悲しい、寂しい、苦しい。
今はただ、泣きましょう。
あなたの為に泣きましょう。
二人でレプリカ達を救済し始めて何ヶ月か経った頃。世間一般的に綺麗だと絶賛されるであろう緑の髪を隠して行動する彼女――ルキアに対して、いくつかおかしい点があることにラズリは気付き始めた。
(まぁ、髪の色を隠すという時点で、すでにおかしいと思っていたのだけれど)
あのときは目立つのを避けるため、不埒な男達に絡まれるのを避けるため、と言われて納得――実際誰が見ても、彼女の髪と瞳の色は目立っていた――していた。
しかし、日々共に行動する内にどうにも納得できないところが出て来たのだ。
その内の一つは、彼女は特定の街にある保護施設に入るのを拒む傾向があること。特に、キムラスカ・ランバルディア王国の首都、バチカルにある保護施設だけは極端に避けてしまう。
ケセドニアを出たときから髪も目立たないよう染めているし、その色のお陰で焔色の瞳も若干緩和されている。容姿も男とも女ともとれるような中性的な格好で、こちらが揉め事でも起こさない限り目立つことはないだろう。それなのに何故か保護施設まで送る役目はラズリにまかせて、彼女はいつもそれを見送るのだ。
もちろん、これはバチカルだけではない。
程度の差はあれど、グランコクマやダアトにも当てはまる。そして時々何かに気付いては、物陰に隠れるような素振りを見せるのだ。
その度に、一体誰から隠れているのだろうかとラズリは彼女の視線の先を見るのだが、グランコクマでは〝青い軍服〟を着込んだ軍人、ダアトでは〝教団服〟を身に付けている者達がいるだけだった。
それにもう一つ。
ラズリにははっきりとは分からないが、彼女の視界に〝特定の何者か〟が入ったとき、一瞬身を強張らせるのだ。てっきり研究所の関係者かと思い聞いてみたが、研究所関係者ではないと言う。では知り合いなのかと聞いてみたら、明確な答えは返ってこなかったので、恐らく知り合いの類なのだろう。元が男だと言っていたから、会いたくないのかもしれない。
しかし一番気になるのは、その人物達を見掛けたときの表情。
いつも、寂しそうな、今にも泣きそうな顔で見ているのだ。本当は駆け寄って行きたいのに、それに耐えているような。
それは一度だけでは収まらず、二度三度とあった。バチカルで、グランコクマで、ダアトで。いわばレプリカ保護施設がある街の全てにおいて、だ。
そうなると良い加減ケセドニアでの、「研究所から逃げて来た」という理由も嘘だと気付いて来る。だが、今となってはそんなことはどうでも良いとラズリは思う。
問題は、こうも頻繁にそういう状態に陥られると、どうしても目立って来ることだ。
救済活動を続けていくのなら、なるべく目立たないように行動する必要がある。レプリカの存在自体は世界に認められているとはいえ、まだ好意的にとられていない。ということはもちろん、中にはレプリカを憎んでいる者もいる。
そして自分達はその憎むべき存在の内に含まれるため、狙われる危険性――助けたレプリカの一人から、反レプリカ組織という存在があることを教えてくれた――もあるのだ。
あまり好条件ではない中で動かなければならないというのに、街へ行く度にそういった行動をとられては、いかにも「怪しんで下さい」と言っているようなものだろう。
初めの頃は深い事情があるのだろうとなるべく関わらないようにしていたが、ここまでになると――と、ラズリは考え込んでしまう。
(……でも、そんなのはただの表立った言い訳だわ)
そう、結局ラズリは彼女のことが心配なだけなのだ。
出来ればいつも、あのどこか人を魅了する笑顔で居て欲しい。どんなに危険な場に遭遇しても、ひたむきに前を見て走っていて欲しい。彼女は自分に信頼する心を教えてくれた。しかし彼女は、とても深いところで自分に頼っていない部分がある。
それが何より悔しいとラズリは思う。
いつの間にか彼女は、ラズリにとってなくてはならない存在の一人となっている。だからより一層、傷ついた部分を癒してあげたい、とも考えている。
――彼女が心に抱えている深い悲しみを。
余計なお世話かもしれないと思い、それを聞くことを躊躇《ためら》っていたが、一向に彼女の挙動が収まることはなかった。
そしてついにこのままではいけないと、ラズリは常日頃から着々と考えていたことを実行することを決め、ある日グランコクマの宿の一室で彼女を問い詰めることにしたのだ。
宿の部屋はいつも二人一緒にとっている。
最初こそ「元男と女が同じ部屋で寝るなんて!」と戸惑っていたようだが、ラズリが強引に慣れさせたため、最近では部屋が同じでも平気で過ごせるようになっていた。
今、彼女は二つあるベッドの内の一つに腰をかけ、鼻歌交じりに今日の戦闘で汚れた愛剣の手入れをしている。
「ルキア、ちょっと良いかしら」
「ん? どうしたんだ?」
顔を上げてラズリの表情を見た瞬間にただ事ではないと察したのだろう、手入れをしていたその手が止まった。
「そろそろ、自分でも気が付いてるわよね?」
「やっぱ、ばれてたか」
敵わないなぁ、とルークは思った。
最近、ラズリが何か悩んでいることは知っていた。恐らくそれが自分のことに関してだということも。小さく溜息をついた彼女の視線が、不安そうにこちらを見ていたから。
(ここらが限界、だな)
これ以上誤魔化すことは出来ないとルークは判断し、彼女に〝ルーク〟だったときのことを話す決意をする。彼女になら、話しても大丈夫だという気がしたからだ。
「まずは……驚くだろうけど、これを見てくれればある程度は納得してくれると思う」
そう言いながら、ルークは後ろで一本にまとめていた髪を解く。背中でさらりと広がる長い髪。そして下界に下りる前に、あの広い空の上でローレライに言われた言葉を思い出した。
――『深層心理において激しい混乱や強い想い《願い》があった場合は強制的に今の色になる』――
いつも切りたいと思っていた新緑の髪。それを綺麗だからとラズリが引き止めていた髪を、ルークは朱い、焔の色に変えた。そして同様にまるで燃えさかる焔のようだと言ってくれていた瞳は、逆に新緑のような碧へと戻る。
案の定、ラズリの表情が驚愕のそれへと変わり、一体何が起こったのかと混乱しているようだった。
「これが、本当の色なんだ」
「そういえば……」
彼女は驚きながらも、赤い髪に碧の瞳を所有する者の話は聞いたことがあると言った。
その色は、ある王国を象徴する色だと。そしてその色を有する者は、その王国の王族である証だと。
「その国の名前は確か――〝キムラスカ・ランバルディア王国〟」
そこまで分かれば、ルークの素性を察することが出来ただろう。彼女はこういったことに、とても聡いから。
「まさか、あなたが〝ルーク・フォン・ファブレ〟? この世界を救った英雄の?」
英雄、という言葉にルークは首を横に振る。
「違う、俺は英雄なんかじゃない。世界を救ったのは、……アッシュ。俺の被験者で、〝本物のルーク・フォン・ファブレ〟だ」
ラズリが再び驚いた表情を見せた。
緊張していた身体を解すように、溜息が自然にルークの口から漏れる。
「俺は……ただ、手助けをしただけ。〝ルーク〟って名前も、本当は俺の名前じゃない。アッシュの名前だ。 俺は被験者の場所と名前を奪っておいて、それを自分のものだと勘違いしてただけなんだ」
――あれからもう大分経つ。身体の構築は順調に進んでいるだろうか?あの紅い髪色で〝本物〟の彼は。
それからぽつりぽつりと、ルークは優しい仲間達と過ごした旅の話をしていった。
ラズリはそれを黙って聞いていた。彼が歩いた辛く悲しい旅の記憶。けれど、どこか温かい記憶の話を。
そうして粗方話し終わったとき、それまで黙って話を聞いていたラズリがゆっくりと立ち上がり、ルークが座っている隣に腰を掛けた。そしてふわりと焔色の頭にその手を乗せると、そのまま優しく撫で始める。
その優しさに、ルークの鼻の奥がつんと痛む。
仲間の元にはもう戻らないと決めていた。 決めていたからこそ、街で彼らを見かけた時に姿を隠し、静かに見守っていたのだ。
「自分でも挙動不審に見えるだろうな、とは思ってたんだ。思って、たんだけど――」
身体は女性となり、髪色も服装も違うというのに。一目見ただけでは〝ルーク〟だと分からないはずなのに。どうしても普通でいることが出来なかった。
それぞれの街で見かける仲間達の記憶。
以前はあの場所にルークも居た。あの温かい場所で笑っていたのだ。
――だが今は。
仲間達の知る〝ルーク〟はもういない。
〝ルーク〟は、アッシュの中に溶けてしまったのだから。
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