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第五章 Gloom 10
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第五章 Gloom 10




奥に潜むもの。

照らし出す光を探す。




「――以上で報告を終わります」
 ジェイドから紡ぎ出されていた、直ぐには理解出来ない単語の羅列が途切れた。人払いをしているのか、現在その部屋には二人の姿しか見えない。
――今日もこの部屋の窓から見える空は綺麗だ。
 頭の隅でそんなことを考えながら、側近の報告を相槌を打つこともせずに聞いていた褐色の皇帝から、
思わずといった溜息が出る。
「――今すぐには信じられそうもないな」
「私も半信半疑なんですよ、陛下」
「しかし、これは事実です」と、ジェイドは皮肉気に口角を上げて笑う。
 ピオニーは今起こっていることが現実だということは分かっていたが、報告された内容に頭が痛くなりそうだった。
「モルダの中にある〝研究者〟・〝復讐者〟〝主人格〟の三つの人格の内、〝研究者〟と〝復讐者〟の二つの人格がやったって言われてもなぁ……。ただでさえその、何だ? 解離性同一障害ってやつか? そんな症例があるってのも初めて聞くしだな」
「彼ら曰く、『自分達は解離性同一障害ではない』と言っていますがね」
 やっかいなことになった、とピオニーは頭を抱えた。
 このままでは彼を公の場で処分しようにも、それが無理だということは明らかだ。
 何故ならば、こんな常人には理解出来ないような理由では世界中の人々は納得しない。彼の処分を取り決め、早々に世界中に散らばる不安分子に抑制をかけてしまいたかったが、この分では応急処置しか出来そうになかった。
「現時点では、反レプリカ組織〝リア〟を壊滅させ、組織員の処分は捜査及び検討中だと言うしかありませんね」
「そうするしかないだろうな……。各国の長以外の者にはそう伝えておいてくれ。特にモルダに関してのことは言うなよ? これは最高機密だからな」
 ピオニーはその見事な金髪の髪を掻き毟りながら、これからのことを練る。
 普段の彼からいえばその行動は珍しいものであったが、これでようやく解決すると思っていた矢先のことだ。こういう行動を取ってしまうのも、仕方が無いという他無いだろう。
「それと、そいつの暗示を解くには、『暗示効果を上回る程のショックか、〝主人格〟を揺り起こすほどの何か』が必要だと言ったが――解決策は見付かっているのか?」
「いいえまったく」
 ジェイドは目を細めてにっこりと笑って言う。しかしピオニーは、この男の微笑みの向こう側に隠されているものをよく知っていた。
「――ですが、心当たりはあります」
「言ってみろ」
 案の定、ピオニーの予測は外れてはおらず、彼はジェイドに先を促した。
「モルダが、逆恨みとも言えるほどの憎しみをぶつけた相手――」
 しかしジェイドの口がそう呟いたとき、彼の眉が僅かに歪む。その表情は苦々しくもあり、同時に悲しそうでもあった。
「――〝ルーク〟か」
「えぇ。アッシュの報告によると、まだ目覚めてはいないらしいですが」
 ジェイドはルークが目覚め次第、モルダと話しをさせてみるという。これが双方にとって、かなりの荒療治となることはピオニーも重々承知している。
(そうすることで暗示が解け、モルダ本来の人格が戻るならばこれ以上のことはないが……)
 彼はそこまで考えて、再び頭を抱える。
「一つ聞くが、そこまでして暗示を解くほどの男か?」
「これは私個人の意見ですが。彼と話した結果、現在の彼は――ここでは慈愛のことを差しますが、〝人としての大事な何か〟が欠落していると判断しました。そういった主観の人物に対して処分を行ったとしても、彼らは何とも思わないでしょう。しかし暗示を解くことで本来の人格が戻り、自分が行った行為に対して罪の意識を持つようになれば、レプリカに対しての意識も変わるのではないかと思いまして」
 さらには、それが今後の抑制力にも成り得るのではないかとジェイドは続けた。
 確かに人格が分かれ、思いやりや慈しむといった感情を失っている彼らに処罰を与えたとしても、彼らはまるでそれを他人事のように受け止めるだろう。しかし、暗示を解き、クリス・サングレやカルサに対して愛情を持っていたとされる主人格を起こすことが出来たなら、彼がどういう人物なのかを図ることも出来るし、それにより処分をどうするかを判断することも出来る。
「ちなみに、幸いなことに当時モルダと同じ研究をしていた人物と接触することが出来まして。その人物によればモルダ・エスパシオという男は、『とても温厚な人物で、優しい一面を持ち合わせていた』とのことです」
 ジェイドは眼鏡のブリッジを押し上げながら、手元の資料を読み上げていく。
 モルダを知っている人物が見付かったのは奇跡に近かった。その人物は彼が研究所を去る前に、諸事情により研究所から退職していたのだ。
 偶然にも命拾いをしていたその人物に、ジェイドは少しだけ感謝の念を抱いた。
「現時点ではとても想像がつかんな」
「ですから、試してみる価値は充分にあると思いますよ」
 皇帝の懐刀と名高い軍人が言う。それを従える皇帝も、それをする価値はあると分かっている。
 だが、彼がいまいち踏み切れないのは、あの朱の存在を再び巻き込む形となってしまうからであった。
(俺達は、どれほどお前を犠牲にすれば気が済むんだろうな……)
 あのときも、あのときもと、挙げればキリがないそれに、ピオニーは密やかに息をつく。
 性別が変わってしまったと聞いたときはさすがに驚いたが、この世界に再び戻って来たことを純粋に嬉しく思った。そして以前のように、あの花も綻ぶような笑顔で居て欲しいと心から願っているというのに。
――それでも。
「――分かった。ルークが目覚め次第、試してみろ」
――こういう手段を取らざるを得ない自分を、自分達を、許して欲しい。

 その後、レプリカ保護条約締結のために自国へと戻っていた仲間達が再びグランコクマへと集結した。
 彼らは早々にジェイドの執務室で、ルークのこととモルダの処遇についての経緯の説明を受ける。
 モルダについては、やはりそれぞれがすぐには信じられないような表情をしていたが、しぶしぶながらも納得したようだ。いや、するしかなかったと言った方が良いかもしれない。
「ここでやるべきことは一先ず終わりました。さて、これからのことですが――」
 ジェイドは、いつもの笑顔を貼り付けながら話し始める。
「本来なら陸艦で〝のんびり〟行こうと考えていたのですが、ノエルが気を利かせて戻って来てくれましてね。そのまま港で待機してくれていますので、その好意に甘えるとしましょう。まずはアルビオールでレムの塔へ向い、そこでアンバー達と条約締結について話し合ったあと、ベルケンドへ向かいます」
 それを黙って聞いていた周囲は、彼の言う〝のんびり〟という言葉に引っかかりを感じたようだが、向かう先にいる二人に思い当たると納得したような面持ちで佇んでいる。
 紅い髪の彼は必死で隠しているつもりだろうが、彼らにはすでに分かっているのだ。普段は眉間に皺を寄せ、終始不機嫌そうなその表情が、彼のレプリカの話になると鮮やかなまでに変化するそれに。
 それぞれの頭の中には、自身がベルケンドへと到着したあと、そこで行われるであろう彼と軍人の掛け合いが安易に思い描かれ、各々が苦笑いを浮かべている。唯一リドだけが「またアルビオールに乗れるの!?」と、再び目を輝かせていた。

 キュビ半島にそびえ立つ白い塔。
 従来の色である白色が、太陽の光に照らされてさらに白く輝いている。
 塔内にある会議室では、いつものようにアンバー達が会議室へと集まっていた。先程ジェイド達と行動を共にしているリドから、「もうすぐレムの塔へ着く」との連絡があったせいだった。
 椅子に座っていた三人の内、ただ待っているのが落ち着かなかったのか、ラピスが紅茶を用意すると席を立ち、それを手伝うと言いながらアンバーが付いて行く。
 それを目で追っていたラズリは、二人に気付かれないようにこっそりと溜息をついた。
(……ルーク……)
 リドからルークを保護したことは聞いていた。周りは無事で良かったと言っているし、彼女もまた、胸を撫で下ろしていた。
――それなのに。
 ラズリは胸に手を当て、心配だとざわめくそれらを落ち着かせようとした。
(どうして、こんなに胸騒ぎがするの――?)
 湧き上がるそれを抑えるように、ラズリはぎゅっと拳を握り締める。
 そこへ、どことなく落ち込んだ表情のレピドが扉を開けて入って来た。
「……はぁ」
 いつも陽気なレピドが溜息をつくという物凄く珍しい現場を見てしまったラズリは、思わず彼を凝視してしまった。レピドにも悩むことがあるのだとラズリは今更ながらに感心してしまい、浮かない表情を浮かべる彼に事情を聞いてみることにする。
「何かあったの? レピド」
「――あの年頃って、分っかんないわねェ……」
 彼はそう言って、薄紫の髪を掻き毟る。よく見ると普段はきちんと整えられている髪が、今は無造作に散りばめられていた。
――あの年頃というのは、ひょっとしてあの小さな少女のことだろうか。
 ラズリは、そういえばいつも彼と共に行動しているはずのあの可愛らしい姿がないことに気付く。
「シリカに何かあったの?」
「聞いてくれるぅ? それがねェ――」
 相当落ち込んでいたのだろう。涙目になっていたレピドは、「最近シリカの様子がおかしい」と言った。
 何でもシリカは毎日空を見詰めては溜息をつき、彼の部屋に篭りがちになっているらしい。
「あの子、赤色が好きでしょぉ? だから元気づけようと思って、赤を主に使った絵を描いたんだどぉ……。それを見せた瞬間泣き出しちゃったのよねェ。怖がるような絵じゃないのにぃ」
 そして「私のことが嫌いになったのかしらぁ」と言いながら益々落ち込んでいく彼に、ラズリはそんなことはないと慰める。
「レピドのことが嫌いになった訳じゃないわ。きっと他に理由があって――」
 いつも陽気な彼がここまで落ち込むと、どことなく調子が狂う。
 そう思った彼女が何とか励まそうと口を開きかけたとき、二人の後ろにあった会議室のドアが静かに開いた。
 そして、こちらの様子を恐る恐る窺っているその小さな存在は。
――シリカ。
「……レピ……」
 今にも泣きそうなその顔から彼の名前が呼ばれたとき、物凄い勢いで顔を上げたレピドはシリカの元へと駆ける。
(まるで親子ね)
 彼の一連の動作を見ていたラズリは、口元に笑みを浮かべてそう思った。そして彼女も椅子から立ち上がると、シリカの元へと近付いて行く。
「どぉしたのーぉ? そんな泣きそうな顔しちゃってェ……」
 レピドが優しくシリカの頭を撫でている。
 いつもならくすぐったそうに身を捩って笑うのに、今はそれがない。落ち込んでいるというのは本当らしい。
「あのね。お願い、があるの……」
「なぁにぃ? 言ってごらん?」
 彼の言葉と笑顔にほっとしたのか、シリカは胸の前で両手を組み合わせた。
「花を、描いて欲しいの」
「良いわよぉ。どこに描いて欲しいのかしらぁ?」
「――展望台に」
 少女が呟いた言葉を聞いた瞬間、僅かに二人の目が見開いた。
――展望台。
 そこはレムの塔にいるレプリカ達が勝手にそう呼んでいる場所で、元々はレムの塔の最上階のことだった。
 かつてそこでは、障気を消すために一万人のレプリカが犠牲になった。だが今ではその消えていったレプリカ達のためにと、レピドが一万個の花を描いて墓標としている場所でもある。
――そこへ花を描いて欲しいということは。
 それに気付いた二人は思わず視線を合わせたが、シリカに何があったのかを聞く気はない。この小さな少女には、少女なりの考えがあってそうしたいのだろうから。
 視線を合わせたまま二人が頷き、無言のまま余計な詮索はしないでおこうと決めた。
「――分かったわ。お安い御用よぅ。早速描きに行きましょうか?」
 レピドが優しく笑って言うと、シリカはこくりと小さく頷いた。
 ラズリは会議室にある給湯室で紅茶を淹れているであろう二人に、展望台へ行って来る旨を伝え、彼女もレピドとシリカについて行くことにした。
 シリカに言われて彼が用意した絵の具の色は白。何故その色なのか気になりはしたが、あえて聞かずにおく。
 ラズリとシリカが見守る中、彼は展望台にある適当な場所にその腕で白い花を一輪描いていく。
 ラズリの隣に立つ少女は、彼の握る筆が鮮やかに花を描いていくのを熱心に見詰めている。少女があまりに真剣にそれを見ているので、ラズリは声をかけるタイミングを逃してしまった。
 走っていた筆が止まり、レピドから「出来たわよぉ」と声が掛けられると、シリカは描き上がったばかりの白い花の元へと小走りで近付いて、そのままゆっくりと跪いた。そして胸の前で両手を組み、目を閉じて祈る形をとる。
――その様子はとても、儚くて。
 必死で何かに祈っている少女を、二人は静かに見守ることしか出来なかった。
 何があったのかは聞かない。何を感じたのかも聞かない。聞かなくても、その行動で分かるから。
 シリカが一心不乱に祈るのをラズリの隣で見ていたレピドが、ラズリにしか聞こえないぐらいの声で呟いた。
「レプリカ――って存在は、ひょっとしたら人間よりも尊い存在なのかもねェ……」
「どういうこと?」
 レピドの薄紫色の髪がふわりと靡《なび》くと、少女を優しく見守っている穏やかな表情が見える。
「だって、こうやって〝誰かがいなくなった〟ことを感じ取れるんですもの」
 それは同じ音素で構成されているからこそ、起こり得ること。第七音素同士が呼び合い、惹かれ合う、レプリカ特有の現象。
――だからだろうか?
 こんなにもルークのことが心配なのは――と、ラズリは先程からざわめいている自分の胸の上に手を乗せた。
「……でもそれって、本当は人間達も持っているもの、なのよねェ」
 そう呟いたレピドが空を見上げ、つられて彼女も同じ方向を見る。
 その視線の先には、今では見慣れた機体がこちらへと向かって来る姿が映った。
(――どうか、何事もありませんように)
 ざわめく胸を沈めるように、ラズリは小さく祈った。



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自己紹介:
赤毛2人に愛を注ぐ日々。