※しょっぱなからグロテスクな(というか痛い)表現があります。苦手な方はお気を付け下さい。
きらきら、きらきら。
あの優しい存在を、迎えてくれる光はあるのだろうか。
――……ピチョン
水音がやけに響いて聞こえる。あれからどれぐらい経ったのだろう。
ルークはすでに時間を計ることすら面倒になってきていた。
モルダが部屋から出て行ったあと、彼女は残された数人の男達に暴行されていた。
前をきっちりと留めていた服は裂かれ、その身体の至るところに傷を付けられ、殴られ。拘束具をはめられている手首と足首は、彼女が暴れたせいで擦り切れてじくじくと痛みを伴っている。叩かれた頬は腫れあがっているのか、熱を持っているようだった。身動きをすると酷く足が痛み、ひょっとしたら骨にヒビが入っているかもしれないなとルークは朧気に思う。
それに加えて視界も悪い。彼女の額の傷から流れて来た血液が、目に少し入ったのかもしれない。ルークが空気を吸い込むたびに、その口内からも痛みが走る。中は相当切れているようだ。
そして一方的な暴力に抵抗する気力が失せて来た頃に、彼女は人が行う行為とは思えないような暴行を受けた。
ルークは虚ろな瞳で自分の身体を見下ろす。
強固にそこを守っていた服は今や見る影もなく、守られていた胸の部分がやたらと白く見えた。そこにも赤黒い痣がいくつもあり、誰が見ても痛々しいものだった。足を隠すためのスラックスもズタズタに引き裂かれ、守られていた太腿を伝っているのは、いくつもの赤黒い筋。
見も知らぬ男達の手が身体のあちこちを這いずり回る感覚を思い出し、ルークは身を固くする。
男達はもう居ないというのに、彼女の身体は今だ恐怖で震えていた。元が男だっただけに、女として扱われたことの屈辱は計り知れない。
ただ、暴力を受けているときのことをよく覚えていないことがルークにとってせめてもの救いだった。頭部を殴られたせいで朦朧とする意識の中、彼女はとにかく早く終われと、ひたすらに願った。
――情けなかった。何も出来ない自分が。
迷惑を掛けたくないから仲間の元から離れたというのに、こうしてまた彼らの知らないところで迷惑を掛けている。どんなに暴れようと、抵抗しようと、己の力だけではどうしようもない現実が彼女に突き刺さる。
自分は何が出来るのだろう。自分には何が出来たのだろう。
ルークの思考はどんどん沈んでいく。
このまま朽ち果ててしまえば楽になれるなと、彼女はうっすらと思う。しかし心のどこかで、この扱いは当然のことなんだろうなとも思った。
――モルダが自分に対して向けた、あの瞳。
自分がもし人間だったとして、目の前に髪の色や性別が変わった己とそっくりなレプリカが現れたら。自分だってあんな風に嫌悪するだろう。
そして恐らくそれは、アッシュも同じだったんだろうな、とルークは思う。だからあのとき、あんなに嫌悪して、憎まれて。
(……当然のこと、だったんだな)
ルークが苦笑を零すと、その拍子に切れた口内がちくりと痛んだ。
――でも、だったらどうして。
あのとき、レムの塔で別れたとき。自分のことを〝ルーク〟 と呼んだ?
少しは嫌われていないと期待しても良いのだろうか?
(――……いや)
きっと女になった自分など気持ちが悪いと思っているはずだ。現に手を掴まれたあのときの表情が、全てを物語っているではないか。
(下界になんて、降りるんじゃなかったかな……)
――あのままローレライと一緒に、音譜帯で過ごしていたら……
そこまで考えたところで、ルークは小さく頭を振る。
(……違う)
降りて来たことに後悔は無い。約束したことを守るために、ここへ戻って来たのだ。あの可哀想なレプリカ達が、安心して生きていける場所を作るために。
それに嬉しい出会いもあったと、ルークはここまでに出会った人物達を思い出す。
ラズリやアンバー、リドやレピド――カルサにも。そしてそんな彼女《レプリカ》達を救って来た被験者達がいたのも確かだ。レムの塔にいるレプリカ達はこれまで必死に生きて来た。こんな世界に勝手に産み落とされたことを恨むでもなく、生きたい一心で今を過ごしている。それはあそこに居ないレプリカ達も同じことだろう。
それを何とかしてあげたかったから、ルークはレプリカの街の建設を手助けしたのだ。手伝うといっても、ジェイド達との仲介役ぐらいしか出来なかったがと彼女は苦笑する。
――自分に出来る数少ないことだったけど、それでも。
(でも、やっぱり……被験者達に認めてもらえないのは……辛い、な……)
このまま、消えるのは嫌だ。嫌われていても良いから、消える前に一目で良いから、彼に会いたい。
考えれば考えるほど、ルークの思考はどんどん暗くなっていく。
そう考えてしまうのも仕方のないことだった。
逃げようにもこの有様で、例え今鎖をはずされて解放されたとしても、彼女一人では満足に動けないだろう。それが出来ないように足を傷つけられているのだから。
ふいに、入り口の方から僅かな物音がした。途端にルークの身が強張り、またあの男達だろうかと血の気が下がる。
ルークは恐る恐る音がした方向に顔を向けると、暗闇に浮かぶ白色の少女の姿が彼女の視界に映った。
――カルサだ。
前髪で隠されていた少女の右目には何故か包帯が巻かれている。何かあったのだろうかとルークは訝しむ。
カルサはそのまま静かにルークの元へと近付いて来た。右目の包帯のせいだろうか、その足取りは危うい。
「カルサ……。右目……どうか、したのか?」
ルークは口内の痛みを堪えて何とか言葉を発した。口を動かすたびに血の味がして気持ちが悪いのか、その表情は歪んでいる。
「右目は……見えなく、なった」
カルサはルークの状態に目を走らせたあと、僅かに表情を曇らせながら彼女に告げる。ルークはその言葉に目を開いた。
少女は静かにその手で包帯をはずしていく。前髪で隠されていた赤色の瞳が、今は濁ったように白くなっていた。
ルークは目の前で起こっていることに驚き、呆然としてしまう。
「右目が見えなくなったのは……、〝音素乖離〟が起き始めているから、らしい。邪視と呼ばれる目の効力も消えた。……これでお前に掛かっていた暗示も解けたはず」
続けてカルサは「私の能力は、被験者よりも劣化しているから」と淡々と言いながら、包帯を結び直している。
「音素乖離だって――!?」
少女の発言の中に聞くはずのない言葉を耳にしたルークは、思わず声を上げた。
――何故。
音素乖離など余程のことが無い限り起こらないはずだ。そう、かつてレムの塔で障気を消したときのように、体内にある大量の第七音素を放出しない限りは。
いや、それ以前に音素乖離は完全同位体の間でしか起こらないはずだと、ルークは混乱する中で何とか考えをまとめようとした。
「……恐らく、先日レプリカ情報を抜かれたせいだろう」
「な――!?」
しかしカルサに続けて言われた信じられないような事実に、ルークは言葉を失った。
レプリカからレプリカ情報を抜くなど、そんな話は聞いたことがない。それに、情報を抜くためには対象に相当な負担がかかるという。ただでさえ、被験者と比べて劣化しているレプリカから情報を抜けばどうなるか……、その先はルークでも安易に予想が付いた。
「誰にやられたんだ!」
カルサはルークの質問に答えなかった。しかし逆にその沈黙がやったのは誰であるのかを彼女に教えてくれた。
少女は無言でルークの足元の拘束具へと手を伸ばす。その手には拘束具の鍵が握られていた。
「……主が居ない今なら、逃げられる」
「逃がして、くれるのか?」
拘束具に手を置いたまま、少女が僅かに頷いたのが見える。そして少し身じろいだあと、戸惑うように呟いた。
「ルキア……。私は――」
「――おやおや。こんなところにいたんですか、カルサ」
少女はぐっと息を呑んだ。鍵穴を探していた手がその男の声によって止まる。少女は動くことを諦め、声がした方を向いて立ち上がった。
男はゆっくりとカルサの元へ近付いて来た。ルークは血で滲む視界の中で、その男がモルダであることを確認する。
モルダは一旦ルークの前で足を止めると、紳士の礼をとった。それは現在の彼女の状態などまったく気にしていないような素振りだった。
そして彼は少女の前に立ち、視線を合わせるように屈んだ。
「お前の大事な右目が見えなくなったと聞いて、心配して探していたんですよ?」
カルサに向けられたそれは言葉使いこそ優しいかったが、彼の目は笑っていなかった。
どこかぞっとさせる雰囲気がひしひしと伝わる。ルークは少女に「逃げろ」と叫びたかったが、あまりの気迫に負けて言葉が出ない。
「見せてごらん? あぁ折角綺麗な赤だったのに……」
モルダはカルサの右目に巻かれている包帯を取り、心底残念そうに言う。彼はルークの正面に向かう形でカルサの頬を撫でているため、彼女にはその表情が見えなかった。ルークはそれに若干の不安を感じるものの、かといって今の自分にはどうしようもないと歯を食いしばる。
「研究員に聞きましたが、音素乖離を起こしているとか?」
彼の柔らかな物言いに、大人しく少女が頷いている。
――奥から湧き上がってくる、この恐怖は何だろう。
「そうですか――ところで、ここで一体何を? 見たところその手にあるのは、拘束具の鍵のようですが」
少女の手元にあるそれを見たモルダは、目を潜めて静かに言った。諭されたカルサが一瞬、身を強張らせるのが見える。
「主……」
「コレを……逃がそうとしていたんですね? さすがは、同じ音素で構成されているモノ同士――といったところですか」
そのときの彼の表情は、今までにないとても穏やかなものだった。そしてそれを湛えたまま、優しくモルダが微笑む。
「カルサは優しい子ですね」
――トスン
そんな静かな世界に似付かわしくない、布を裁つような、鈍い音。
正面に立つ少女の背中から突き出て来たそれは、銀色に光る――ナイフだった。
「あ……」
ナイフは見事にカルサの急所である心臓を貫いていた。その衝撃で溜息のように零れた少女の声。貫かれた部分から流れ出るのは、赤い、色。
ルークは目の前で起こっていることに対して、すぐに思考が追いつかなかった。
――何だ。あれは、何だ。背中から出ている赤い色は。あれは、あれは……――!!
かふ、とそれらは少女の口から吹き出ていく。流れ出た赤い液体は、落ちていく先から淡い光となっていった。
「我が……主……」
カルサがモルダの顔へと手を伸ばす。
しかし、それが届くことはなく、少女の手は途中で力が抜けたように下へと落ちる。それを確認したモルダが、少女の身体から静かにナイフを抜き取った。
抜き取られた衝撃で、ゆっくりとカルサの身体が傾いていく。足の力が抜けるように、崩れ落ちるように。
ナイフが刺さっていた場所から、光が広がっていく。
それはまるで蛍火のように、儚く、淡く。光の量を増やしながら、上を目指してゆっくりと上昇する。
そうして身体が床へと落ちる前に、少女の全ては光となって――消えた。
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