自分の中の小さな願い。
ささやかではあるけれど、それはとても大切な想い。
――〝自分はひょっとしたら嫌われていないのかもしれない。〟
そのほんの小さな希望にもたれかかりそうになった時、それを断ち切るかのようにパンパンと手を叩く音がした。
「さぁさぁ皆さん。これ以上はルキアに負担をかけますので、今日はこの辺でお暇することにしましょう」
爽やかな笑顔を貼り付けたまま、ジェイドが周囲にこの部屋から出るように促している。
気付かぬ内に結構な時間が経っていたようだ。
ジェイドの意見に異を唱えるものはおらず、ガイが「そうだな」と言いながら重い腰を上げていた。
女性陣もルークとの別れを惜しんでいる。
そんな周囲の雰囲気が、ふわふわと漂っていた思考を一気に現実へと引き戻していく。
自分は一つ溜息をつくことでその急速な変化に身体を慣らし、僅かに頭を振った後ゆっくりと顔を上げた。
ローレライとの回線が切れたことに気付いたのだろう。
顔を上げた先で、ラズリと目が合う。
しかし何故かその視線に耐え切れずに、逃れるように視線をはずしてしまった。
それと同時に、先程のローレライの言葉が頭の中を掠っていく。
――『〝お前〟は、ルークの傍に居てやらないのか?』――
(俺は、どうしたいんだ……)
傍に居たい気持ちは確かに存在(あ)るが、今いち踏み切れないでいるのは、自分の中に戸惑いがあるからであった。
――ルークと、ルークとしての記憶を失っているルキア。
自分はどちらの為に、どういう気持ちでここへ残りたいと思っているのか、というもの。
歩み寄ろうという友情であるのか。
守りきれずに傷付けてしまったという贖罪であるのか。
現状の位置付けに対する同情であるのか。
(それともそれ以外の……?)
形を取り始めた想いにようやく気付いたばかりだというのに。
様々な感情が折り重なり、がんじがらめのこんな状態では身動きがとれない。
「……アッシュ?」
いつまで経ってもその場から動こうとしないことを不思議に思ったのか、ガイが「どうしたんだ」と声をかけて来た。
その声のおかげで、自然と強張っていた体の呪縛がとける。
「具合でも悪いのか?」と心配そうに言って来る彼に対して「何でもない」と返す。
部屋を出た後はどうするのかを聞くと、別部屋にてこれからの予定を話すらしい。
すでに女性陣はルークに「また来るからね」と告げて、次々と部屋から退室していく所だった。
――声をかけていくべきだろうか。
一瞬そう思いはしたものの、どう声をかけるべきか、何を言えば良いのかがまだ分からない。
結局自分はルークに視線を寄越しただけで、部屋を退室し始めた仲間に合わせて足を運ぶこととなる。
部屋を出る前に、いつの間にか扉付近に移動して来ていたラズリと目が合う。
彼女は苦笑しながら「ちょっと皆と話して来るわね」とルークに声をかけ、
部屋を出ようとしていた自分の後ろを付いて来た。
「あ……ラズッ! ごめん……、ちょっと……良いかな?」
そして本格的に歩き出そうと片足に力を入れた瞬間、後ろから遠慮がちに彼女を引き止める声がした。
その声質から、二人で話したいことがあるのだろうと察する。
――ズキン
再び自分の胸に、刺すような痛みが走る。
(……くそ)
頭では分かっているのに、心が追い付かない。
自分はラズリを羨ましく思っているのだろうか。
戸惑いも遠慮もなく、無条件に頼れる存在。
自分もそうなりたいのだろうか?
ルークに、もっと頼って欲しいと思っているのだろうか?
(……そんな……馬鹿な……)
「……ちょっと先に行っててくれる?」
困ったように眉を潜め、苦笑したラズリが前を歩いていた一同にそう伝えると、再び部屋の中へと引き返す。
ラズリの言葉通り、先に行っていようと仲間達が別室へと移動し始める中。
自分はルークがいる部屋へと消えていく彼女の後ろ姿を、ただじっと見送るしかなかった。
アッシュの一連の行動を密かに見守っていた自分は、こっそりと苦笑いを零す。
自分にも、恐らく周りにも解るぐらい解りやすい態度をとっているのに、何と彼は不器用なことか。
(もっと素直になれば良いのに……)
しかしそんな彼の行動が微笑ましくもあるので、傍から見守ると心に決めている。
自分が口を出す訳にはいかない。これは彼自身が気付かなければいけないことなのだ。
締められていた扉を再び開け、静かにルークの傍に立つ。
ルークは横になっていた身体を起こして、ベッドサイドに腰掛けていた。
以前二人で行動している時も、こういうことはたまにあった。
彼女の胸の中で何かが収まりきらなくなった時、こうして遠慮がちに自分を呼び、
その胸の内を(少しではあるが)打ち明けて来るのだ。
俯いて何かに耐えるようなその表情。
その姿はまるで、小さな子供が泣くことを堪えているようにしか見えない。
そう思うのは当然のことかもしれない。
自分も含め、レプリカが生まれてようやく十年に達しようとしている今。
幸いにも自分は言葉や感情、生きていく上で大切なことは全てラピスに教わることが出来た。
そしてそれは自分だけではない。
程度の差こそあれど、レムの塔で活動しているアンバーらも似たような処遇であるはず。
しかしルークは自分達と同じレプリカでありながら、
他のどのレプリカ達とも違う環境で成長を遂げて来たのだ。
何も知らされず、何も教えてもらえない子供のまま大人へと成長し、
かいつまんで聞いた話では、自分にはまったく想像もつかない短くも辛い旅。
それに加えての性別転換に、今回の事件。
たった十年しか生きていないのに、彼女を取り巻く環境はあまりにも過酷すぎた。
そうした環境から培われた性格が、一部の記憶と視力を一時的に封印したのだ。
恐らく、それがルークにとって最善の防護策だったのだろうと推測する。
自分にはまだ知らないことがたくさんあるが、感じることは出来る。
何故か自分はそういったことに関して秀でているらしい。
もちろんこれは、自分の被験者であるラピスも同じ。
(ちなみに彼女は自分よりもその能力が抜き出ている)
(……表向きには喜怒哀楽がちゃんとあるように見えるけど、内側は……)
記憶を封印するという手段をとった子供は、胸の奥に何を閉じ込めているのだろう。
一体何を、そんなに必死になって守ろうとしているのだろうか。
少なくとも今は、ルークに対して敵意を抱いているものはいないはず。
会うことを拒否していた仲間達とも紆余曲折はあったが、こうして再会を遂げることが出来たし、
「会いたくない」と言いながら、あんなにも焦がれていた彼とも会うことが出来た。
(なのに……)
と、そこまで考えて小さく溜息をつく。
――やめよう。
ここから先は自分が踏み込むべき場所ではない。
あそこに立ち入って良いのは、きっと〝彼〟だけだ。
ただ、一つだけ思うことがある。
互いが胸の内に隠している想いを口に出来たら。
そうすれば、自分とラピスのようになれるはずなのに。
もしかしたら、二人がそうなるように努めるのが自分の本当の役目なのかもしれない。
そこで思考を止め、ルークがこれから話す内容に耳を傾けるべく隣に腰をかけた。
そしてその手を、今は新緑色となってしまった頭に乗せ、ぽんぽんと一定のリズムで優しく撫でる。
ルークがそれを嫌がらないのは、自分に対して絶対の信頼を持っている証でもあった。
それを純粋に、嬉しいと思う。
「……もう誰も居ないから、好きなだけ話すと良いわ」
囁くように言ってやると、こくんと頷くルーク。
途端、今まで保っていた仮面が剥がれる。
僅かな笑みを称えていた口元は歪み、真一文字に結ばれた。
眉間には苦しそうな皺が刻まれ、視力を失っている瞳にはそれを潤そうと水が膜を張っている。
しかしそこから涙は零れない。
いつも泣きそうな顔をして話すのに、決して涙は流そうとしない。
最後に泣いたのを見たのは、月が部屋をよく照らしていたあの夜のみ。
〝ルーク〟の記憶を失っても、こうした仕草は覚えているようだ。
「……ごめんな……迷惑、かけて……」
耐えているのか、それとも別の理由か。
以前にもその原因を考えたことはあった。
「良いのよ……。気にしないで」
だがそれを考えた所で、彼女が話したくなければそれに触れるべきではない。
何度も聞きたい衝動に駆られながら、幾度もそれをぐっと堪えた。
「俺……、上手く笑えてた……かなぁ」
ルークがぽつりと呟く。
「……充分綺麗に笑えてたわよ。皆、必死であなたを励ましていたじゃない」
自分を助けてくれた〝ルーク〟を、〝ルキア〟を、これ以上悲しませたくは無い。
「そっか……。良かった……」
ルークの泣きそうな表情が、ほっとしたような笑みへと変わった。
それにつられて自分の頬も緩む。
ルークには笑っていて欲しいと思う。
例えそれが、〝心からの笑みではない〟としても。
PR