施されており、人が通ると僅かな光が足元を照らす。
ここまでの道のりを冷や汗をかきながら辿り着いた配下の一人は、手元の書類を持ち直して恐る恐るといった様子で扉をノックした。
するとすぐさま部屋の中から「入れ」と言う声が掛かり、配下は静かに扉を開ける。
音を立てぬように細心の注意を払いながら部屋へと入ると、部屋の中では深緑の髪をした首領――モルダがいた。彼は椅子に座って机に並べてある地図や本などを凝視し、かつ物凄いスピードで本のページを捲っている。あの速さで全ての内容が頭に入っているというから驚きだ。
配下は入室許可をもらって部屋に入ったものの、モルダの真剣な様子を見て、声を掛けるタイミングを完全に失ってしまっていた。彼はどうすることも出来ずにただひっそりと部屋の隅に立ち尽くすしかない。
そうして少し経ったあと、ようやく配下の気配に気付いたのか、モルダの視線が手元から呆然と立っていた彼へと移った。
「あぁ、すまない。書類を持って来てくれたのか」
モルダはかたん、と音を立てて椅子から立ち上がり、配下の方へと足を向ける。その際の彼の表情を見た配下は、知らず自身の動きを止めていた。
――笑っている。
いつものような冷笑ではなく、本当に楽しそうに。
「首領……何か……っ、その、……良いことでも?」
普段ならありえないその表情に戸惑った配下は、しどろもどろになりながらそう聞いた。恐る恐る問われたその言葉にモルダは失笑で返す。
「あぁ……。良いこと、というよりは……楽しみなんだろうな」
「……楽しみ……ですか?」
配下が訝しむように首を傾げる。
「これから起こること全てに、さ」
にい、とモルダが口角を上げて笑みを浮べた瞬間、配下の背中に悪寒が走った。
彼の表情は至極楽しそうに見えるのに、その奥底で相反した感情が蠢いているのが見えたのだ。それを本能的に察知した配下の身体がカタカタと振るえ始める。
その様子を見たモルダはふ、と口だけで笑うと、震えている配下の腕の中に収まっている書類に手を伸ばし、ゆっくりとそれを引き抜いた。
「……ご苦労。下がって良いぞ」
書類がモルダの手に収まると同時に、彼の表情はいつもの冷笑へと戻っていた。配下ははっと気付いたように敬礼し、慌てて退室した。
扉を閉めると、彼は来た道を急いで引き返した。
緊張化に置かれたせいか、彼の動悸が激しくなっていく。
――あの男は危険だ。
背中に寒気を感じた配下の歩幅が自然と広くなった。
(一刻も早くお伝えしなければ――!!)
そして彼は、いつも憧れてやまない〝本当〟の上司に報告をするべく、食料調達という理由で同士がいる街へと足早に向かった。
書類配達の任を解かれた配下の気配が部屋から遠ざかり、扉が静かに閉められる。彼はそれを耳にしながら、広げていた地図を邪魔にならないところに寄せて読みかけていた本に栞を挟んで閉じた。そうしてある程度のスペースを確保したあと、モルダは先程配下から受け取った書類に目を通した。
そこに書かれているのは、〝蒼焔の守り神〟についての情報収集結果と、〝ルーク・フォン・ファブレ〟についての資料だった。
(やはり、似ている……)
世界を救った英雄の一人とされる、〝ルーク・フォン・ファブレ〟は、一体のレプリカを持つという。それがレプリカ達の間で崇拝されている、世界を救った〝レプリカルーク〟だ。その〝レプリカルーク〟の被験者は現在〝アッシュ・フォン・ファブレ〟と名乗っているらしい。先日、英雄が帰還して盛大な祭りになっているという情報が入っていたので、これは間違いないだろう。
しかし被験者は帰還しているが、〝レプリカルーク〟が帰還したという話や噂は彼自身の耳には届いていない。
モルダは、先程栞を挟んだ本を手に取った。その表紙には〝フォミクリー〟という単語が掠れて見えている。
(ここに書いてある〝大爆発〟の定説が本当なら……)
大爆発が起これば、被験者とそのレプリカ間に特殊なコンタミネーション現象が起こり、被験者がレプリカと融合する。もし、それが彼らの間で起こったとしたなら〝レプリカルーク〟は記憶の片鱗を被験者の中に残すのみで、存在自体は消失しているはず。そして帰還した〝アッシュ・フォン・ファブレ〟が、大爆発後の――つまり融合したあとの姿なのだろう。
しかし、彼の中で何かが引っかかっていた。
レプリカの存在が消失しているというのなら、被験者である彼を含む他の連中の行動に合点がいかないのだ。
まず一つ目、被験者が〝アッシュ・フォン・ファブレ〟と名乗り続けていること。レプリカの記憶と被験者が融合した姿が彼であるならば、彼が〝アッシュ〟である必要はない。世界を救ったレプリカがその世界に生きていたことを証明したいのであれば、彼は〝ルーク〟と名乗っているはずだ。
では何故そうしないのか?
可能性としては彼のレプリカが〝生きて〟いるということ。そしてそれを裏付けるような行動が、ここに運ばれて来たのだ。
二つ目。
それは手元の書類に記されていた、〝蒼焔の守り神〟についての情報収集の偏りだった。確かに彼らは世界を救ったあと、レプリカ保護に向けて積極的に活動している。だからそのレプリカを保護するべく活動する〝蒼焔の守り神〟が気になるのも納得がいく。しかし二人について平均して調べるのならまだしも、彼らは片割れの〝焔の瞳の人物〟について極端に調べ上げていた。
書類の中に、小さく写っている〝焔の瞳の人物〟の写真があった。この人物の名は〝ルキア〟という女性らしい。実際、拉致する前に見たその容貌はまさしく女性――言葉使いは少々男勝りではあったが――だった。
モルダは〝ルーク・フォン・ファブレ〟についての書類を取り出し、〝ルキアとされる人物〟の書類と見比べてみた。性別と髪の色の違いこそあるものの、顔立ちがどことなく似ているのだ。
――あの〝レプリカルーク〟に。
(……そういえば、以前ここに捕らえたレプリカの一人が、おかしなことを口走っていたな。あのときは戯言だと気にもしていなかったが)
それは彼自身が〝リア〟として活動するようになった頃、カルサに自白暗示をかけさせたレプリカから、〝蒼焔の守り神〟についての情報を聞き出していたときに聞いた言葉だった。
(確か、〝焔色の髪の乙女〟だったか……)
当時は〝蒼焔の守り神〟である二人組の髪の色に焔色などなかった。
一人は青色。しかしもう一人の〝ルキア〟と呼ばれる人物は、己の所在を隠そうとしたのか、それとも元の鮮やかな緑色を誤魔化すためか、幾度もその色を変えていたようだ。
(それでも焔色、は――)
と、そこまで考えてモルダの思考が停止する。
(ありえない理論だ……)
――普通なら考えられないことだ。
(だが、もし――)
――もし、ここにある碧が朱へ、変わるとしたなら? 入れ替えられるとしたなら?
――そしてそれを隠すために、髪の色を変えていたとしたら。
(隠そうとしたものは、自分の――)
瞬間、モルダの背中をぞわりと何かが駆け巡る。その身体全体を沸き立たせるような震えに思わず彼は歓喜の笑いを発した。
「っふ……っはは……!!」
ひょっとして自分は、とても良い拾い物をしたのではないか。諦めかけていたものが、手中にあるのではないか。
――だとしたら、あぁ、だとしたら。
「これほどっ……面白いことはない……!!」
かねてから求めていたモノが、ここに捕らわれている。そして、彼らが〝彼女〟を必死に探していた理由も分かる。
モルダは狂気に満ちた声を挙げながらひとしきり笑ったあと、思い付いた事項を整理し始めた。
――そう、彼女は〝レプリカルーク〟なのだ。
どういった経緯で性別が変わってしまったのかは分からないが、彼らの行動から察するにその可能性は非常に高い。
しかし、まだ確信は持てない。
「確かめなければいけないな……」
そして、もし彼女が〝レプリカルーク〟だったなら、制裁を加えてやらなければならない――と彼は思う。
――あれのせいで大切な人が死んだのだから。あれが創られたせいで、〝彼女〟は短い人生を終えてしまったのだから。
(あぁ、それともう一人。制裁を加えなければ)
彼の楽しくてたまらないといったような笑い声だけが、その部屋に響き渡る。
――一体どんな顔で、あのレプリカは啼いてくれるのだろうか。
彼の口からは絶えず含み笑いが零れる。彼は口元へと手をやり、机の上に広げてあった世界地図を見た。
「さぁ……あちらはどう出るかな?」
彼らが捜し求めている人物はここに居る。果たして彼らはそれを知っているかどうか。
――知らないのであれば、教えてやろう。
お前達の大事な大事な〝レプリカルーク〟を、目の前で消してやるとしよう。