心配そうな表情で見送ってくれたリドに別れを告げ、ルークは徒歩で北西へと移動していた。カイツール軍港には近寄らず、少し離れたところで船を降りたあとは、当面の目標として再びケセドニアを目指すことにする。
逃げるにしろ、隠れるにしろ、やはりあそこが一番都合良いのだ。それに情勢についても色々な情報が入って来る。きっとそこへ着く頃には、レムの塔で起こっていることもある程度分かるだろう。
彼らがあの場を放置してまで追って来ることはないと、ルークには分かっていた。きっと自分がいなくても、事は進んでいくだろうと彼女は思う。
気になることがあるとすれば、ラズリに全てをまかせてしまったことと、もう一つ。
あのとき、アッシュがルークの腕を掴んだときの表情が彼女の頭の中から離れない。きっと後ろから追って来た仲間達も、さぞかし驚いたことだろうと。
――そして変わってしまった自分を見てきっと……
ルークはその先を考えたくなくて、頭を振る。
だから見られたくなかったのだ。変わった自分、変わりすぎてしまった自分。彼とまったく同じだったものが、今では少しずつ違っている。いっそのこと全てが違えば、彼も、仲間も、自分のことを忘れただろうに。
今の自分と会えば、きっと以前のようには接してくれないだろう。男として、〝ルーク〟として、扱ってはくれないだろう。
ルークにとって、それがたまらなく嫌だった。
――アクゼリュスが崩落したときの、あの冷たい視線を思い出しそうになるから。
一瞬でもこの姿を見られてしまったからには、もう遠くから彼らを見ることも出来ない。そしてこれからは一層、周囲の目を気にしなくてはいけなくなってしまった。
(大丈夫、もう会うことも、ないし。考えなきゃいけないのは、これからのことだろ、俺)
一人になってしまったとはいえ、レプリカ救済活動をやめるつもりはなかった。
かつての約束を守るために今は動くだけ。例え、それが原因で仲間と接触する機会が増えることになっても。
ルークは両手で両頬を挟むようにして叩く。軽快な音がしたあとに僅かな痛みが走る。そうして気合を入れた彼女は閉じていた目を開けて、渦巻く迷いを断ち切った。
◆ ◆ ◆
レプリカの街建設は、ルークが居ないことを除けば、全てが順調だった。
ダアトで行われた各国の長とレプリカ代表との会議は何事もなく終わり、無事許可も降りた。さらに各国から、「建設に向けての援助をする」との思わぬ申し出もあり、ラズリ達は喜んだ。
ただし、レプリカ達の安全を考えて、建設工事は完成まで極秘で行うことになった。
ラズリはそれを少し残念に思ったが、多くは望まない。各国が協力してくれるだけでもありがたいと思うし、完成した暁には世界中にその存在が明かされることを約束されているのだ。
「ラズリ、だったか。……完成まで頑張れよ」
帰り際に金髪で気さくなマルクト帝国の皇帝陛下も、これから頑張らなければと気合を入れた彼女を励ましていた。
そして現在レムの塔ではアンバー達が考えた設計図を元に、街を建設している最中だった。事情が事情だけに、工事現場周辺にはマルクト帝国の警備兵らが見回っている。
最初は被験者がこの地を踏むことを反対していたレプリカ達であったが、アンバー達と協力して説得をしたお陰で、今では渋々ながらそれを許してくれている。
工事現場では、その中でもこちらの言動と行動に賛同した者達が被験者と一緒になって作業を手伝っている。また、リドもその手腕を遺憾なく発揮しているようで、実際工事に携わっている被験者達が彼の描いた設計図の精巧度の高さに驚いているらしい。
リドはルークを送ったあと、すぐにアンバーと連絡を取ってこちらの事情を知った。
しかし彼は事情を知っても気にする素振を見せず、早々に孤島に戻って仲間達と対面すると、挨拶もそこそこに彼が永年憧れていたという空飛ぶ音機関に飛び付いた。その機体を充分に堪能しながら、音機関の操縦者であるノエルにあれこれとマニア的な質問をしていたのが思い出される。
それに共感したのはガイだった。ラズリはあとでアニスから聞かされたが、彼は相当な音機関マニアだった。そんな音機関マニアな二人はすっかり意気投合し、今では仲良く二人でつるんでいる。
他の仲間達と比べて長く滞在しているガイに「自国での仕事は良いのか」と聞いたことがあるが、皇帝陛下から直々に「存分に手伝って来い」との許しを得ているらしく、彼もまた「ブウサギ達の散歩より、余程充実感があるよ」と喜んでリドを手伝っている。
さすがに女性陣は力仕事に加わることは出来ないので、引き続きルークの動向を探るべく、各自情報収集にまわっているらしい。
その他、アニスとティアが時々この地を訪れて、レプリカの女性達へ裁縫や料理といった家事全般の指導――ナタリアはそういったことは苦手らしく、レプリカ達に混ざって一緒に習っているらしい――も行っている。
ジェイドはというと「私はもう年寄りですので、肉体労働は若い者におまかせしますよ♪」と言い残して自国へ戻り、情報収集や今後のことなどを取りまとめている。
それを聞いていたレピドも「私も体力仕事はパスするわぁ」と言って、以前と変わらず絵を描いているようだが、たまに最上階から建設現場の様子を見ては、リドの設計図に口を出しているようだった。
しかし実際のところ、レプリカの街建設に向けての手配等は全て男性陣が動いてくれている。それを手伝うことが出来ないラズリは少し悔しく思っていた。
他にここで何か手伝うことはないだろうかと彼女が思案していたところに、同じ事を考えていたラピスが声を掛けた。
「ね、ラズリ。私ちょっと思ってたんだけど――」
「こういうのはどうかしら」とラピスがラズリの耳元でこそこそと相談を持ち掛ける。
「――確かに、それは良い考えね」
その内容にラズリは頷いた。すると「でしょう?」と得意顔でラピスに言われてラズリも微笑む。
――それなら自分達にも出来そうだ。
二人は、早速それに向けて行動することにした。
ルークの被験者であるアッシュはといえば、彼もまた、自国で公務を行いつつ、定期的にレムの塔へと足を運んでいた。
あの旅が終ってからというもの、彼の両親との間にあった確執は徐々に薄れつつある。特に、今までアッシュと距離を置いていた父親が彼と少しずつ会話をするよう時間を持つようになり、公務にも関わって来ることもあった。
これらは全て、ルークのお陰とも言えるだろう。
しかしあれ以来、ルークに関する情報はぱったりと途絶えてしまった。――というのも、ジェイドがルークの捜索包囲網を緩めたのが原因の一つである。
――『今すぐ探してもすぐ見付かりはするでしょうが、今のあの子には時間が必要です。ゆっくりと考える時間が、ね。―― ということで、厳しくしていた包囲網も緩めることにします♪ その方があの子のためにもなるでしょう』――
〝ルークのため〟と言われてしまえばアッシュには二の句が告げない。そのことを熟知しているジェイドに、体よくあしらわれてしまったのだ。
確かに今のルークには、考える時間が必要だと思う。誰だって一人になりたいときはある。自分すらそんなときはあるので、それは否定しない。分かっている、それを何度も考えて理解してはいるのだが、何か腑に落ちないとアッシュは思う。
(……くそ)
アッシュは気晴らしにでもなればとレムの塔内をうろつくも、それは逆効果だったようだ。
それにしても、何故こんなにイラついているのかが彼自身分からなかった。あの存在のことは全て分かっている――とでもいうような口振りで話すあの軍人に対してなのか、早く捕まえたいのに捕まえられないもどかしさに対してなのか。それとも全てが気に入らないのか。
アッシュの眉間に深く刻まれた皺。幼き頃から培われて来たそれはなかなかとれそうにない。
彼が深い溜息をつきながらどこへ行くともなく足を運んでいたそのとき、彼の視界の隅に青がよぎった。
――ラズリだ。
これからレプリカ達に剣の扱い方でも教えに行くのだろうか。手に数冊の本と模擬刀を持っている。
ラズリは、レプリカ達に独学で学んだという――ルークに指導されたのか、太刀筋が似ているときがある――剣の扱い方から始まり、魔物の種類、その弱点、現在の世界の情勢などを幅広く教える立場にある。〝蒼焔の守り神〟の片割れということもあり、レムの塔にいるレプリカ達から絶大な支持を受けてもいるようだ。
アッシュはそちらへ向かい、彼女に声を掛ける。声を聞きつけたラズリは彼に向かって手を上げて返事をするが、その表情を見て苦笑した。
「……聞きたいことがあるんでしょう? ルークのこと? それとも、ルキアのこと?」
――彼女はとても聡い。
先天性のものなのか、それとも常に人の視線に晒されたお陰で鍛えられたものなのかは判断がつかないが、アッシュが聞きたいと思っていたことをすでに悟られてしまった。
聞く前に答えられたことに対して、彼は何ともばつが悪い思いをしたが、気にせず聞くことにする。
「――あの馬鹿が次に行きそうな場所に、心当たりはあるか?」
「いいえ。あの頃は適当に思い付いたところへ旅をするという生活だったから、どこへ行ったのかは分からないの。それでも……そうね、ケセドニアにはいつも立ち寄っていたわ。あそこは情報を集めるのに便利だったから」
そこにある武器店と染料店にはいつも寄っていたとラズリは話す。
そういえば以前、ケセドニアで二人の情報を調べていたときに贔屓にしている店があると言っていたなとアッシュは思い出す。そして今度単独でそこへ行ってみようかと彼が考え始めたとき、ラズリに向かって走って来る人影が見えた。
アッシュがそれが誰であるかを認識したあと、心の底で「またか」と呟いていると、その人影が勢いよく叫んだ。
「アッシュ! うちの子口説かないでよねっ!」
「口説いてねぇっ!!」
群青の髪をした人物――ラピスはラズリの傍まで走って来ると、そのままラズリに抱き付いた。
二人はあのあと、常に一緒に行動するようになり――というかラピスが一方的にラズリを追い掛けているように見える――、その過保護っぷりは一晩で塔内にいるレプリカ達に広まるほどだった。
ラピスはラズリと同じく薬草の扱い方や、それを使っての治療方法などをレプリカ達に指導している。その丁寧な姿勢と、屈託のない笑顔で誰とも平等に話すその姿は、密かにレプリカの間で人気者になっているらしい。ちなみに、中でもアンバーはラピスに対して特別な感情を抱いているようだが、当の本人はまったくといって良いほど気付いていない。
「レピドのところへ行っていたの?」
「うん! 無事進んでるみたい」
ラズリの問いにラピスは笑顔で答えている。
あの変人に何か頼み事でもしているのだろうかと気になりはしたが、アッシュはなるべくあの男には関わるまいとしていたので、黙したまま聞かずにいた。
「もう、そんなことより! 二人で何話してたの?」
むぅ、とラピスは頬を膨らませてラズリに聞いた。それに対して彼女が笑いながら答える。
「ルークのことよ」
「……あ、ごめんなさい」
ルークと聞いて途端にしゅんとするラピスを、ラズリが撫でることで治める。
目の前で交わされるそんな二人のやりとりを、アッシュは少しだけ羨ましく感じた――が、すぐにそんなことはないと、彼は胸中で頭を振って否定をする。
「街の建設が忙しくて、充分に探せていないものね……。でも、情報収集は続けているんでしょう? 何か手がかりとか……」
彼女の言葉に、ラズリが首を横に振る。
「……そう。私……ルークさんに会ったら、たくさんお礼を言わなくちゃ」
「お礼?」
「だってラズリをずっと守っててくれたのよ? ありがとうって言いたいじゃない」
「……そうね。私もお礼を言いそびれているの。 こうやってラピスと話が出来るのも、ルークのお陰だから」
はにかみながらそう言ったラズリに、感極まったラピスが「ラズリ大好きー!!」と叫びながらさらに抱き付いた。
(誰かこいつらを止めてくれ……)
下手をすれば辺りにピンク色のハートが乱舞しそうなその場を、アッシュは遠い目で見守っていた。