〝リア〟からの文書が届いたという知らせに、その場の空気が一気に静まり返る。
「ご苦労」と言って伝令兵を下がらせたジェイドは渡された文書を開いた。
「旦那、奴らは何て?」
ガイが真剣な表情で聞いて来るのを制し、彼は書かれている内容をゆっくりと読み上げる。
「『レプリカの街の建設に携わっている各国に告ぐ。〝世界を救ったレプリカルーク〟を殺されたくなければ、現在建設中のレプリカの街を即刻中止し、破壊せよ』――と書いてありますね」
文書の内容はとてもシンプルなものだった。しかし読み上げられたそれに、女性陣は顔を青ざめさせている。
「ふむ……」
(思っていたよりも、単純な内容の文書が来ましたねえ)
しかし単純なものほど効果はある、とジェイドは考える。
内容が分かりやすければ分かりやすいほど、端的に書けば書くほど、相手の不安を煽ることが出来る。現にここにいる彼女達は顔色が悪くなっているように。
(さて、向こうは何を考えているのやら……)
恐らくはこれを見たことで、こちらがどう対応するのか静観しているといったところだろう。そしてこの文書が届けられたということは、こちらが今から動くものだと思っているということ。
それは逆に、ジェイドの思惑通りに事が運んでいる証だった。
「ちょろ甘ですね☆」
彼は確信を得たような笑みを浮べ、周囲が一斉に視線を送る。
「さぁ、向こうはこちらの狙い通りに動いてくれました。あとは実行あるのみ、ですよ」
「でも……、ルークは大丈夫なんでしょうか」
ティアが心配そうに、胸の前で両手を握り込んだ。いつも毅然な表情が今は少し青くなっている。
「このような文書を送って来るということは、向こうはまだこちらの動きに気付いていません。よって今この場を動いたとしても、あちらには〝これからどうするかを考えるために動いた〟と映るでしょう。こちらの動きを静観している限り、彼らはルークを殺しはしない。向こうにとってルークは格好の餌ですからね。
作戦が我々だけ――という少人数であるのはそのためです。我々が動くことについては、彼らにとって〝当然のこと〟だと取られているでしょうから」
ジェイドの言葉にティアは少し安心したように息をついた。
周囲を見るとその一部が、この軍人は一体先の手をいくつ考えているのだろうと疑問に思っているような、かといって今はそれを問うべきではないというような、複雑な表情を浮かべている。
ジェイドはそれをおかしく思いながら「それよりも」と、リドの方を向いた。
「先程あなたが言った、『この機関が持つ作用だけでは範囲が足りない』という言葉の説明をお願い出来ますか?」
「え? ああ、えっと」
リドは急に話しを戻されたことで一瞬呆けたが、気を取り直してすぐに説明を始める。
「その音機関をどこに置くかにもよるけど……、あーうん訂正、どこに置いても範囲は足りないや。内部図を見る限りじゃ、ここと――そうだなここも。洞窟の行き止まりがあるよね? これがあるせいで音素の広がりが上手くいかないような気がするんだ。聞く限りじゃ向こうも馬鹿な連中じゃない、きっと譜術対策もやってる。多分アジトがこんな構造なのも、それを見越してのことかもしれない」
リドは淡々と思ったことを口にしていく。
「でも向こうも専門家じゃないと思うから、譜術がまったく効かないってわけじゃないと思う。そんな中でその、〝譜歌〟だっけ?――を、最大限に生かすためにはそうだなぁ。相手にダイレクトに聞かせる必要があるかな。ん? ちょっと待って、ひょっとしたら僕が作ったこれが使えるかも」
彼のポケットから取り出されたのは、つい先ガイに見せていた小さな通信機のような音機関だった。その手に乗せられていたのは全部で六個。
リドはその一つを手にとり、いきいきとした口調で早口な説明を続ける。
「これはアジト内で連絡がとれるようにって、僕が作った通信機。何と譜術の効果をも通すっていう優れものさ!――まぁ、これは半分趣味で作ったんだけどね。
今からこの通信機の親機としてジェイドの拡声音機関を設定して、この六個に子機としての機能を付ける。そうすればこの通信機を持ってる当人の周辺に譜歌が響き渡るってわけ。これなら範囲の問題はクリアー。味方識別もおまけで付けとくから当人には譜歌の睡眠効果とやらは影響しない。ただし、ルークには付けられないからね、眠っちゃうかもしれないけど」
「消えるよりは良いよね」と続けてリドが笑った。
それを聞いたジェイドは感心する。
以前から彼は、この少年が持つ音機関に関する知識はずば抜けていると思っていたが、まさかこれほどまでに深く理解しているとは思っていなかったのだ。さらには、それを上回る技術までが備わっている。
「……驚きましたね。確かに、洞窟内には譜術対策が行われているようです。現時点では、首領の部屋前にある譜術封印《アンチスペル》の類しか報告はありませんが、それは前もって壊させておくつもりです。他に踏み込めていない要所にも、それらがあると予測されます。
それにしてもこんな短時間でこれを理解し、かつ改善策まで見出すとは……。その頭脳をここで埋めておくには惜しい。全てが終わったらマルクトへ来ませんか?」
――本当に惜しい。
この少年が持つ技術と、自国で密やかに譜業とレプリカ研究に費やしているあの洟垂れの技術を合わせたらどうなるか。それはとても面白いことになるとジェイドは思ったが、同時にこの少年はそれを望まないだろうということも予測はついていた。
案の定、ジェイドの申し出を少年は嫌そうに「お断りだ」とぴしゃりと断る。
「やーだね。お国に縛られるなんてまっぴら! 僕はここで自分の好きなように譜業を研究してる方が良い。何だかんだ言って、ここ気に入っちゃったしね」
それが分かっていたジェイドも、おどけて笑った。
「おやおやー振られてしまいました♪ 非情に残念ではありますが、仕方がないですね。ですが、興味があればいつでもいらして下さい。我が国は快くあなたを歓迎しますよ」
――主に歓迎するのは、あの面白物好きな皇帝陛下になりそうだが。
「それでは、その作業は大体どれぐらいで終わりそうですか?」
「うーん……ガイに手伝ってもらったとして、大体ニ~三時間ってとこかな? 最初から作らなくて良いし、楽なもんだと思うよ」
「分かりました。ではその通信機が完成次第、ここを発つとしましょう」
ジェイドはリドに向けていた視線を、一連のやりとりを見ているしかなかった周囲へと向ける。
「行き先はグランコクマ。そこから一旦体勢を整え、ケテルブルク方面へと向かいます。敵になるべく準備をさせる時間を与えない方が良いでしょうし」
静かに、力強く仲間達が頷いた。
◆ ◆ ◆
――目を見開いたまま、頭を振る。
ルークは目の前で起きたことが今だに信じられずにいた。
「ぁ……あ、ああ……」
――無意識に身体が震える。喉が焼けたように熱い。
震える身体の振動で繋がれている鎖がカチカチと音を立てる。ルークの頭の中で、消えていった少女の残像が繰り返して流れる。
「うあああああああああああああああ!!」
胸の底から湧き上がって来るそれを吐き出すように、ルークはその口内が痛むのもかまわずに絶叫した。
その目から涙が溢れていく。急な事態に頭がついていかないのか、混乱する様子を隠せない。
(何が起こった。どうしたんだ)
あの少女が居ない。カルサが居ない。どうして居ない?
この、男だ。――この男が! 彼女を、カルサを!!
「モルダぁあああああ!!」
(どうして、どうしてどうしてどうして!!)
あの子はモルダに忠誠を誓っていたけれど、全てはモルダのものだと言っていたけれど、それでも己を助けてくれようとしていたのだとルークは叫ぶ。
――例え同じレプリカ達を消すことに加担していたとしても、俺を助けてくれようとしていたんだ!!
「どうして……っ! 殺した――っ!!」
涙が止まらない。次から次へとルークの瞳から溢れ出るそれに声が詰まる。零れた涙は、傷に、服に、心に、染み込んでいく。
彼はそんなルークの様子を楽し気に見詰めていた。先程の穏やかな笑みはとうの昔に消えている。この男は異常なほど終始冷静だった。
「前にも言ったでしょう?〝消して〟差し上げたんですよ」
「うるさいうるさい!! 殺すも、消すも! やってることは同じだろうが!」
簡単に、冷静に、何でもないように言ってのけるその顔が、ルークにとっては酷く醜く見える。
「カルサはお前に忠誠を誓っていると言った! お前も、それを良しとしてたっ! 少なくとも俺にはそう見えた、だから俺もっ――カルサがそれで良いならって、思ってた! それを何故! どうしてカルサを――!!」
「カルサを消した理由ですか?」
――目の前にいたあの儚い存在を消しておきながら、この男はどうして笑えるのだろう!
「そうですねぇ……。〝いらなくなったから〟かな?」
「――なっ!?」
ルークの目が驚愕で染まる。ルークは、例えカルサがモルダに利用されているのだとしても、少女に対してある程度の情がこの男にもあると思っていた。ケテルブルクでのやり取りや、何よりカルサが優しいと言っていたからだ。
それが全て嘘だったというのだろうか?
「彼女が持つ邪視の力は非常に重宝していましたが、力を失ったのなら役に立たないでしょう? それに音素乖離を起こしているのならカルサはどのみち消える運命だった。ただそれを、少し早く私の手によって下したに過ぎません」
――何だ。この男は一体何を言っているのだ。
「それでもまだ時間はあったはずだ!! 例え短い時間でも、カルサが生きる時間が!!」
「レプリカに生きる時間などない」
ルークの言葉を切り捨てたモルダは、一層笑みを深くする。
「あるのは〝動いている〟時間だ」
「――っざけんなああああ!!」
ついにルークの怒りが頂点に達する。
「……ふざける? ふざけてなどいないさ。むしろふざけているのは、レプリカの方だろう……?」
この男はどこまでレプリカを愚弄すれば気が済むのだと、ルークが我も忘れて叫びそうになったとき、モルダがゆっくりと立ち上がる。彼の纏う雰囲気が途端に冷たいものに変化していく。
(――また、だ)
そして立ち上がった状態でルークを見詰めるモルダの瞳は、異常に冷たくなっていた。
「レプリカは、お前は! 被験者の犠牲の元に成り立っている存在だろうが!!」
その余りに恐ろしい形相にルークは息を呑む。
「お前さえ――〝レプリカルーク〟さえ創られなければ!〝クリス〟が死ぬことはなかったんだ!!」
ルークは怒鳴られるように言われたその内容に戸惑った。
目の前にいる男からは変わらず怒りと恨みの表情を突き付けられていたが、彼が〝クリス〟と発したことにより、その怒りはレプリカ全体にではなくルークに対しての個人的な怒りだと気付いたからだ。
「……クリス……?」
――この男は、レプリカが憎いのではないのだろうか?
ルークは内心不安に思いながら、モルダが口走った人の名前を呟いた。
(俺が創られなければ、クリスが死ぬことはなかった?)
奥底にある怒りはまだ静まってはいないが、ルークは常々理由も分からないまま人を憎みたくないと思っている。それでも許すわけにはいかないと、ルークは精一杯の睨みを利かせながら目の前の男を見た。
「……どうせお前も、もうすぐ消える。……そうだな、その前に昔話をしてやろう」
モルダは目を閉じて、一つ溜息をつく。今までにないその仕草に、ルークは違和感を覚えた。
「邪視を持つ少女、クリス・サングレ。カルサの被験者であり、〝俺〟の――研究対象だった人物の名前だ」
そこでルークは違和感の正体に気付いた。モルダの一人称が〝私〟から〝俺〟へと変わっているのだ。呼び方だけではなく、その話し方すら違う。これがモルダの本質なのだろうかとルークは戸惑った。
その様子に気付いているのかいないのか、モルダはゆっくりと昔を振り返るように話し始めた。
「〝俺〟は十六歳のとき、マルクト帝国王立譜術・譜業研究所に入ってね。そこで人体が持っている未知なる力を譜業へと生かす研究をしていた」
そこで出会ったのがクリス・サングレという少女。
彼女は、右目に〝邪視〟という力を持つ深紅の瞳と、左目に不思議な色合いをした紺緑の瞳を持っていたらしい。少女は痩せ細っていて、誰が見ても目を背けたくなるような容貌だったという。
「最初はクリスが持つ邪視の力を譜業へ利用しようと考えていた。だが、優しい彼女と接している内にそんなことはどうでも良くなって、どうにかして彼女を研究所から出してあげられないか、と考え始めていた」
――モルダがクリスについて語るその表情は。
相手を想う表情は、普通の人と何ら変わりはなく。これが本当のモルダなのかもしれないと、ルークは朧気に思った。
「だけど、彼女が姿を消した時期があってね」
クリスはそれから一週間ぐらい経ったあと、他の研究員に連れられて瀕死の状態で帰って来たらしい。
何故そんな状態なのか、彼女に何が起こったのか気になりはしたが、モルダはそれらを全て後回しにして、とにかく治療を優先させて看護に励んだという。
「でも、決定的な治療方法が見付からないまま、クリスは息を引き取った」
ルークは口を噤んだまま、目だけを僅かに見開いた。
「彼女の死因はどう考えてもおかしかった。〝僕〟はそれを探るために研究所を去った。原因が分かるまでに時間はそうかからなかったよ。レプリカ情報の採取に、彼女の身体が耐えられなかったせいだった」
モルダの手が震え始める。その前髪が顔にかかり、表情が見えない。
そして先程から、彼の言動がおかしくなっていることにルークは気付く。
――〝私〟から〝俺〟に。
――〝俺〟から〝僕〟に。
それぞれが役割を持っているように、ころころと変わっていく。
「それを行った研究者達もすぐ見付けた。以前研究所内で秘密裏にレプリカを研究してる奴らだったから。〝俺〟はそいつらに『何故クリスのレプリカ情報を抜いた』と問い詰めた。奴らだって、彼女の身体が弱くなっていたことを知っていたのに。そしたら奴ら、何て言ったと思う?」
彼の口元は震えるような笑みが浮かんでいた。
「『〝レプリカルーク〟が成功したと聞いたから、自分達も試してみたくなった』、だって」
「そんな」という言葉が声に出ることはなく、ルークの口だけが動いた。その間にもモルダは空笑いをしながら話を続けていく。
「おかしいよなぁ。試してみたかっただけなんだってさ。聞けば軍の幹部連中もそれに加担してたって言うじゃないか。そりゃそうだ。もし成功すれば、自分が思うままに操れる邪視兵器が手に入るんだから」
死んだように語っていたモルダの瞳に、嫌な光が灯り始める。
「当然、彼女を攫った研究者達は〝俺〟がこの手で始末してやったよ。奴らが持ってたクリスのレプリカ情報も抹消させた。
だけど始末する間際に奴らは言った。『俺達を殺したところで、〝レプリカルーク〟や〝レプリカ〟が生きている限り、俺達のような連中はいなくならない』ってね。
まったくもってその通りだと思ったよ。〝僕〟だって研究者だったからね」
固く握り締められていたモルダの拳が緩み、彼が纏っている空気が揺れた。
だが、ルークはひたすら彼の話を黙って聞くしかない。無意識に震える身体を抑え込み、口を閉ざしながら、それでもモルダから視線をはずすまいとしていた。
「カルサはそこで見付けたんだよ。可哀想に、クリスと同じように実験を繰り返されてボロボロになっていた」
(――今も覚えている)
あのときの衝撃を。見かけはそっくりなのに、全然似ていないソレ。
同時に吐き気がした。
――こんなモノのために、彼女が死んだなんて思いたくなかった。