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第六章 Stagnate 03
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第六章 Stagnate 03




いつからだろう。

その奥に響く悲鳴を隠したのは。




――『モルダ達……どうなった?』――

ぽつりと呟かれたそれに、やれやれ、といった表情でジェイドが答えた。
恐らく彼は、ルークが何を考えているのか思い当たているのだろう。

「……〝リア〟の組織員達は全員、グランコクマ内の牢屋へ大人しく収容されていますよ。
現時点では、詳しい処分は決まっていませんが……。まぁその内、陛下から然るべき処罰が下されるでしょうね」

それを聞いたルークの喉がこくりと動く。
そろそろと顔をジェイドの声が発せられる方向を向き、さらに問おうと口を開く。
アッシュはその申し訳なさそうな表情から、彼女が何を聞こうとしているのかが簡単に予測出来た。

「なぁ……。殺されることは、ない……よな?」

そして案の定その予測に沿った答えを出され、良い加減青筋が浮かび始めていたアッシュの何かが、
ぶちんと音を立てて一つ切れた。

「お前はっ! ……っこの期に及んでまだ奴らを庇う気か!? お前をそんな状態にさせた連中だぞ!?」


――ありえない。


ありえないことをこいつは簡単に言ってのける、と彼は思う。

己は奴らの四肢が無事なだけでも物足りないというのに。
こいつをこんな目に合わせた奴らが生きているというだけで、腹立たしいというのに。

アッシュはそんな意味を込めた怒りの視線を送るが、残念ながらその威力は視力を失っているルークには通用しない。
それ所か彼女は、アッシュの声がする方向を振り返ると反論をし始めた。

「だって! だって……今回のこと、俺なりに一生懸命考えてみたんだけど……。
よく考えたら、モルダ達だって被害者じゃないか。そう思ったらやっぱり、俺はどっちが悪いってはっきり言えないんだ」

しかし、ルーク自身もまだ整理がついていないらしい。
彼女は一句一句を慎重に選びながら話を続けていく。

「もちろん、レプリカ達だって好きで作られた訳じゃない。
だけど被験者だって、レプリカ情報を抜かれたことが原因で大切な人を亡くしたり、
しかも死んだ恋人や親しかった人達にそっくりな姿で、まったく別人になって目の前に現れたら……。
誰だって悲しいって、怖いって思うだろうし、中には……憎んだりする人もいると思うんだ。
そう思ったら……何か……さ」

最初は勢い良く反論をしていたが、最後の方は弱々しい声になり、それに伴ってルークの表情も暗くなる。
恐らく、この場に居る中で囚われた彼らの……モルダの動機を一番詳しく知っているのはルークだ。
彼らと何を話して、何と言われたのかまでは仲間達には分からなかったが、
その口振りから察するに同情するものがあったのだろう。

それを聞いたアッシュは押し黙ってしまう。
というのも、彼自身にも過去に〝リア〟と似たような考えをしたことがあったのだ。
それを考えれば、彼はこれ以上強く出ることは出来ない。

だが、今は。
互いにこの世界へと還って来た今となっては、ルークを憎む所か――

(……憎む所か?)

彼の中にふいに沸いた想い。
しかし今はそれに感[かま]けている場合ではないと、思考を切り替える。

「……だからといって、お前や他のレプリカ達に対して暴力を振るっても良いってのか?」

「そんなっ……! そんなことはないけど! でもアッシュだって昔は俺に、俺……に……」

勢い余って以前のことを切り出したルークに周囲は驚く。
アッシュの中にも「もしかして……」という思いが過ぎるが、残念ながらそれは覆された。

「う…… 痛ぇ……。ダメだ……思い出せな……」

記憶の奥底にある〝ルーク〟だった時の記憶を引き出そうとすると、頭痛を伴うのだろうか。
ルークは頭を抱え、苦痛に顔を歪めて唸り出した。

それを見たラズリとティアが、心配そうに「大丈夫?」と声をかける。
不安気にシュウを呼びに行こうとするアニスとナタリアを、「大丈夫だ」とルークが制した。

その中でたった一人、一連の様子を冷静に見詰めている男がいた。
ジェイドは表情を一定に保ったまま、現在のルークの様子がどうなっているのかを考え始める。

(精神、及び肉体的苦痛による記憶障害。……これはあくまで推測だが、ルークは一時的にモルダと同じ、
もしくはそれに限りなく近い解離性同一障害となっているのかもしれない)

軍人としての顔が目立っている為につい忘れがちになってしまうが、こう見えてもジェイドは医師免許を持っていた。
ただし精神の分野は彼の得意とするものではなかったので、モルダがその症状に陥っていると聞いた時、
久方振りに医学書を開いてある程度の知識は身に付けていたのだ。

ただ一つ違うのは、モルダの場合、人格が分けられたきっかけはクリス・サングレによる暗示であったが、
ルークの場合は自己の防衛機能が働いたことだろう。
ルークが解離性同一障害だというのなら、この場合、酷い扱いを受けた〝ルーク〟の記憶の内から、
〝ルキア〟と〝ルークの一部の記憶〟を切り離すことで、
主人格……ここでは〝自分達が知っているルーク〟を精神の奥底へと閉じ込めたのだ。

組織員達からの暴力行為の記憶があり、それでも当の本人が辛そうにしていないのは、
内側に隠れている主人格が、〝辛い〟・〝悲しい〟といった部類の感情を持って行ってしまったのかもしれない。

そうして外界と遮断することで、彼女自身がこれ以上傷付かないように守っているのだと、ジェイドは判断した。

(事実、ルークは忘れている……)

自分達と共に旅をしていた頃の記憶を。
〝ルーク〟にとっての悲しい出来事の全てを。
そして〝ルーク〟であった証である、その名前と髪の色ですら。

そこまで考えた所で、ジェイドの口から周囲に気付かれない程度の溜息が吐かれた。
どう考えても、今の状態のルークをモルダに会わせた所で意味はない。
彼女の心の傷が癒え、完全に記憶を取り戻してからでなければ。

(……それにしても……)

――やりきれない。

人格と記憶を分けてまで、たった一人で傷を癒そうとするその姿が悲しいと思う。
あの旅で互いに分かり合えたと思っていたのに、今だ自分達はルークの領域に入ることを許されていないのだろうかと、
ジェイドは胸中で一人ごちた。

(やはり……、まだ……)

無意識ながらあの時のことを引きずっているのだろうかと、彼は過去を思い出す。

だとしたら、ジェイド達がルークを癒すことは出来ない。
何故ならば彼らは一度、アクゼリュスでルークを見捨てているのだから。
ルーク自身がその痛みと絶望を覚えている限り、ルークは彼らを完全に信じることは出来ないだろう。

(出来るとするなら……)

ジェイドの視線が、眉間に皺を寄せたままの紅い存在へと向けられる。


―― 恐らくルークの被験者である彼だけだ。


(時間がかかるのは必然……ですね)

こうなってしまっては仕方が無い。
現時点でルークが所持している記憶を時間をかけて聞き出す他ないと、ジェイドは諦めたように溜息をつく。
そして、頭痛が治まったのを見計らって彼女――ルキアに言い聞かせるように話した。

「無理に思い出そうとしなくて結構ですよ。あなたの気持ちは分からないでもないですが……。
アッシュの言った通り、許せないからといってレプリカ達に暴力を振るうのは間違っています」

「うん……、それは分かってるけど……」

睫毛を伏せ、肩を落として話すその様子は、細くなった身体を一層儚く見せていた。

「それに、まだ彼の処分は決まっていません」

「……え?」

と言った所で、彼はその場に流れた空気を両断するかのように、がらりと表情を変えてガイを見た。

「その一連の流れについては、ガーイー♪ 説明を」

「俺かよ! ってかいきなり振るなよ旦那!!」

案の定、いきなり話を振られたガイは戸惑うが、ジェイドが発しているいつもの笑顔にしょうがないなと溜息をついて、
拙いながらも彼なりにまとめながら説明を始めた。
ジェイドがガイに説明を求めたのは、この固まった空気を解そうとした彼なりの配慮かもしれないが、
それは定かではない。

何だかんだでこんな状況に慣れてしまったガイの口からモルダ達の処遇が話され、
彼がクリス・サングレの暗示によって解離性同一障害となっていることも話していく。
そしてルークが彼の三つの人格の内、二つの人格の策略によって拉致され、暴行されたということも。

それを聞いたルークは、やはり直ぐには理解出来ないようだった。
さすがにガイもその手の専門家ではないので、解離性同一障害についてはジェイドの口から説明がされる。

「要は自分の中に、別の自分(人格)がいくつも存在している、ということです」

「へぇ……」

聞いたことのない病名と症状に、「そんな病気もあるんだな」とルークは心底感心している。

(……あなたも、その一種なのですがね……)

ふ、とジェイドの脳裏にそんな言葉が過ぎるが、それを口に出すことはあえてせず、
眼鏡のブリッジを押し上げながら、その奥にある瞳を少し細めただけに留めた。

そのままちらりと視線を移すと、案の定アッシュの眉間の皺が増えている。
その刻まれた皺の深さに思わず、その皺は一体何本まで刻めるのだろうかと場にそぐわぬことを考えてしまった。

ジェイドは彼に気付かれないようにこそりと何度目か分からぬ溜息をつく。
そして、彼にはルークがモルダと似たような状況になっているかもしれないということは黙っておこうと決めた。

「モルダの処分は彼の暗示が解け、人格が一つになった時点で決める予定です」

「……その暗示って、解く方法はあるのか?」

視力を失っているとは思えない、以前と変わらぬ仕草で瞳を瞬かせてルークがジェイドに聞いた。
事情を知っている仲間達はジェイドに視線を向け、また、事情を知らないアッシュもジェイドを見る。

「残念ながら、解く方法は今の所見付かっていません」

周囲の視線を一身に浴びたジェイドがにこやかにそう告げたが、それを見ていたアッシュがふん、と鼻で笑った。

「は、どうだか。……てめぇのことだから何か掴んでんだろうが」

今までの彼の行動を見て来たアッシュにとっては、それだけではないと思うことは道理であった。
ジェイドは「さすがですねぇ」と暢気に返事を返しながら、話を続ける。

「解く〝方法〟は見付かっていませんが、解けるかもしれない〝要素〟はあります」

「要素……?」

彼は笑みを顔に貼り付けたまま、ルークの問い掛けに「ええ」と肯定しながら頷く。 
それはなんだと問いた気な二人の視線を浴びながら、ジェイドが答えた。

「しかしまだ確証がありませんので、ここでお答えすることは出来ません」

「そっか……」

彼の言葉に「しょうがないよな」とルークはしょげ返り、
対してアッシュは「てめえ……」と言いながら眉間の皺を一層深くしてジェイドを睨み付けた。

今は男と女となった所為で、完全同位体ではなくなってしまったが、
元々はまったく同じ音素から構成されている者同士。
しかしそうとは思えない程、この二人は真逆の反応を返して来る。


今までの成り行きを傍で見ていたラズリの顔に、思わず小さな笑みが浮かんだ。
もし、この二人が以前のような悲しい運命に巻き込まれなければ。
そして、もっと違う出会い方をしていたら――

そこまで考えて彼女は頭を振った。

過去を振り返っても仕方がない。
そんなことをしたら、目の前にいる二人を否定することになってしまう。

ラズリは考える。

今、しなければならないこと。

自分はどうするべきか。
自分はどうしたいのか。


(そんなの……決まっているわ)


その金色の瞳に強い意志が込められた。



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