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第六章 Stagnate 01
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第六章 Stagnate 01




朱は紅から隠れ続ける。

紅は朱を呼び続ける。




―― 〝ルーク〟という言葉に反応を示さない。

――それは自分が、〝ルーク〟と呼ぶことが出来ないということ。

その時の衝撃を何と表現すれば良いのだろう。
自分はただ目を見開いたまま呆然と、シュウの説明を聞いていた。

「反応を示さない……というか、認識出来ていないようです。
恐らく、ルークさんの中で〝ルーク〟という言葉だけが聞こえていないのでしょう。
私も何度か呼びかけてみましたが……、残念ながら無反応でした」

頭の中が麻痺していき、その視界にかろうじて二人が映る状態になる。
身体を動かすことが出来ず、シュウの言葉だけが頭の中を支配する。

「しかし幸いにも、それ以外の言葉は聞こえるようなので、日常生活においての会話は問題ないと思います。
何故こういう状態になってしまったかは、精神的なものによるものとしか……、そうだとしか……今は、言えません」

シュウは、喉の奥に何かを詰まらせたような掠れた声で説明を終えた。
その後「他の詳しい容態はカーティス大佐達がここへ到着してから説明する」と言葉を残し、
白衣を着た医師は自分を気にかけながら無言で部屋を出た。
ひょっとしたらそれは、彼なりの気遣いだったのかもしれない。

―― 部屋の中央に人影が二つ。

己の胸中など知らず、眠ったままのルーク。
自分はそれを見下ろしながら、呆然と立ち尽くすしかない。


――嘘だろう?


ようやく呼べると思っていたのに。


――嘘だと言ってくれ。


ようやくこの手に戻って来たというのに。


ベッドに広がるのは新緑の髪。
きっと閉ざされた瞳の色は焔だ。

それは、ルークが〝ルキア〟として活動していた時の色。
自分には何故かそれが、ルークが〝ルーク〟だと認めていない証に思えた。

思考だけが渦巻き、息苦しさを感じる。
叫びたいのに叫べない。
その衝動を、心の奥に無理やり押し込んで耐えた。

――ルークは傷付いているのだ。

あれだけのことをされたのだから、こうなってしまうのも仕方がないと言えばそれまでなのだろう。
これがルークなりの身を守る術なのだ。
外界からの恐怖や怯えを記憶と視界を封じることで身を守る、生きていく上での防衛本能が働いたのだ。

――大丈夫だ。

――不安に思うな。

崩れ落ちそうになる自分を叱咤する。
その口が自分を否定するならば、まだ対処のしようがあるというもの。
しかしこんな状態で自分を拒否されても、納得など出来る訳がない。

今のルークに必要なのは、深く傷付いている心の傷を癒すこと。

それが自分に出来る精一杯のこと。
そしてそれは、きっと自分にしか出来ないことだ。

右手がルークの頬に触れる。
すうすうと規則正しくされる呼吸が、生きていることを実感させる。


――ここに居てくれるだけで良い。


例え記憶を失おうが、目が見えなくなろうが、また自分の手から逃れようとされるよりは。
以前のように、自分の前から姿を消されてしまうよりは。

頭の中を過ぎるのは助けに行った時のルークの姿。
身も心もボロボロとなり、頬には行く筋もの涙の跡。

癒してやりたい。
流れ落ちる涙を何度も拭ってやりたい。

ルークが〝ルーク〟として在る時に、その瞳を合わせて、その意思をこの耳で聞くその時まで。


―― どこまでも追い続けてやる。


「……絶対に……取り戻してやる……」


あの朱を。

―― あの笑顔を。


それから一夜が明け、少々寝不足気味な自分の元にアルビオールが到着したと連絡が入る。
これから仲間達に突き付けられる現状を思えば少し憂鬱な気分ではあったが、残念ながらそれを回避する術はない。
そうして数分が経った頃、ベルケンドの入り口付近にその姿が見える。

「ラズリも……来たのか」

久しぶりに会う仲間の中に、蒼色の髪が見えた。
きっと彼女も、ルークが心配だったのだろう。

仲間達が自分の姿を見付けると、こちらに向かって手を振って来た。
それに対して頷くことで返し、くい、と手を研究室へと向ける。
促されるようにして研究所内へと入って来た仲間達を、黙したままシュウのいる部屋へと導いた。

集まった一同の前で、シュウの口からルークの診断結果が説明されていく。
その信じられないような結果に、説明が終わった後も誰もが口を開けずにいた。

「……でも、記憶の欠如と失明は一時的なもので、治療をすれば治る……んだよな?」

ガイが恐る恐るといった様子で、シュウに話しかける。
その表情に、いつもの爽やかな笑顔はない。

「ルークさんは今、非常に強い心的外傷を抱えている状態です。
時間をかけて少しずつ癒していけば、治る見込みはあります。
しかし私には彼女がどれ程の傷を抱えているのか検討もつかないので、かなりの時間を要すると……」

「記憶の欠如って……、私達のことも忘れているのかしら……」

ティアが涙を目に溜めた状態でシュウに聞いている。
自分もそれを聞こうと思っていた所だったので、黙って耳を向けた。

「皆さんのことは僅かにではありますが、覚えているようです。
失われている記憶は……そうですね簡単に言いますと、
ルークさんが〝ルーク〟として行動していた頃の記憶、と言った方が良いかもしれません」

「具体的には、旅の内容や経緯といった感じです」とシュウが付け加える。
それを聞いた周囲の表情に、すっと影が差す。

「……ルークが〝ルーク〟として……ということは、〝ルキア〟としての記憶はあるということですか?」

と、そこへ、仲間達の後ろに控えたまま、静かにこれまでの話を聞いていたラズリが口を挟んだ。
その問いに対してゆっくりとシュウが頷いた。

「……ええ。ラズリさんのことは覚えているようなので、ルークさんが女性体となってからの記憶はあるようですね」

そう言われた彼女は、何とも複雑そうな表情をとる。
そうなるのも当然のことだろう。
一年弱という時間だったが、世界を救おうと活動していた自分達のことはほとんど覚えておらず、
ルークがこの世界に戻った時から行動を共にしていた彼女のことだけを覚えているというのだから。

「私達はまだ、〝ルーク〟と会えないということですのね……」

「そんなぁ……」

そう言ってナタリアが寂しそうに呟いた。
その隣では、アニスも肩を落としている。
ようやく再会出来るというのに、〝ルーク〟としての記憶が失われている状態では、自分達は初対面に等しいのだ。

ここでふと、自分はシュウが言った言葉に引っかかりを感じ、眉を潜めながらそれを聞いた。

「待て……。〝ルキア〟としての記憶があるというのなら、奴らから暴力行為を受けたことも覚えているってことか?」

「…… それについてはお聞きしていませんが、恐らくは……」

シュウはそこで一旦言葉を区切り、呼吸を整えた後に言った。

「記憶に残っていると……思います」



説明が終った後、自分達はシュウがいる医務室から退室する。
それと同時に、これからどうするかという雰囲気が辺りを包んだ。

自分の気持ちが変わることは無かったが、とりあえず仲間達の判断にまかせようと、様子を見ることにした。
ガイが隣に立つ軍人の様子を窺っているが、何を考えているのかジェイドは先程から黙ったままだ。

どうすべきかは皆、分かっている。

ルークの顔を見たい。会いに行きたい。
しかし今、ルークに会いに行った所で、自分達と旅をしたことを覚えていない。

その少しの不安と晒される恐怖が、仲間達の足を食い止めているのは明白だった。
押し黙る空気。
これ以上沈黙が続くようならば、自分だけでも行動に移してしまおうかと思ったその時。

「……ルークに、会いに行きましょう?」

自分と同じように周囲の様子を窺っていたラズリが、静かに口を開いた。

「ごめんなさい。ルークの記憶にある私が言うのは、凄く申し訳ないと思うけれど……。
でも、例え記憶を失っていたとしても、ルークであることには変わりはないわ。そうでしょう? 
それに、医師は記憶の欠如は一時的なものだと言っていた。
……こんな簡単なことで薄れてしまう程、貴方達の絆は弱いものなのかしら」

彼女の強固な視線が仲間達を貫く。

「今一番不安に思っているのは誰? それを支えてあげられる人は? 
私達が不安に思っていたら、ルークだってきっと不安になるわ」

不安そうに佇んでいた仲間達に、彼女の言葉が染み渡っていく。


――そうだ。

―― こんなことで切れてしまう程、自分達の絆は弱くないはず。


それに気付いた一人一人の瞳に、光が戻る。

「そうですわね。こんなことでくじけていてはいけませんわ」

「うん。やっと帰って来たんだし! それにちゃんと治るって言ってたもんね!」

「駄目ね、私達がこんな風に思ってちゃ……」

「そうだな、俺達がしょげてちゃ駄目だよな……。ありがとうな、ラズリ」

口々に礼を言われ、ラズリの頬が僅かに赤めいた。
それを遠巻きに見ていた自分は、同じようにそれを黙って見詰めているジェイドへと近付き、
自分達にしか聞こえないような声で聞く。

「おい眼鏡。……モルダの処分はどうなっている?」

「……あの子の状態によりますね。それによって判断をしますので、今はまだ何とも言えません。
しかし、彼の状況はちゃんと後でお教えしますよ」

そのはぐらかすような答えに、自分の眉間に皺が寄った。

「そんな風にずっと寄せていたら、いずれくっついてしまいますよ♪」と言いながら、ジェイドがにやりと笑う。
しかし彼は、それに反論しようとする自分を無視してすたすたと仲間の下へと向かってその一言を放った。


「さ、我らが姫の下へまいりましょうか♪」



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赤毛2人に愛を注ぐ日々。