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第六章 Stagnate 05
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第六章 Stagnate 05




願い、望むのは簡単なこと。

容易でないのは、それを叶えようと動くことなのだ。




『久しいな、アッシュ』

その声を聞いた瞬間、すでに不本意ながらも自分のトレードマークとなっている眉間に皺が刻まれたのが分かる。
幸い周囲はまだこちらの様子には気付いていないのか、ルークを取り囲むようにして会話が続けられていた。

……いや、一人だけ気付いている。
恐らく彼女にはあの音が聞こえたのだろう。
それを裏付けるように金色の瞳が自分に向けられていた。

しかしラズリはすぐに視線をはずし、周囲の会話の輪の中へと戻って行く。
彼女の口から出た内容がそちらへと注意が向けられるようなものであった為、
周囲の気を引いてくれているのだと悟る。

(……本当に聡い奴だな)

ローレライの存在を他所に、思わず感心してしまった。
(その聡さを誰かにも分けてやりたいと思ったことについては、ここでは控えておく)

そしてそう思ったのは自分だけではない。
今現在頭の中で焔を象っている第七音素集合体も同じようなことを考えたらしい。

『……あの同胞(はらから)は、なかなかよく出来ているな』

お前と違って、と続きそうなその物言いに、不機嫌さが増した。

この存在はいつも自分の神経を逆撫でして来る。
しかもそれを楽しんでやって来るものだから、余計に性質が悪い。

(何しに来やがった……!)

仮にもこいつはこの世界では崇め奉られている存在だ落ち着けと、強く心に言い聞かせ、
噴出しそうな怒りを抑えて何とか用件を聞き出すことに成功した。

しかしローレライは、その怒気を孕んだ声などどこ吹く風。
くるりとその場で弧を描き、笑いをかみ殺すように震えている。

本当にこの集合体様は、自分を怒らせるのが上手い。
からかいや嫌がらせの為だけに来たのなら、追い返すことは簡単だ。
しかしながら、皮肉なことに目の前で笑っている(?)存在が姿を見せる時は、
必ずといって良い程〝ルークに関しての重要事項〟がある時なのだ。

案の定、ひとしきり笑い終えたローレライはぴたりと動きを止め、見定めるようにその身体を揺らした。

『……同胞(あれ)は反応しても、ルークは反応しない。これが何を意味するか分かるか?』

(……っ!)

その言葉に、はっとしたように目を見張る。
それと同時に自分の中で沸き返っていた憤りも霧散した。

確かにローレライ特有の鈴の音がした時、
ローレライと同じ音素で構成されているレプリカ(この場ではラズリに該当する)は真っ先に反応した。
しかし同じレプリカ、しかもローレライと完全……とは今は言えないまでも、
同位体であるはずのルークはまったく反応していない。

(……第七音素に対してのフォンスロットが閉じているってことか?)

開けていた目を再び閉じ、自分なりに導き出した答えを返す。

『惜しいな。厳密には閉じていない。ルークの意思によって閉ざされているだけだ』

閉じられている瞳の中に、光が一つ。
ゆらゆらと焔を象るそれは、自分の脳内をゆっくりと駆け巡っている。

『こちらから何度も接触を試みてはいるのだが、強い壁のようなもので阻まれている』

(お前を跳ね返す程の力、か……)

『まぁ……こじ開けることも出来なくは無いが、そうするとルークが壊れてしまうからな。それは避けたい』

(……どうすれば良い?)

――ゆらり。
自分の反応を楽しむように蠢いていた焔が、それを聞いた途端動きを止めた。

『ほう……? お前の口からそういう言葉が出るとはな』

そうして返って来た言葉の中には、彼にとっては珍しく驚きの感情が込められている。

(どういう意味だ!)

しかし若干のからかいが込められたそれに、ようやく抑えていた怒りが僅かに漏れた。
それに対し、まったくお前という奴は……とでも言いたげに、動きを止めていた焔が再び揺らめき始める。

『……そうやってすぐ怒る所に関しては、まだまだのようだが』

(この……っ!!)

こいつが意識集合体というややこしいものでなければ、すぐにでもその横面を殴ってやるというものを。

ぶるぶると拳を震わせながらそう思うが、その一連の思考が手に取るように分かるのか、
ローレライはクックッと喉の奥で笑った。

『まぁ、良い。ルークの第七音素に対するフォンスロットについてだが……。
無意識下に負った傷が癒えるか、もしくはルークからの信号……そうだな、
何らかのきっかけのようなものがない限り、今の私に出来ることはない』

(……全てあいつ次第ってことか……)

結局自分には何も出来ないのか。
あっという間に沈んでいく心を抑え、「用件はそれだけか?」と聞いた。

『何、なかなか面白いことになっているようだったのでな。
ルークの状態を確かめる〝ついでに〟、お前の様子を見に来ただけだ』

どうやらローレライの中での優先順位は、自分よりもルークの方が上らしい。

自分が〝ついでに〟と片付けられたことに対して、眉間の皺が増える。
別にそれが悔しいという訳ではないが、その言い方に腹が立つのだ。
用が済んだのなら早く帰れと怒鳴ろうとした時、それを遮るようにローレライが口を挟んで来た。

『……あの同胞は、あれの傍に居ることを選択したようだな』


――本当にこいつは一体何を考えているのだろう。


再び出鼻をくじかれてしまい、煮えくり返った思考を止める。
このマイペースさにいちいち怒っていてもキリがないと気付いたからだ。

(あぁ……。素性の知れない奴らに世話をさせるよりは、ラズリの方が安全だろう。
今の状況から考えても、一番の適任者だろうしな)

ルークが女性体となってからずっと共に行動していた人物。
自分が眠っている間に、自分が知らない間にルークを支えてくれた人物。

そして――今のルークが安心して頼れるであろう人物。


――ちくり


そこまで考えた時、再度小さな痛みが胸を刺した。しかも今度は痛みだけではない。
ぎゅう、と胸を締め付けるような……――

『お前は?』

(……あ?)

胸の痛みに気を取られていた所為か、ローレライの問いかけに対応することが出来ず、気の抜けた返事をしてしまう。
その場に一瞬の沈黙が流れた後、再び(今度はゆっくりと言い聞かせるように)、ローレライが問い掛けて来た。


『〝お前〟は、ルークの傍に居てやらないのか?』


それを聞いた瞬間、自分の身体がぎしりと固まるのが分かる。

傍に居たいという想いは、確かにこの胸の内にある。
しかしそれは、あくまで同情のようなものだと思い込んでいた。
このローレライの見透かすような問い掛けにより、それが明確に形を象り始めていく。

今はまだ、それに名前を付けることは出来ないけれど。

『……一度、よく考えてみることだな。これで私は音譜帯に戻るが、何かあったら鍵を通して呼ぶが良い』

自分の微妙な反応に満足したのか、一点に定まっていた焔が再び動き始め、円を描くように廻る。

『まったく……人間というものは、やっかいなものだな』

第七音素の光を放つその焔は、意識の中で段々と上昇を始めると、
回線が切れる間際に置き土産とばかりに一言残していく。

『解ってしまえば、認めてしまえば。簡単なことだろうに……』

その言葉を最後に、ローレライとの回線がぷつりと切れる。
しかし回線が途絶えた後も、自分の身体は強張ったままだった。


――『ルークの傍に居てやらないのか』――


ローレライの言葉が突き刺さる。

傍に居たいという気持ちは、ある。
だが、自分がルークの傍に居てどうなるというのだろうか。
傍にいれば、彼女が負った傷が癒えるとでもいうのだろうか。

(馬鹿馬鹿しい……)

口元に苦い笑みが浮かぶ。

それにどちらかといえば、ルークにとっては自分は嫌われている部類に入るはず。
第一、これからようやく離れていた距離を縮めようかと考え始めたばかりなのに、
そんな立場にいる自分がルークの傍になど居られるはずもない。
ましてや、その傷を癒すなどと。

しかし、今のルークは〝ルーク〟としての記憶を失っている。
さらには、過去に自分と何があったのかも忘れ、互いがどう思っていたかも忘れているようだ。
現に自分の名を呼んだ時、多少の躊躇いはあったものの、自分に対しての嫌悪感などは見受けられなかった。
ということは、逆に言えば今までのしがらみを少しでも昇華させる絶好のチャンスなのかもしれない。

いがみ合っていた時期を。
ささくれ立っていた想いを。
少しでも修復することが出来たなら。

――そして

〝自分は嫌われている部類に入る〟ということが、もし――単なる自分の思い違いだとしたら?



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赤毛2人に愛を注ぐ日々。