どこまでも続く深淵。
答えは見付かりそうにない。
「感情を持たないそのレプリカが、〝僕〟にはとても恐ろしい物に見えた。こいつらは創られた存在で、〝化け物〟だとね」
〝化け物〟と再び口にされてしまうが、原因が明らかになりつつある今ではそれに対しての怒りは、もはやルークにはなかった。
モルダは深い――誰もが踏み込めないほどの深い悲しみを抱えている。
何とか言葉をかけようとルークは口を開けるが、何と言って良いのか分からずに再び口を閉ざす。
「全ての元凶となった〝レプリカルーク〟を消そうと思っても、すでに彼の姿はなかった。そのとき噂で『世界を救うために消えた』と聞いた。例えその時点では消えていなかったと仮定しても、完全同位体は特定の条件下で〝大爆発〟という現象が起こる。その理論が正しければ、〝レプリカルーク〟は記憶しか残さない。記憶しか残らないなんて消えたも同然。だから世界中に散らばっているレプリカを消そうという考えに切り替えた」
「これ以上、悲しい末路を辿る被験者を増やさないために」とモルダは続ける。
「カルサを手元から離さなかったのは、アレが持つ力を有効活用するためだった。彼女と共に各地に散らばっているレプリカ達に一箇所に集まるよう暗示を掛けて、集まった先で一気に消してしまおうというレプリカ除去計画を立てた。そしてレムの塔に集まったときにそのレプリカ達に暴動を起こさせ、〝世界のためにレプリカを消す理由〟を作るつもりだった。かつて障気を消すために、レムの塔で起こったとされる出来事を見習って――ね」
「……まさか、レプリカ達がレムの塔へ集まっていたのは――」
そこでようやくルークの口から震えるような声が出た。
「さぁて? 以前の刷り込み情報が残っていたせいもあるだろうが、こっちが暗示を掛けたレプリカ達も居たかもしれないな」
「まぁその暗示も、ネクロマンサー殿の手によって解かれたようだが」とモルダは言う。
「ただ、それを一人でやるには少々無理があった。だからここを、反レプリカ組織である〝リア〟を作った。同志を募ると面白いように人が集まって、今じゃこんなに大きくなってしまったがね」
くすくすと彼特有の笑い声が響く。
「協力者を募るのは簡単だった。各国のお偉い方々の中には、レプリカの存在を疎んでいる人もいてね。その方々がここへの援助をしてくれていた。そうしてレプリカ除去計画は順調に進んでいたんだ。――レプリカの間で〝蒼焔の守り神〟と呼ばれる二人組の噂を聞くまでは、な」
モルダが腕を伸ばし、その指先でルークの髪の一房をとる。混乱が続いているせいか、その色は朱いままだった。
「最初は、その二人組もまとめてレムの塔で消す予定だった。だが、自我が目覚めているレプリカ達が街を作り始め、さらに世界を救った英雄達がそれを手伝っていると聞いて、急遽計画を変更せざるを得なかったのさ。今度は〝蒼焔の守り神〟を盾として、レプリカと、レプリカの街ごと破壊するように」
彼の指が一房の髪をゆっくりと撫でていく。
「そのとき、ちょうどお誂え向きに〝蒼焔の守り神〟がばらけて一人になった。これ幸いと、カルサを使って一人になったお前をここへと誘導し、捕らえた。――そのときはまさかこんな形で、消えたと言われていた〝レプリカルーク〟と対面することになろうとは思いもしなかったが――」
ぎゅう、とモルダの手の中にルークの髪が握り込まれる。突っ張るような感触に痛みを覚えたルークは思わず顔を顰めた。
「――何故……、何故、お前は生きているんだ?」
低く唸るように告げた、モルダの瞳が狂気に染まる。そしてそのまま握った一房の髪を一気に持ち上げた。
「痛っ――!」
それにつられるようにしてルークの顔が上がる。握り込まれた髪が痛むのか、ルークは顔を顰めたままだ。
「答えろ。何故だ? あれほどのレプリカを犠牲にしておきながら、そしてレプリカが創られる元凶となったお前が! 何故、お前だけが生きている!!」
互いの視線がぶつかった。モルダの両目は憎しみに燃えている。
ルークはずっと前からそれを知っていた。
『何故生きているのか』、その答えはとっくに出ている。
(簡単なことだ)
――自分が〝そう望んだ〟からだ。
ローレライに『女性体であれば生きていられる』と言われて。浅ましくもその生にしがみ付いてここに居る。
――自分のせいで死んでいった人達がいることも忘れて。
ルークの足元から何かが呼び起こされていく。
その床から伸びて来るのはいくつもの黒い手。同時に聞こえて来るのは、ルークだけにしか聞こえない響くような暗い声だった。
『 ど ぅ し て オ 前 だ け ガ 』
『 お 前 ガ 、 殺 シ た 』
『 手 ヲ 伸 ば し テ く れ タ ら 、 僕 は 助 カ っ た の ニ 』
『 人 殺 シ 』
ルークの目が最大まで見開かれ、ガタガタと身体が震え始める。このままでは捕らわれてしまうと思った瞬間、答えが返って来ないことに苛立ったのか、モルダが空いていた片方の手でルークの頬を思い切り打った。
そのお陰かどうかは分からないが、ルークの視界に映されていた黒い手達が消えていく。
「お前は『カルサにだって生きる時間はある』と言った。ならば被験者のクリスにだって生きる時間はあったはずだろう? 彼女はレプリカ情報さえ抜かれなければ死なずに済んだ! お前が、〝レプリカルーク〟が創られたせいで、彼女は死んだ!!」
苦しそうな、悲しそうな顔でモルダが放った言葉がルークの心を揺るがせていく。
「何が〝世界を救った英雄〟だ! 彼女が居ない世界など、何の価値もないのに! そんな世界に、お前だけが生きているなんて許せない!」
そしてモルダの手が再びルークの頬を打とうと振り上げられたとき、その場に彼の配下の一人が慌てたように駆け込んで来た。
「首領! 奴らに動きがありました!」
その言葉にようやくモルダの動きが止まる。
彼は握り締めていたルークの髪からゆっくりと手を離し、その手で軽く衣服を整えて顔を上げたときには、すでに普段の状態に戻っていた。
「……あなたは彼らの目の前で、レム塔にいるレプリカ達と共に消して差し上げます。その日を心待ちにしていて下さい」
モルダは静かにそう言い残すと、配下と共に拷問室をあとにした。
――そうしてたった一人。
その場に取り残されたルークの手が震えている。その震えが安堵からか、悲しみからなのかは、まだ分からない。
――全てが分からなくなってしまっていた。
誰が悪くて、誰を憎めば良いのか。自分は、誰に対して謝れば良いのかとルークは思う。
ただ一つ胸にあるのは悲しいという感情だった。モルダを取り巻いている出来事が、彼自身も含めて、全てが悲しいと思うだけだった。
「俺……どうしたら良いんだろ……」
先程の言葉がルークの頭から離れない。言われたことを頭の中で整理しようと思っても、なかなかまとまってはくれない。ひたすらに悲しさが溢れ、胸が引き裂かれそうなほどに痛んでいた。
「も……、分かんねぇ……」
――自分が悪いのだろうか。この世界に生まれて来た自分《レプリカ》が悪いのだろうか。
生まれることを望んではいなかった。それでも勝手に生み出されたことが悪いのだろうか?
自分が創られたせいで、死んでいった命がある。自分が生きているせいで、苦しんでいる人がいる。自分がここにいるせいで、巻き込まれた儚い命がある。
(それでも)
――あぁそれでも。生きたいと思ってしまう自分をどうか――どうか。
ぽつり、ぽつりと、ルークの痛め付けられた肌に、服に、新しい染みが出来ていく。
知らないところでひっそりと死んでいった少女に。死んだ少女を今も想う一人の青年に。その青年を慕って消えていった優しい少女に。
「――っぅ、……っ――!」
湧き零れる涙は、一体何に対しての贖罪か。
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