「カーティス大佐。こちら、例の報告書類になります」
ジェイドは格式ばった挨拶と共に渡されるそれを受け取り、敬礼して退室する配下達を見送った。手渡された書類にざっと目を通しながら席に着くと、いつも冷静沈着であるはずの彼の表情が珍しく険しくなる。
書類には、先日ジェイドが『すでに手を打っている』と言った中身の一つが集結している。
反レプリカ組織〝リア〟の存在を確認し、信頼のおける配下達に民間人を装って組織の情報を調べさせると同時に、ジェイドは彼らを密偵として組織内に放っていたのだ。
彼らの動きはジェイドの予想を上回るほどに良好で、日に日に〝リア〟内部についての情報が彼の手元に届いていた。組織内の見取り図から人物相関図、果ては武器の所有量や食糧庫の存在などが丁寧に調べ上げられている。無事に帰って来た暁には、彼らには褒美を与えるべきだろうとジェイドは笑みを浮かべた。
その彼らの努力の結晶が詰まっている書類の中に、ジェイドが顔を顰めた原因である一文があった。
【〝蒼焔の守り神〟の片割れである〝ルキア〟という女性が、拷問室と呼ばれる場所へ監禁されている恐れ有】
だが、その部屋への行き方は記されていない。
報告によると、〝特別分岐点〟と呼ばれているらしい場所から先は、特別な許可がなければ出入りが出来ないようだ。彼の配下達もさすがにそこへ入ることを許されるほどの地位にはついていないらしい。行けるとしても書類を運ぶときなど、首領の部屋へと通される程度だという。
(短期間でそこまでのし上がることは無理か……。それにあちらは恐らく、新しく入って来た人間をそう簡単には信用しない。ここが彼らに出来る精一杯、といったところか……)
だが、洞窟内の様子や見張りの数など、細かく報告してくれるだけでも充分だと彼は思う。アジトへ突入して奴らをねじ伏せさえすれば、あとはこちらで何とか出来るからだ。
(だが、それよりも気になるのは――)
「お? モルダって奴は、ここの譜術・譜業研究施設に配属されてたのか。しかも十六歳で配属とは、なかなかやるじゃないか」
「まぁでも、お前ほどじゃないけどな」と言いながらジェイドの目の前で当然のように書類を手に取り、読み上げる人物。
その声を聞いた瞬間、書類に置かれていたジェイドの手が額に移動した。
――確か自分の椅子は以前の場所からすでに移動し、新たな譜術を施してあったはず。しかもこの床にはべったりと譜術が敷かれているのにもかかわらず、この人は一体どこから。
彼はそう思ったことを隠し、最大限の笑顔を貼り付けてその人物を見た。
「陛下ー♪ 今度はどちらからお入りに?」
「ん? 今回ばかりは秘密だな!!」
にこやかに交わされる笑顔。ジェイドはその裏に隠された表情を読み取る。
(大方、先程訪れた兵士達に紛れ込んでいたのでしょうが……。しかし、それに気付けないとは私としたことが……。思ったより焦っているらしい)
いつもと言えばいつものやりとりだったが、今回はそれに構っている場合ではない。
「……お前のそんな表情を見るのは久し振りだな」
書類を手にしたピオニーがにやりと口角を上げる。自分では分からないが、この人から見て分かる程度に複雑な感情が表に出ているようだとジェイドは察した。
――これではいけない。冷静にならなければ。
「まぁそんなに焦らなくても良いんじゃないか? こんな状況になれば誰でも心配するし、不安にもなるだろうさ」
その言葉に、ジェイドは思わず溜息をついた。
(まったくもって、この人には適わない)
彼はピオニーに気付かれないように右手を口元へと持っていき、笑みが浮かんだそれを隠す。
――そうだ。皆不安なのだ。自分だけが焦っているわけではない。
ジェイドの乱れていた感情が元に戻るのを確認したピオニーは、座っていたソファから立ち上がった。
「さて、ルークの救出作戦はお前にまかせるとして、俺は俺が出来ることをするか」
彼は白い歯を光らせながら「お前もいつもの顔に戻ったことだしな!」とにこやかに笑う。
――その太陽のような微笑に、何度助けられたことだろう。
心配をし、様子を見に来てくれたであろう幼馴染に、ジェイドは心の中で感謝の意を述べた。それを口に出して言わないのは、彼に対するささやかな抵抗だった。
執務室から出ようとしたピオニーが、「あぁ、そうだ」と思い付いたようにこちらを振り向く。その笑顔が先程のような太陽のそれではなく、どこかどす黒くなっているのは気のせいではない。
「〝リア〟の連中は、全員〝生きた状態〟で捕らえて来い。俺が、この手で、直々に、断罪してやるからな♪」
にっこりと言われた言葉。
その裏に怒りが見え、ジェイドの顔に隠すことのないいつもの笑みが浮かんだ。
――あぁ、結局この人も、ルークのことが心配なのだ。
その意見に彼は特別反対することもなかったので――むしろ賛成だ――、首を縦に振ることで了承する。
ぱたんと扉が閉められ、部屋内が一気に静かになる。
先程ピオニーが読み上げていた書類を手に取り、ジェイドはそこに書かれてある情報を整理し始めた。
【モルダ・エスパシオ。現年齢は二十一歳。
過去に十六歳という若さで王立譜術・譜業研究所に配属されていた経歴を持つ。主な研究内容は人体の潜在能力を利用した譜術・譜業等の開発。
右目に邪視を持った当時十四歳の少女、クリス・サングレを研究対象とする。】
(……名前だけは聞いたことがある)
かつて、ジェイドには及ばぬものの、若干十六歳の少年が王立研究所へ配属されたということは彼の耳にも入っていた。何でも人が持つ特異的な力の研究に長けており、それを譜業へと応用する技術を開発していたとか。
【彼が十七歳のとき、研究対象であったクリス・サングレが〝不慮の事故〟により死亡。
その後、彼は彼女の遺体と共に研究所から姿を消す。以来、行方が分からなくなったため、研究所は彼を懲戒処分とした。】
(〝不慮の事故〟とは……笑わせる)
その都合の良い死亡理由に、ジェイドは思わず苦笑した。
これは王立研究所にあった情報だ。ここでの少女の死は、表向きは〝不慮の事故〟となっているが、裏を返すと何のことはない。
邪視の力を欲しがった軍の幹部とその研究員が、その力を大量生産しようとレプリカ計画を企てたのが原因だ。事実、軍幹部の手により少女を戦地へと連れ出し、その力を悪用しようとした形跡もある。
――邪視を持った少女、クリス・サングレ。
彼女は僅か二歳のときに、実の両親からその奇妙な能力――邪視を理由に研究所へ売られて来たらしい。幼い頃から繰り返される実験、恐らくロクな物を口にはしていなかったのだろう。当時の彼女の写真がその様子を物語っている。
そしてきっとその痩せ細った身体は、レプリカ情報を抜かれることに耐えられなかったに違いない。それが原因で命を落としたのだ。――僅か十五歳という若さで。
その後、軍は秘密裏にどこかでクリス・サングレのレプリカを作り、王立研究所へと移動させたようだ。レプリカが作られた場所として一番可能性が高いのは――ワイヨン鏡窟。キムラスカ領であるそこならば、マルクトの手が及ぶことはない。恐らくヴァン――いや、あの洟垂れと繋がっていた研究者なり、幹部なりがいたのかもしれない。
今ではカルサと呼ばれているレプリカだが、その頃の研究所内での呼び名は〝C-SI02〟。研究所にそれに対する実験結果がデータとして残されていた。先のパダン平原の戦い――アクゼリュス崩壊後に起きた戦争だ――にも連れ出されていたらしい。
しかし彼女は作られてから半年後に行方不明になっている。さらには当時、彼女を実験対象としていた研究員達まで。
そして彼女以降、クリス・サングレのレプリカが作られた形跡はない。何者かが被験者のレプリカ情報を破棄したせいだろう。
(――とすれば、シリカの存在は……?)
あれは紛れもなくクリス・サングレのレプリカだとジェイドは思う。だが、邪視と呼ばれる右目は劣化しており、本来の力を失っている。左目の青と碧の斑色も、髪に転移していた。
確かにレプリカは被験者と比べて劣化することは有り得るのだが――と、彼はそこまで考えてあることに気付く。
(まさか……、レプリカからレプリカを作ったというのか――!?)
ジェイドは急いで先日行われた健康診断のカルテの中から、すっかり見落としていたシリカの分を取り出す。そこに書かれている数値は、どれもありえないほど微弱だった。
――これではあの少女は長く生きられない。
そしてこの数値の微弱さは、レプリカからレプリカを作ったことによるものだということを裏付けている。瞳の色が髪へと転移したのも、これが原因だろう。
(何という無茶なことを……! これでは情報を抜かれたカルサというレプリカも――)
密偵に徹している彼らの報告によると、カルサはどうやらあちら側にいるらしい。その中で、『モルダを盲信しているようだった』と報告があった。
ここで彼は、今までの情報を繋げてみることにした。
クリス・サングレのレプリカ情報を破棄したのは恐らくモルダだ。そしてその経緯でカルサを発見した。当時の研究員達が行方不明となっているのも、彼が関係しているはず。カルサを連れ出し、さらに自分を盲信させるように育て上げることで、その邪視の力を思うがままに操っていることが予想される。
――かつてのルークがそうであったように。
そして反レプリカ組織〝リア〟として活動するきっかけとなったのは、彼の研究対象であり、カルサの被験者でもあるクリス・サングレ。彼が彼女の遺体と共に研究所を去ったことと、彼女のレプリカ情報が破棄されていることから、二人はひょっとしたら互いに想い合う関係だったのかもしれない。
だが、そうだとしてもルークを拉致した動機がはっきりと見えてこない。
(……これはモルダを捕らえてからじっくり聞くことにしましょうか)
動機など、捕らえたあとで聞けば良い。それよりもルークを救出することを優先しなければ。
向こうはまだこちらから密偵が放たれていることには気が付いていないはずだ。とすれば、現段階ではこちらの様子を窺っている――といったところか。そこでこちらがどう動くかじっくりと見ているのだろう、とジェイドは考える。
「ならば先手を打つのみ、ですね」
モルダはルークが手元にいる限り、こちらは安易な行動はしないと踏んでいるはず。
それを逆手にとり、動いていないように見せながら一気に叩く。そうしなければ、いつまでも平行線になってしまうかもしれない。
――それに早くしないと、拷問室に捕らえられているであろう彼、いや彼女は……
(無事で、あれば良いのですが……)
それだけを願いながら、ジェイドはルーク救出のための作戦を練り始めた。