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第三章 Caught 10
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第三章 Caught 10




ゆるやかに燃え上がる。

見えざる攻防。




(健康診断などと、馬鹿げたことを――!)
 男はだん、と音立てて机に拳を叩きつける。洞窟のような部屋にその音が大きく響いた。
 男の配下の一人が血相を変えて部屋に飛び込んで来たかと思えば、報告された内容は彼にとって何ともふざけたものだった。
 折角順調に物事が進んでいたというのに、あと一息という所でそれが僅かに崩れてしまったのだ。
――健康診断。
 しかし正直、今それを実行されるとまずいと男は思う。こちらから送った者達の素性が知られてしまう恐れがある。かといって、馬鹿馬鹿しいそれを放り出してこちらに帰還させるわけにもいかない。
――向こうにも相当な切れ者がいる。
 それが死霊使いと名高い彼であることも男は知っていた。
 知識を蓄えた今の自分であれば彼を越えることが出来るかもしれない男は思っていたが、その考えが甘かったことを自覚する。
(迂闊だったな……。さすが――といったところだ。ここまでやってくれるとは……)
「どうしましょうか」と傍に控えていた配下が、重苦しい雰囲気に冷や汗をかきながら男の指示を待っている。
「仕方がない。当日は奴らに隠れておくように伝えろ。そしてそれが終わり次第、何事もなかったかのように紛れ込むんだ」
 加えて男が「良いな?」と念を押すと、すぐさま「分かりました!」と配下から敬礼が返り、彼は逃げるようにしてその場から去った――と思えば、それと入れ替わるようにして今度は別の配下が走り込んで来る。
 急に慌しくなったなと男は思いつつ、黙ったまま視線で先を促した。
「例の片割れが、ケテルブルク行きの船に乗ったそうです」
 その伝令を聞いた瞬間、男の口角が上がった。
――あれがこちらに来てしまえば、勝敗は分からなくなって来る。
 むしろ元々の〝メイン〟はレムの塔ではない。あれさえ手に入ればそれで良い。
 「分かった。それが到着してもしばらく泳がせておけ。……くれぐれも我々の存在が気付かれないようにな」
 それを聞いた配下が頷く。
 男は胸の底から湧き上がる感情を抑えながら笑みを浮べると、続けて一言呟いた。
「ああそれと、時期が来たら丁重にお迎えに上がると、〝石の灰〟に伝えろ」


◆ ◆ ◆


 対してレムの塔では、ジェイドの言う〝イイコト〟が始まろうとしていた。
――健康診断当日。
 その日の工事は一旦休止し、工事に携わる被験者やレプリカ、レムの塔にいる全ての者達が一斉に健康診断を行うこととなった。
 事前に聞いてはいたが、正直ここまで大掛かりになるとは思っていなかった。しかも何故かその〝イイコト〟に、仲間達まで巻き込まれている。
「あなた達も健康診断を受けて下さいね☆」とジェイドがそう言ってカルテを取り出して来た瞬間、アッシュの眉根にぐっと皺が集まり、近くにいたアニスが「アッシュの皺の本数が新記録を越えた」と呟くのが聞こえた。
 何でも彼曰く、「ついでですから♪」ということらしい。
 もちろんそれもあるのだろうが、こうやって自分達を巻き込むことで、レプリカ達に安心をさせるといった意味合いもあるのだろう。それはアッシュ自身も理解していた。
(分かってはいるんだが……)
 力んだ身体の力を抜くようにアッシュは溜息をつく。
 未だ状況が理解出来ないままカルテを持たされたあと、仲間達と共にレムの塔内にある各部屋を回り、身体の隅という隅までこの日のために呼ばれたという医師達によって検査を受けていく。まったくもって何時の間に手配したのだろうかと感心するほど、ジェイドの手際は良すぎた。
 健康診断を行っている医師はマルクト帝国の軍医と、ベルケンドにあるレプリカ研究所の研究員、そしてそこに常駐している者達だった。もちろんその中には、以前から世話になっているシュウ医師もいる。彼はアッシュ達に気付くと軽く会釈をしてきた。元気そうで何よりだ。
 全ての検査をようやく終えたアッシュが、どこか疲れた様子の仲間達とすでに溜まり場と化している会議室で休憩をしていると、続いてアンバー達もげっそりとした様子で部屋に入って来た。それぞれの首元や耳には、名前入りの石がちゃんと身に付けられている。
 今頃、ラズリとラピスは必死になってレプリカ達にそれを渡しているのだろう。
「健康診断というものは、あんなに疲れるものなのか?」
 心底不思議そうにやつれた様子のアンバーが周囲に聞いた。それに対してガイが複雑そうに答える。
「いや普通は、もっと簡単に終わるんだけどな……」
「手配したのが、あの大佐だからねぇー」
 溜息をつきながらアニスが言う。
 その近くでは、ティアとナタリアがシリカに自分達の名前を覚えてもらおうと奮闘していた。最初はその色に少々戸惑いを感じたものの、その無垢な瞳や仕草に母性本能をくすぐられたのか、今やシリカは女性陣のアイドルと化していた。
「て、あー?」
「(――っ、可愛いっ!)てあ、じゃなくて。ティ、アよ?」
「なたりー?」
「惜しいですわシリカ! ナタリ、ア、ですわよ」
 首を傾げながら一生懸命名前を呼ぼうと奮闘しているその姿は誰が見ても愛らしい。
 シリカの首元では、レピドお手製の名前石が通されたチョーカーが揺れている。彼が自ら選んだと言うその石は、シリカの髪色と同じような色をしていた。彼曰く〝クォンタムクアトロシリカ〟という、大変珍しい石らしい。〝シリカ〟という名前もそこからとったのだとか。
「よく似合っているわ」と頬を染めながら、ティアがシリカの髪を撫でていた。
 まだ感情がうまく表に出ていないせいで、少女が何を思っているのかまではまだはっきりとは分からない。しかし撫でられている彼女達の手に頭を摺り寄せているので、何となく嬉しいのだろうということだけは分かる。
 それを横目で見ながらアッシュは再び溜息をつく。
――早く終わらないだろうか。
 健康診断が終わると同時に、塔内にいるレプリカのほとんどが名前石を付けたことになる。ちなみに新規に入って来たレプリカ達には、名前石が出来るまで仮の物を用意しているようだ。
――ということは診断を受けていない、というよりも〝この場にいない〟レプリカには、それが付いていないということになる。
 ただ、今はそれが終るまで待つしかない。
 時間を持て余したアッシュは、何気なくシリカの首元で揺れている名前石に視線を向けた。
(名前石……か……)
――好きな色の石に名前を彫る。
 石の色は特に決まってるわけではなく、その人が持つ髪の色であったり、瞳の色であったり、ただ単純に気に入ったから、というだけでも良いらしい。
(あいつなら……、朱――いや碧か?)
 記憶を辿りながら、何気なくそう思ったところで我に返った。
(何を考えているんだ俺は――!)
 しかしその石を付けて笑っているルークの姿が、勝手に頭の中で再生されることに彼は慌てる。アッシュは何とかそれを霧散させようとぶるりと頭を振る――が、消えない。
「何を百面相しているのですか? アッシュ?」
 そこへ急に声が掛けられたかと思えば、目の前でにやにやと笑っている軍人の姿に気付き、驚いたアッシュは思わず席を立ってしまった。
 その拍子に椅子が後ろへ倒れてしまい、ガタンという音と共に、その場にいた全員が彼らに視線を向ける。
「おやおや、何を焦っているんでしょうねぇ♪」
「っ――!!」
 握る拳が震えているが、彼はそれを必死で堪える。ここで怒鳴ってしまえば、逆に何を怒鳴っているのだと聞かれることが分かっているからだ。
 笑っているジェイドの後ろから、疲れたような顔をしたラズリとラピスが部屋へと入って来た。その頃になるとジェイドは笑いを収め、アッシュに向けていた視線を逸らす。それに気付いたガイがジェイドに話しかけた。
「旦那、終わったのか?」
「えぇ何事もなく無事に、ね。結果は一週間ぐらいで出る予定ですよ」
 その言葉にはっとしたようにアッシュは頭を振って思考を切り替える。
 こんなことで怒っている場合ではない。診断の結果が出るまでの間に、内通者がここから逃げられないようにするための準備を進めなければ。
 しかし、いくら気持ちを切り替えようとしても、石を身に付けて笑っているルークの姿はアッシュの中から一向に消えてはくれなかった。


◆ ◆ ◆


 白面の世界に次から次へと雪が降り続ける、雪深き街――ケテルブルク。
 カルサを見送ったあと、ルークはこの街で苦戦を強いられていた。
 ケセドニアではあれほど広まっていた反レプリカ組織〝リア〟の噂が、海を隔てているせいかどうかは分からないが、ここではまったくといって良いほど知られていないのだ。過去のことを踏まえて心して酒場にも行って聞いてもみたが、「そんな話は聞いたことが無い」と皆陽気に飲んでいるだけだった。
 あちこち歩き回ったせいで痛む足を休めるため、ルークは広場にあるベンチに一人で腰を掛けていた。
 時間帯のせいなのか、いつものように広場で遊ぶ子供達はおらず、僅かな譜石灯の光だけがそこを照らしている。
 項垂れた彼女の視界の前を、白く丸い雪が掠って行った。
(〝リア〟って……実はそんなに有名じゃないのかなぁ……)
 ルークはがっくりと肩を落としながらそう思ったが、すぐにその考えは打ち消した。
 世界中の情報が集まると言われるほどのケセドニアで、その存在は知られていたのだ。そこでの情報は直ちに伝わるもの。ここで知られていないはずもない。だとしたら何故――というところで考えが行き詰まり、知らず彼女の口から溜息が漏れてしまう。
 果たして今自分がやっていることは、本当に彼らの役に立っているのだろうか。逆に邪魔になっているのでは、とルークは不安になる。

――『ルーク!!』――

 それと同時に眉間に皺を寄せた彼のことがルークの脳裏に浮かんだ。
 迷いは断ち切ったはずなのに、それでも迷ってしまう自分に彼女は苦笑する。
(……怒って、んだろうなぁ)
 あの別れ際、船から見たアッシュの顔は怒りの表情だった。その眉間に刻まれる皺も健在だったことに思わず笑みが漏れた。そして、必死で追って来てくれた表情はどこか焦っている風にも見えたと、ルークは記憶を振り返る。
 でも、あのとき追いかけて来たのは、きっとナタリアか誰かに頼まれたからだろう。あのとき、名前を呼んでくれたのも、きっと仕方なくだったのだろう。以前何度か呼ばれたときも、そんな感じだったから。
 でなければ、彼が自分を〝ルーク〟と呼ぶなどということはありえない。自分の記憶を拒むほど、自分は彼に嫌われているのだから。
 しかし、例え仕方なくだったとしてもその口で〝ルーク〟と呼んでくれたことは嬉しかった。
――〝ルーク〟という名前は、確かに自分がそこにいた証だから。〝ルーク〟という存在がそこにあった証だから。
 でも今は戻ることは出来ない。帰れない。例え皆が戻って来ることを望んでいても、自分がそれを許さない。
(嘘だ……)
 戻れない、と思い込んでいるだけだ。
 本当は、……――本当は。
(戻り、たい……)
――帰りたい。
――皆の元へ。彼の元へ。
 あそこまで探しに来てくれたということは、彼らもそう望んでいると思って良いのだろう。
(……でも)
――怖い。
 この姿を見られることが。
――怖い。
 あの冷たい目で見られることが。
――怖い。
 アクゼリュスのときのように拒絶されることが。
――何より彼に、アッシュに、拒否されることが、怖い。
〝ルーク〟はいないんだ。(アッシュの体を構築するときに、)
 もう、いないんだよ。(全て彼の中に溶け込んでしまったから)
 だから忘れて欲しい。でも忘れて欲しくない。
 相反する気持ちがルークの心を支配する。
 どうしようもないそれに、彼女はぎゅっと両腕を抱え込み、冷えてしまった身体を掻き抱く。
 その口元からはゆっくりと白い息が長く吐き出された。
(だけど……会いたい、……な)
 その心が叫ぶ。求めている、あの紅を。
 再び湧き上がる焦がれるようなその想いに、ルークは首を振ることで誤魔化した。
(全然駄目じゃん、俺……)
 ふわふわと、辺りを覆うかのように降って来る雪。
――この雪が、自分の中の〝ルーク〟を消してくれれば良いのに……。
 彼女は頭を抱え込むようにして思いに耽る。
 そして没頭していたせいでまったく気付かなかった。
 その周りを、何人もの男達が取り囲んでいたことに。



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赤毛2人に愛を注ぐ日々。