裏切られた思考。
近付いていく鼓動。
全ての準備は整った。
ジェイド達は洞窟の入り口にいる見張りの目から隠れるようにして岩陰に潜む。どうやら向こうはまだ、こちらの動きには気付いていないようだった。
アルビオールは近くの森付近に隠すように着陸させてある。あの機体がここ周辺に向かったことを、彼らが見逃すはずはないことは分かっていた。しかしこちらの動きが完全に読めていないアジト内では、恐らくどう対処するか混乱を極めているはずだとジェイドは読む。
現に見張りの視線が鋭くなっている。守りに徹している証拠だ。
(案外あっけなく終わるかもしれませんね……)
ジェイドは視線をリドへと移す。視線を向けられた少年は、音機関の準備が終わったのか「いつでもOK!」という風に右手の親指を立てていた。
それを苦笑しながら確認し、ジェイドは見張りに聞こえないように手短に小声で話す。
「それでは、ここで簡単におさらいをしておきます」
作戦の内容はこうだ。
現時点でティアの第一譜歌を発動させ、入り口付近にいる見張りとその近くにいるアジト内の人間を眠らせたのを確認し、突入。そのまま譜歌を発動させながら、〝一般分岐点〟までは全員で行動。〝特別分岐点〟へと到着したあとは、それぞれの通路にジェイドとガイ、ナタリアとアニス、そして首領の部屋へと通じる通路にアッシュが入る。
ここでアッシュが一人なのは、彼の力量はもちろん、本人の強い要望があったからだった。
(ルークを拉致《と》った憎き相手でしょうしねえ)
そう思いながらジェイドは微笑む。
ルークを保護したあとは、アジト内で眠る組織員達の収容へと切り替える。
時間差でここにマルクト帝国所属の陸艦をよこすように手配してあるので、一人残らずそれへと移動させる。ちなみにアジト内に潜んでいるジェイドの配下達には、事前にアジト外へ出ているようにと伝えてある。そのままケテルブルクで待機するように指示し、あとから来るであろう陸艦の誘導と、逃亡して来る組織員達の対応に当たらせることにしている。
「アジト内にいる組織員達がほぼ眠ったところでティアには譜歌を止めるように連絡します。起きている組織員達は適当に昏倒させてその辺に転がしておいて下さい。陸艦が到着し、応援が来たあとに回収しますので。ルークを保護したあとは、通信機で必ず連絡をして下さい。各自無茶はしないように。良いですね?」
ジェイドはそう言って周囲に視線を配る。それぞれが神妙に頷いた。
アッシュはふいに何らかの気配が揺らいだことを感じ、ローレライの鍵に手を伸ばす。
――僅かにではあるが、鳴いている。
その小さく震えるような音に、自然と彼の眉間の皺が増えた。
「アッシュ。くれぐれも〝生きた状態で〟確保するんですよ?」
彼の緑の瞳に宿った燃え上がるような怒りを感じ取ったジェイドは、気休め程度に釘を刺した。どうやらそれは図星だったようで、アッシュは小さく舌打ちをしたあとで「分かっている」とだけ答えた。
ジェイドが『生きた状態で』とあえて強調したのは、多少なら痛め付けても構わないという意思が込められている。本来ならば殺してやりたいと思っていたアッシュだったが、今はそれで我慢しようと怒りを堪えた。
「はは、骨の二、三本どころじゃ済まないかもなぁ……」
アッシュの隣に居たガイが只ならぬ気配を感じ、そう小さく呟いて空を仰いだ。彼特有の眉間の皺が、そうなるであろうことを物語っていたからだ。
しかし、ガイはそうすることを止めようとは思わなかった。きっとそれは自分だけではなく、ここにいる誰もがアッシュと同じ気持ちを持っているだろうから。
「リド、拡声音機関の準備は良いですね?――行きますよ」
ジェイドからティアへ視線が送られ、互いが頷いた。
――それが開始の合図。
ゆっくりと彼女の口から第一譜歌が紡がれ始め、彼らは早々に作戦を開始した。
◆ ◆ ◆
「グランコクマ周辺にいる偵察員より緊急連絡! 奴らがアルビオールでケテルブルク方面へと向かったとのことです!」
「何!?」
その報告を受け、モルダは慌てたように地図を見た。
彼の予測ではジェイド達はこれからグランコクマで話し合いを行い、ダアト辺りで各国会議を行うだろうと踏んでいた。
(今の段階でケテルブルク《ここ》へ来るというのはどういうことだ)
この街に特別な用事があるとは思えないが、ここには知事の役職を担うジェイドの妹――ネフリー・オズボーンがいる。ひょっとして彼女に用事があるのかもしれないとモルダは考える。
しかしそれも、彼らがここに来てからでないと分からない。
(まさか……、このアジトの所在がばれているというのだろうか?)
――いやそんなはずは……だが――
モルダの中でいくつもの疑惑が生まれては消えていく。
(くそ、向こうが上手《うわて》だったということか――!!)
これこそがあのネクロマンサーと呼ばれる軍人の狙った戦法だったのだとモルダは気付く。そしてどっち付かずのこの判断が、大きな隙を生むこととなるのだ。
悔しさのあまりか、モルダの握りしめた拳が振るえ出している。
――してやられたとはこのことだ。
裏を読んだつもりでいたが、向こうはさらにその裏を読んでいた。
冷静にならなければとモルダは思うが、今の状況では難しかった。
「全員、戦闘準備! 気を緩めるなと伝えておけ!!」
叫ぶようにモルダがそう言うと、配下は慌てて部屋から立ち去った。
誰もいなくなった部屋では、時計の針がゆっくりと進んでいるように感じられる。モルダは落ち着かない様子で、しばらく部屋の中を歩き回っていた。
彼は段々と焦り始めた心を隠すように、ぎり、と親指の爪を咬んだ。
―――落ち着け、落ち着け。
ここで慌ててしまっては、向こうの思うツボだ。もう少しすれば、ケテルブルクにいる偵察員から連絡がある。それで判断すれば良い。
何度もそれを胸中で繰り返していると、ようやくモルダの心音が収束を始め、鼓動が静かになっていく。
――そうだ。落ち着け。
そしてモルダが大きく深呼吸をしたそのとき。
辺りに小さな旋律が響き渡った。
(……何だ?……歌?)
“……トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ……”
モルダが訝しみながらその歌に耳を傾けた途端、くらりと視界が淀み、ついで急激な眠気に襲われた。
(これは――ユリアの、第一譜歌か!)
そこでモルダは、全てが遅かったことを悟った。この歌が聞こえるということは、ジェイド達がここへと突入を果たした証。
そして彼は今更ながらに気付く。この部屋の入り口に張ってあった譜術封印の効果がいつの間にか消えていたことに。
恐らく〝リア〟内部に、あの軍人の手のかかった者達が潜んでいたのだろうとモルダは考える。まったくもって鮮やかなその手口に、敵ながら称賛を贈ってやりたいと思ったほどだった。
「くそっ!!」
徐々に彼の視界が揺らいでいく。
――ここで眠っては駄目だ。
モルダは少しでも目を覚ませるために、利き手ではない方の拳を壁に思い切り叩きつけた。その痛みで僅かに覚醒した頭を抱えながら、彼は壁に掛けてある剣の元へと足を運ぶ。
(奴らがここへ来るまでには、時間はそう掛からないはず)
――それまでにせめて、アレだけは――アレだけは消さなければ。
痛みが和らぎ、再びモルダの視界が歪んでいく。
先程より譜歌の効力が強くなっているのは気のせいではないだろうと彼は思う。ルークを助けるために、ジェイド達が近付いて来ているのだ。
モルダは襲い来る眠気と戦い、よろめきながら部屋の奥に隠してある扉へと移動した。この扉の先は拷問室へと続いている。ぱっと見ただけでは、すぐにはここを見付けることは出来ないだろう。
気を抜けば眠りに陥りそうになるのを何とか堪えながら、彼は扉を開けて滑り込むように中に入った。閉め直す余裕も時間も、もはやないに等しい。
モルダは出来るだけ急いで歩を進めた。
◆ ◆ ◆
朗々と響くユリアの第一譜歌が、アッシュの胸に付けられている通信機から響き渡っていた。味方識別が付いているお陰でアッシュ自身には効力を成さないそれが、洞窟内を駆け抜ける彼の背中を押してくれているように見える。
胸元の小型通信機からは仲間達の声が定期的に聞こえていた。ジェイドとガイはレプリカ研究室を発見したらしい。これから研究器具を停止すると連絡が入る。ナタリアとアニスは通路の先に捕らえられていたレプリカ達を発見し、救出するための行動に切り替えたようだ。
そして大体の組織員達が眠ってしまったのだろう、ジェイドがティアへ譜歌を止めるように指示をしている。どうやら全員無事のようだ。
仲間の無事を確認しながら指定されていたルートを走っていたアッシュは、ついに首領の部屋の前に辿り着いた。そのまま迷うことなく扉を開ける。
彼の視界には、まず薄暗い部屋が視界に入った。その机の上には地図や書類が広げられている。隅々まで見渡してみるが、その部屋の主である首領――モルダの姿はなかった。
(逃げたのか……?)
仲間達からはそれらしい人物を発見したとの連絡はない。それにこちらの目的の人物も見付かっていないのだ。居るとすれば恐らくそこだろうとアッシュは早々に検討をつける。
彼は舌打ちをし、踵を返して部屋を出ようとしたが、ふとアッシュの頬をふわりと何かが掠った。
――風。
一体どこから、とその風が吹いて来る先を辿っていくと、アッシュは部屋の奥に隠し扉があることに気付いた。先程の風は、僅かに開いたその扉の隙間から入って来ているようだった。その状態から察するに、先までここに誰かが居たことは間違いない。
――この先に奴と、あいつが、いる。
アッシュはローレライの鍵を握り直して隠し扉の奥へと足を踏み入れた。進む毎に段々と近付いているのが分かる。鼓動と共にアッシュの走るスピードが上がっていく。
――焦がれに焦がれたあの存在を、今度こそ手中とするために。
◆ ◆ ◆
疲労がついにピークに達したのか、朦朧とする意識の中で、ルークは眠りへと誘うその歌――譜歌の効果が段々強くなって来ていることに気付いた。
(まさか)
――そんなはずはない。
期待していなかったわけじゃない。ひょっとしたら、なんて思っていたのも確かだ。でもそれがこんなに早く叶えられるなどと、誰が予想しようものか。
混濁する意識の中で不安と期待が渦巻く中、がらりと何かを蹴るような音が聞こえてルークは我に返る。音がした方向にルークが目をやると、そこには片手に剣を持ったモルダが壁にもたれかかるように立っていた。彼にも譜歌が効いているのだろう、襲って来る眠気と戦っているように見える。
「第七譜術士が……いたとはな。お前と、ネクロマンサーにばかり目がいって、他の仲間の能力を失念していた……」
モルダは壁から身を離し、よろよろとした足取りでルークの元へ向かって来る。
「こちらが完全に作戦を始める前に、行動を阻止されたか……。さすがはネクロマンサー……いや、〝ジェイド・カーティス〟だな……」
その表情が視界に映り始めたあたりで、モルダは歩みを止める。それに合わせるように、周囲に響いていた譜歌も止んだ。
「嬉しいですか?〝レプリカルーク〟? あなたの大事な仲間達が、助けに来てくれたみたいですよ?」
譜歌が止んだことに彼も気付いたようだ。眠気により鈍くなった感覚を取り戻すように二度、三度と手のひらを握っている。
「はは、でも今さら来ても遅いって感じだよねぇ? 見事にボロボロだもんお前」
そして完全に感覚が戻ったのだろう、モルダの表情と口調が変わった。
彼は持っていた剣を振り上げ、そのまま吊り上げられていたルークの脇下にそれを突き立てる。そこに流れていた朱い髪の一部が、はらはらと落ちて消えていった。
その一部始終を眺めていたモルダが、急に大口を開けて嗤い始めた。しかし、その表情に先程までの覇気はない。
「本当に綺麗に消えてくよなぁ? そうさ。レプリカなんて、全部消えてしまえば良い。被験者を、レプリカのために死んでいった者を、クリスを!――冒涜する、存在など!!」
――何だろう。この、違和感は。
ルークは呆然としながら狂ったように嗤うモルダを見ていた。
口調からは激しい怒りを感じるのに、表情からはそれが一切窺えない。とても悲しそうに歪められていて。今にも泣きそうな顔で。
それは不思議な感情だった。恐れもしない、悲しむでもない。そこに、何も無いと感じる空間。
ただ一つ、ルークが思ったのは。
――この男は嘆いている。その胸の底に何かを必死で隠している。
ルークは、眼前での出来事がまるで別の視点から見ているようだと思った。
ぐらぐらと揺れる視界の中で、ルークはモルダの剣がゆっくりと壁から引き抜かれるのを見た。恐らくその剣で自分を消すつもりなのだろうとルークは思う。
――今の自分では、深い悲しみに囚われている彼を救うことは出来ない。
だからせめて、自分が消えることで少しでもその悲しみが癒えるのならばと、ルークは諦めたように下を向いて目を閉じようとする。
(最後に一目、アッシュに会いたかった)
だからその声が聞こえたとき、ルークは思わず幻聴だと思ってしまったのだ。
「それ以上そいつに近付くんじゃねえ、下衆野郎が」
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