(今、何時頃なんだろう……)
――ここは暗い。
照明が僅かに灯るだけで時計はない。カルサが去ったあと、ルークだけが部屋へと残された。降ろされていた足や手は鎖によって再び吊り上げられ、拘束具が手首を圧迫している。
逃げることは諦めていない。しかし脱出方法が見付からない。
一度、生理現象を口実にして脱出を試みたが、鎖の長さを緩められただけで、しかも手洗いと言ったところはそのまま数歩歩いた場所にあった。しかもそこは地盤を繰り抜いて作られているせいで外に出ることはおろか、窓さえ見受けられず、ただ小さな換気口だけが存在していた。さらに入口には見張りが二人――その内一人は女性だった――立っており、扉から鎖だけを通した状態で一寸の隙もなく警戒していたのだ。その瞬間、この口実は使えないとルークは悟った。
拘束具と拘束具を繋ぐ鎖は絶妙な必要最低限の長さに固定されていて、鎖自体も丈夫なものだ。吊り上げられたままでは拘束具をはずそうにも両手両足は動かないし、使えそうな道具は周辺にはない。その上、目の前にあるのは拷問時に使用されたであろう道具達が、脱出しようとする彼女の気力を削っていく。
正直見ていて気分が良いものではないので、ルークはそれらから必死で目を逸らした。どうかそれが使われることがないように祈りながら。
ルークは沈んでいく気を紛らわすために、とりあえずこれまでの経緯を整理しようと決め込んだ。
(まず、ケセドニアで会ったカルサ、だ)
彼女を助けた時点で、すでにルークを捕らえる作戦は始まっていたのだ。とすれば、恐らくカルサを襲っていた男達も〝リア〟の組織員だったのだろう。ルークにカルサを助けさせることで同情を引き、信用を得る。そして同時に、少女が持つ力をごく自然に発動させたのだ。
意識を失った振りをして、今度は意識が回復したように見せかけて流れるように顔を見る。それだけで右目の効果を発揮するには充分だっただろう。現にルークはあの目を直視してしまった。
その後、ケテルブルクへ行きたいという示唆をすれば良い。言葉足らずに振舞ったのも、きっとルークを上手くここへ誘導するためだったのだろう。
ケテルブルクに到着してすぐにカルサがルークから離れたのは、アジトへ報告しに行ったのかもしれない。もちろんそれもあるだろうが、ルークが街から出ることをも防いでいたのかもしれない。移動に徹して疲れた身体を引き摺ってまで、さらに移動をすることはないとの考えで。
そしてここに来たついでにと、ルークが〝リア〟について調べまわることも読んでいたのだ。聞き込みをしている間に着々と周囲を包囲し、聞き疲れた彼女が一人になるのを待っていたに違いない。
(うわ……俺、超だせぇ……)
つまり、ルークは何もかもモルダという男が読んだ通りに行動してしまったのだ。あの男は恐ろしく頭が良い。
一瞬、ルークの中で赤目の軍人と比べたらどちらが上だろうかという考えが頭を過ぎったが――
(――ジェイドだろうな、やっぱ)
答えが出るのにそう時間がかからなかったことに彼女は苦笑した。
――そういえば、向こうは大丈夫だろうか。
出来るなら迷惑はかけたくない。自分のせいであの街の建設が中止されるようなことがないようにと、ルークは祈るしかなかった。
「……ご機嫌いかかですか? 焔の姫君?」
かつ、と床を踏む靴の音が聞こえる。それと同時に見える男の影。
考えに耽っていたせいで、ルークはその気配に気付かなかった。彼女は舌打ちをしながら声がした方向を睨む。
男――モルダはゆっくりと何名かの手下を引き連れてルークの前に立った。だが、その中にカルサの姿はない。
「我が城は気に入って頂けたでしょうか?」
からかうように言われた彼の言葉に、ルークは苦々しく答える。
「……気に入るどころか、最悪だ!」
すると「それは残念」と冷笑を浮かべたまま、モルダは肩をすくめた。ルークはそこで聞きたくはなかったが、聞かずにはいられなかったことを口にする。
「それより、……ここは、何だ」
――どうか自分の予想が違っていると良い。
そして出来れば、ここで行われていることが嘘であって欲しいと彼女は願いながら、モルダの答えを待った。しかしその願いは届かなかった。
「見て分かりませんか? ここでレプリカ達を〝消して〟差し上げてるんですよ。本物をそっくりそのままコピーした〝化け物〟をね」
――化け物。
モルダから発せられたその言葉にルークは絶句する。同時に彼女の胸の底から湧き上がる激情。それは怒りだった。
わなわなとその手が震えている。頭の中ではその感情が沸騰直前のように沸きあがっている。ここで落ち着けと言われても、落ち着けるはずがない。
完全に怒りに身を任せてしまったルークの髪が、見る見る間に新緑から朱へと変わっていく。その現象に周囲にいた男達は驚いていたが、モルダだけは楽しそうに笑んでいた。
それは、彼の中の疑惑が確信に変わった瞬間だった。
――これはやはり、あの〝レプリカルーク〟だ。
モルダの笑顔の中に歓喜が渦巻いていくのが見える。
―― ずっと探していた! 全ての元凶!
ルークの長い髪が完全に先まで朱い色に染まり終る。しかし彼女は激昂のあまり、髪の色が変わったことにも、彼の表情が歪んだものへと変わったことにも気付かなかった。
「ふざけるな! レプリカだって生きているんだ! 一生懸命生きようとしているものを殺しておいて、何が化け物だ! お前らにそんなことを言う資格なんかねぇ!!」
彼女を繋ぐ鎖がジャラジャラと激しい音を立てる。
「ただひたすら生きたいと願っているだけなのにっ! それだけなのにっ!! それをっ――、物みたいに扱いやがって!!」
自分も、レムの塔で頑張っているアンバー達も、そしてここにいる可哀想な少女も。ただ生きたいだけ。自分達が幸せだと思う空間で、静かに生きたいだけ。
――それをこの男は!
「――物を物として扱って何が悪いんだ?」
心底不思議そうに言われた言葉に、ルークの煮えくり返っていた思考が停止する。
「だって〝アレ〟は、人間から創られた化け物だろう? だからアレは人とは違う〝モノ〟だ。元々存在しなかったそれを、消し去って何が悪い?」
彼はそこで一旦言葉を切り、表情を一転して嘲笑へと変えた。
「なぁ、そう思わないか?〝世界を救ったレプリカルーク〟?」
沸いた頭に冷水を浴びせかけられたような気がした。
「ど…… して……」
「それを」と言いかけて、ようやくルークは自分の髪が朱くなっていることに気付く。
――まずい。
ルークは思わず口走った言葉に、さっと顔色を青くする。〝ルーク〟ではないというのなら、誰のことだと、しらを切らなければならなかったのに。
「……もしやと思ってカマをかけてみたんですが、どうやら本当のようですね。しかし噂では〝レプリカルーク〟は消えたとか? それに〝レプリカルーク〟の被験者は無事生還し、今では何故だか分かりませんが、〝アッシュ・フォン・ファブレ〟と名乗っている」
じわじわと崖っぷちへと追い込まれているような雰囲気に、ルークの背中を冷や汗が流れていく。
「あなたが〝レプリカルーク〟ではないと否定するなら、『どうして』と、答えるべきではありませんでしたね」
くすくすと無邪気に笑うその表情が余計に怖さを引き立てている。
「しかし〝レプリカルーク〟は、被験者の性別から察するに……男性であったはず。どういった経緯でそうなったのかは存じませんが――」
モルダの表情ががらりと変わる。つい先程までの彼とは別人のような表情。
――その瞳には、激しい憎悪が込められていた。
「――お前はどう見ても女で。しかも髪の色と、瞳の色が逆転するときている。はっ、それも〝世界を救ったレプリカルーク〟様が成せる技か?」
そして彼は、「はははは!」といきなり大声を上げて笑い出す。心底おかしいのだろう。時々引きつるような笑いさえ含んでいた。
その男の異常な笑いにルークの顔が引きつるのが分かる。それは彼女だけではなく、周囲にいた男達も同じような状態に陥っていた。
先程と言葉遣いが違っているのは気のせいではない。
彼はそうしてしばらく笑ったあと、嘲笑めいた笑顔を貼り付けたままルークを罵った。
「髪と瞳の色が逆転し、男だったものが女になる時点で、充分過ぎるほどお前は〝化け物〟だろうが」
――心臓を鷲掴みにされたような気がした。
ルークの身体の中を、ドクドクと鼓動が煩いぐらいに響いていた。そして彼女の視界の前にはフィルターのようなものがかかり、周囲がうまく見られない。
――そんなことはないと、言い切れない自分がいる。
―― だってそれは真実《ほんとう》のことだったから。
「被験者も可哀想に。こんな〝化け物〟がレプリカだとは」
ルークにとって、それは止めの一言だった。
もはや言葉を失くした彼女は何も言えず、ただ俯くしかなかった。その反応に満足したのか、彼はゆっくりと撫で上げるように言う。
「本当ならすぐにでも消してやりたいところだが、生憎とお前にはまだ役目がある。お前を出汁に、レムの塔で作られているレプリカの街を破壊してやろう」
―― レプリカの街。
それを聞いた瞬間、ルークははじかれたように顔を上げた。
「やめろ! あそこには手を出すな!!」
(折角、折角皆が頑張ってるのに! 俺のせいで壊させるわけには――!)
知らず、彼女の目尻に涙が溜まる。対してモルダは撫でるような言葉から一転して吼えるように叫んだ。
「レプリカ風情が大きな口を叩くな! 世界を救った英雄だか何だか知らないが、所詮はレプリカとい〝化け物〟だ。その化け物が、人間様に口応えして良いと思っているのか!!」
先まで笑みを浮かべていた表情は、今や醜く歪められている。そのことから、本当に彼はレプリカを憎んでいるのだとルークは悟る。何故ならばその瞳には、憎悪と嫌悪しかなかったからだ。
――今の光景は、まるで、紅い髪の彼と初めて出会ったときを再現しているかのようだった。
(……アッシュも、こんな風に思ってたのかな……)
ルークはあの頃の記憶を掘り出し、遠くを見詰めるように心中で呟いた。
(だとしたら……、俺、は――!!)
思い切り噛み締めた奥歯が痛み、目の奥がチリチリと痛み、そして拘束具の上で握り締めた彼女の手は力が入り過ぎて真っ白になっていた。
「ただ、向こうにはマルクト帝国皇帝の懐刀と名高いネクロマンサー殿がいる。彼に用心して作戦を練らないとね。けれど、彼らは〝レプリカルーク〟に至ってご執心のようだ。そのあなたがここにいると知れば、彼らも簡単には手は出せないでしょう」
そんな状態のルークを知ってか知らずか、にっこりと楽しそうにモルダは微笑む。
「無事、街が破壊されるまで、ここで大人しくしていて下さいね? 焔の姫君」
先まで荒れていた口調は、いつの間にか元のような静けさを取り戻していた。
「それとご安心を。我々はあくまで反レプリカ組織。我々に危害を加えようとする者以外の被験者達には、一切手を出さないのが信条です。そして我々の目的が達成した暁には、すぐさまこの組織は解体する予定ですよ」
口元に笑みを貼り付けたまま「順調に事が進めば、の話ですがね」と彼は続ける。
――被験者達には手を出さない。
それを聞いてルークは少しだけ安堵した。しかし、続いて言われた言葉に彼女は再び身を固くすることになる。
「では私はこれで失礼します。――あぁそれと、お前達。焔の姫君を〝手厚くもてなして〟差し上げなさい。……殺さない程度に、ね」
モルダは一緒に連れて来た男達にそう言い残して、部屋をあとにする。
それを確認した男達は互いに顔を見合わせ、下品た笑いを顔に浮かべながらルークに近寄った。
その男達の顔には見覚えがあった。先日、ケテルブルクの公園でルークを捕まえようとした際に、彼女の手によって返り討ちにされた連中だった。
そしてその表情は。
ルークが下界へ降り立ち、ケセドニアに着いたときに絡んで来た男達の表情によく似ていた。
男達から漂うその異様な雰囲気が、ルークの背中をぞわりと這うのが分かる。
――これは、何だ。
――今まで味わったことのない恐怖だ。
魔物と対峙したときとは違う。ヴァン師匠と戦ったときだって、こんな風には思わなかった。
それよりも、もっと、もっと、怖いもの。背筋の奥からじわじわと押し寄せて来るような。
「く、来るな……」
ルークは未知なる恐怖に身を戦慄かせる。
しかし拒否の言葉を吐くも、一人の手が、彼女が纏っている服に伸ばされた。
「来るなああああああああああ!!」
――誰か。
――これは夢なんだと、言ってくれ。